こんばんは。
千手マリアです。
きのうの続き?ですが、
何やったって宇宙からは罰せられないなら、
「じゃあ悪いことやったもん勝ちじゃん!」
と思ったあなた。
世の中、真面目に正直に生きてるのがバカらしくなったり、
そんなのずる~い!!と思ったかもしれません。
「【鏡の法則】はどうなったの。
送り出した想念(←悪意など)が自分に返ってきてひどい目に遭うんじゃなかったの?!」
とも思いますよね。
実際はそうとも言えるしそうとも言えない。
潜在意識からも含めて、どんな現実が優先されて表れるか分からないし、
タイムラグもある。
何が事象として起こってきても、自分の捉え方次第で、幸せにも不幸にもなる。
インドの聖典にあるそうです。
『因果応報。やったことは自分の身にかえる。
でもそれがいつかはわからない。
過去に蒔いた種はすでに地中にある。
しかしながらそれが芽を出さないように、
出しても大きく育たないようにすることはできる。
聖典を学び実践することによって。』
みたいな感じだったと思います。
色んな段階(波動)の人がいるので、
カルマの法則も全員には当てはまらないけれど、
多くのひとにとってはこれが真実となるのではないかな…。
だから私は、悪行を働いた人がそのままで済むとは思っていません。
宇宙や神が罰しなくても、
いつかどこかの時点で(あの世や来世も含めた時点で)
自分で自分の非道さ、あやまち、至らなさに気づく時がくる。
強い後悔の気持ち。
どんな事情があったにせよ、
自分が、本来の自己の魂の輝きを曇らせてしまってたことに気づいた時に、
それが深い罪悪感になり、
それによって今度は自分が自分を苦しめる。
なんとかしてその思いから逃れたい、償いたい、やり直したいと思う。
そこから自己再生の道、神への帰還の旅が始まって行くのだと思います。
大抵は苦難の道から始まるでしょうね。酷い目に遭うともいえるかも。
然も、もし再生のために生まれ変わった場合には、記憶が隠されてるので、
何で自分にはこんな辛いことばかり起こるのだろう?と思うかもしれませんね。
(ただしもちろん辛い人生が、すべてこのパターンから起こるわけではありません、念のため。)
だから憎まれっ子世に憚るはよくあることですが、
憎まれっ子になることがお得なわけではありません。
大事な家族の命を理不尽なかたちで他人に奪われたような場合、
犯人を許すことなど到底できなくて当然だと思うし、
同じ目に遭わせてやりたいと思うのも自然の感情。
法律で裁かれて罰をうけたとしても、
その罰も人が決めてる以上、何が妥当かなんて本当はわからないし、
まして捕まることなくのうのうと生きてる人もいることでしょう。
この世は何でもアリなんです。
そして責任をもてるのは自分のことだけ。
でも自分が見ている世界を生きてるのだから、
自分の見方を変えれば体験する世界は変えられるとも言える。
許せないものは許さなくていい。
ただ、許せないという感情をその都度リリースすると、
現実が変わってくる。
自分を縛り続けていた苦しみというロープから、
自由になれる時がくる。
そう思うのです。