先日、劇団芝居屋の公演稽古の回数に触れた時、役者の稽古回数の感じ方として「45回もある」「45回しかない」の二種類に分かれると書きました。
そして劇団芝居屋に出演する役者は「しかない」派でいて欲しいという欲求を書きました。
その事をもう少しはっきり書きたいと思います。
劇団芝居屋は「覗かれる人生芝居」の創造を目標に活動している劇団です。
「覗かれる人生」という受動的な印象を与える言葉の裏側に、「覗かれるに足る人生」を生きる人物を創りだす役者がいなければならないという極めて能動的欲求が隠れています。
では「覗かれるに足る人生」を持つ人物とは何か。
作者が書いた台本の中から集めた自分に関するあらゆる情報を基に、書かれていない部分を想像し、何の誰平と言った固有名詞と人生を持つ人物の事です。
この様な役創りは役者自身の創意工夫が必要になります。
つまり役者の今まで自分自身を基に、オリジナルな役創りを要求されているのです。
こういった役創りは、これまでの台本の中にある役割を持つ登場人物を表現するといった考え方では手の届かない場所にあります。
芝居の中の手駒として要求される誰もが分かる役作り、「大体こんな感じ」の大まかな役作りでは届きません。
工夫をすればするほど、「もっと、もっと」と自分の内部から欲求が湧きだして来るものです。
そんな人間創りが「もある」の範疇で考えられるでしようか。
そうです。
どうしても「しかない」という思いに至る筈なんですよ。
私はオリジナルを目指す役者が大好きです。
私は言う事を聞かない役者が大好きです。
生意気な役者が大好きです。
でも、言葉じゃダメですよ、演ずる事で私を説得できないと。
私は待ってます。
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