竹橋シネコン:イーストウッド “硫黄島”プロジェクトで「1万2000人の霊に敬意を表したい」
クリント・イーストウッド監督。なんでも二宮くんは最初に会った時「皮をポロポロ落としながらピーナッツを食べる姿を見て、仲良くなれると思った」のだそう。監督の人柄がうかがえるコメントだ 最新作「硫黄島からの手紙」が、米ロサンゼルスでの約1カ月半の撮影期間を経て、4月27日に硫黄島でクランクアップした。同島での1日だけの撮影を済ませた監督と、出演者の渡辺謙さんら5人の主要キャストを招いての製作報告会見が、その翌28日、東京都内のホテルで開かれた。
この日の会見に出席したのは他に、中村獅童さん、伊原剛志さん、加瀬亮さん、二宮和也さん。残念ながら、製作者側の都合でウェブ媒体によるカメラ撮影はNGだったが、集まった報道陣の数はなんと750人。おそらく、多くは“生イーストウッド”目当てと思われるが、彼の来日会見はテレビドラマ「ローハイド」以来44年ぶりのことと聞けば、その数も納得できる。
さて、その会見がついにスタートし、万雷の拍手に迎えられ、ゆっくりとステージに現れたイーストウッド監督。紺色のジャケットにブルーのシャツ、紺地に黄色い模様のネクタイに白いチノパンという出で立ちの彼は、190センチを超す長身と75歳という年齢がほどよくブレンドされ、まさに“いぶし銀の魅力”を放っていた。ただ、カメラの放列から発せられるフラッシュはかなりキツかったようで、あいさつの間、少々辛そうにしていたのには胸が痛んだ。
話を本題に移そう。この「硫黄島からの手紙」は、第二次世界大戦の大きな転機となった硫黄島の戦いを描いたもので、すでに撮影を終えている「父親たちの星条旗」と対をなす作品だ。原作は、擂鉢山に星条旗を掲げる姿を写真に撮られた米兵たちを追ったルポ、ジェイムズ・ブラッドリー、ロン・パワーズによるベストセラー「硫黄島の星条旗」だ。
「この2部作は、硫黄島のストーリーを(日米)双方の側から語ろうとするものだ」と監督が話す通り、「父親たちの星条旗」はアメリカ側の視点から、「硫黄島からの手紙」は日本側の視点から描かれている。とはいえ、監督自身は最初から2部構成にしようとは考えていなかったようだ。
「本格的に監督することを決め、硫黄島の戦況のリサーチを進めるうちに、日本軍のユニークな防備と、それを指揮した栗林忠道という人物に興味を持ちました。彼にまつわる書物を読み進めていくうちに、あの戦いで人生を中断させられ若い兵士たちは日米の両方にいる。これは、ふたつのプロジェクトだという意識が芽生えたのです」
その「硫黄島からの手紙」で、主人公・栗林忠道中将役に起用されたのが、かねてからイーストウッドが「俳優として尊敬していた」という謙さんだ。当の謙さんは「役をいただいたとき、果たして自分にこの役を受けとめられるのか」とプレッシャーを感じたそうだが、「すでに60年前からユニバーサルな感覚を持っていた」栗林忠道と「日米で仕事をする自分が重なり」、この役を引き受けたのだそう。
その謙さんをはじめとする俳優たちは、本作の撮影のためにロサンゼルスへ乗り込んでいったわけだが、慣れない異国の地での撮影はさぞかし大変だったと思われるが、彼らから返ってきたのは意外にも「心地よかった」という言葉。
栗林と運命をともにする兵士のひとり、西郷役の二宮和也くんなどは心地良すぎて「セットに入り、ぼーっとしているうちにカメラが回っていて、監督からオッケーだよと言われたことが何度かあった」。
その一方で、穏やかな雰囲気は、彼らに緊張感をも与えた。
「俳優として試されていると感じた。僕たちが何かをつかみとったうえで、それを返していかなければならないという責任を感じた」と語るのは謙さん。
穏やかさを役に反映させた者もいた。
「渡米前、(撮影には)死ぬつもりの勢いで臨もうと思っていた」伊原剛志さんは、現地入りし、スタッフの温かさに触れ、「毎日が追い詰められているのではなく、その中でささやかな楽しみがある。それは戦争も同じだったのではないか」との思いで、1932年のロサンゼルス・オリンピックの馬術競技金メダリスト・西竹一役を演じていった。
しかし、おそらくどの俳優たちにも、「クリントには、超えられない壁の厚さとオヤジの温かさを感じた。全身を投げ打ってぶつかっていかなければならない」(渡辺)との思いがあったはず。だからこそ彼らは精一杯の演技をし、またそれを受け止めたイーストウッドもまた、撮影を終えた今、「彼らは仕事に対する倫理観がしっかりしている。おかげでベストの仕事ができた」と彼らを讃えたのだろう。
言葉や文化の違いを乗り越え、日本の俳優たちと共に作品を作り上げたイーストウッド監督。その彼が、会見の最後にこんなメッセージを寄せてくれた。
「戦争とは、どちらが善でどちらが悪とはっきり言い切れるものではありません。国を守るという使命のために両国の兵士たちが恐ろしい体験をしました。硫黄島には、今も1万2000人もの霊が眠っています。平和を享受している今だからこそ、彼らに敬意を表し、戦ったアメリカ兵にも敬意を払うべきなのです」
その思いが詰まった「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」はそれぞれ、今年の10月と12月に封切られる。