序破急

片足棺桶に突っ込みながら劇団芝居屋を主宰している爺です。
主に芝居、時々暮らしの中の出来事を書きます。

稽古について2

2008-08-17 19:32:53 | 日記・エッセイ・コラム

200808161019 北京オリンピック、高校野球と温度計の上昇と共にその内容もヒートアップしています。

私もそれに刺激され自分の歳も省みず、テレビのスポーツ観戦から腰をあげて、真夏のテニスと洒落込みました。
場所はテニスの殿堂有明テニスの森。若い人達とダブルスを四時間プレーしました。
しかしへばりました。もはや若い人達とのプレーは無理なのかと思いましたが、若い人達もかなりへばっていた様でそれ200808161022_2 を知って少しは救われた気持ちになりました。当日の気温は後で知ったのですが、34℃だったそうです。
プレー中に飲んだ水が3リットルです。しかし気をつけないといけません。無理は禁物ですね。

さて、「稽古について2」です。

経験の浅い俳優にとって、本番稽古は二つの意味を持っています。
一つは現在の作品の中の自分の役を創る為の稽古であり、いま一つは将来の自分の為の稽古です。
この二つの稽古を意識できる事は、将来においてその俳優がその人しか出来ないものを持った役者になる為の大きな要因となります。

まず俳優が役をキャステングされ役者として参加する本番稽古は、参加している作品の内容を読み取る事から始まります。次に演出意図を理解し、しなくてはならない役割を習得します。
舞台に登場する人物(役)は誰一人として不必要な人物はいません。一般的に主役といわれる人物はその作品のテーマを説明する役割を持っています。またその周りを固める人達も作品の言わんとする事を鮮明にするための役割を負っています。台詞のない人にだってそこにいなければならない作品的な役割があります。
役者は自分の役割を明確に把握することが役的な自由を手に入れる近道である事を知らなければなりません。
自分の役割を把握する事は、「して良い事」と、「してはいけない事」を知ることです。
そして役割の中の「して良い事」、言い換えれば「しなければいけない事」を利用して役の自分を膨らませていくのです。その為には「大体この位」といった場所の発想ではいけません。自分はこうだという最大限を求めるべきです。その発想の場所には他人(役者仲間)を気にしている場所はありません。積極的に自分の考えてきたことを発表できる場にすることです。  
稽古場をその様な場に出来ることは将来の自己実現の為の第一歩なのです。


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