
八月に他界した母は舞踊家でした、
舞踊家としての名前は花柳寿登芳。
私は長年師匠の舞踊公演の構成演出に携わって18本の舞台を創ってきました。
私は私が芝居の道に入ってから母を、肉親というよりも尊敬を敬愛を込めて、また芸の大先輩という事で師匠と呼んできました。
私も67歳になるまで、いろんな舞踊家を目の当たりにしてきましたが、断言できます、花柳寿登芳は日本一の舞踊家であると。
容姿とその表現力、しなやかな体使い、愛嬌、そして何より人に勝る芝居っ気。
こんな舞踊家は他にはいません。
ここに掲載する写真は国立劇場に於いて常磐津「巽船頭」を素踊りで踊ったものです。
色町に客を運ぶ船頭があった、酔っぱらった客の泣き上戸・怒り上戸・笑い上戸の三態を踊り分けるというものです。
動画からの引用ですが、動画はもう少し勉強してからアップします。
これは花柳寿登芳71歳の時の踊りです。






やっぱり動画がいいですね。
もう少し格闘してみます。
舞踊家としての名前は花柳寿登芳。
私は長年師匠の舞踊公演の構成演出に携わって18本の舞台を創ってきました。
私は私が芝居の道に入ってから母を、肉親というよりも尊敬を敬愛を込めて、また芸の大先輩という事で師匠と呼んできました。
私も67歳になるまで、いろんな舞踊家を目の当たりにしてきましたが、断言できます、花柳寿登芳は日本一の舞踊家であると。
容姿とその表現力、しなやかな体使い、愛嬌、そして何より人に勝る芝居っ気。
こんな舞踊家は他にはいません。
ここに掲載する写真は国立劇場に於いて常磐津「巽船頭」を素踊りで踊ったものです。
色町に客を運ぶ船頭があった、酔っぱらった客の泣き上戸・怒り上戸・笑い上戸の三態を踊り分けるというものです。
動画からの引用ですが、動画はもう少し勉強してからアップします。
これは花柳寿登芳71歳の時の踊りです。






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もう少し格闘してみます。

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