ぷらすわんの子供たち ~ホワイトスイスシェパードと暮らす~

ホワイトスイスシェパードのヴァルターを中心に日常や競技会などを綴った雑記帳。

早朝から

2014年05月27日 | ふるちゅ~んネコ
毎日ヴァルと朝早く宍道湖周りに散歩に出かけるのだが
今朝はめずらしくミニパトが出動するのを見かけた。
しかも婦警さんじゃなく大の男が三人ぎゅうぎゅうと乗り込んでる。

”朝早くからごくろーさんですな”と思い、何気に見送って帰る途中のこと
片側三車線の大きな交差点に差し掛かったあたりで、マフラーの爆音と
けたたましいサイレン、拡声器でなにやら言ってるのが聞こえて来た。

緊急車かなと思って振り返ると、おケツがバッタになったバイクに
茶髪のノーヘル兄ちゃんがタンデムで走ってきて
その後ろにさっきのミニパトがサイレン鳴らして追尾しとりました。

”あーさっきの出動はこれだったのね~”と納得。

どちらも信号守って速度60キロの追跡劇には何だか笑えました。


野辺送り

2014年05月22日 | ふるちゅ~んネコ
残念なことに、バイク仲間を見送らねばならなくなった。

バイク三昧の日々を共に過ごし、同じ楽しみを共有した仲間に再会するのも
こんな残念な機会ばかりになってしまった。

ガキの頃からの知り合いで、オフロードでつるんで走ったり
チームを組んでエンデューロに参加したりと思い出は尽きない。

最後まで好きなバイクで旅立ってしまったんだな。

今日は仲間で見送ってあげるよ。

限定解除試験

2012年05月25日 | ふるちゅ~んネコ
先日、1週間ばかし病院にお世話になった。
その時の主治医のセンセが以前、大変お世話になった試験官に
似ていたので思い出した話をひとつ。

今は大型二輪は教習所で免許が取れるのだけど、
アタシは限定解除試験世代。
大型二輪車に乗るには試験場で限定解除試験を受け、
合格しないと免許がもらえなかった。

あの頃は限定解除は難しく、東京では大型二輪車を
自在に乗りこなす実力がなければ合格できなかった。
アタシは府中にあった某メジャーな限定解除専門の教習に通い、
受験していたけれど合格まであとちょっとのところで帰郷することになり、
改めて地元で受験することになってしまった。

そして帰郷する間際、府中の教習教官が
「地方は相当数受けないと合格出来ない場合が多い」
と励まし?のお言葉を頂いたとおり、こちらで試練の受験が待っていたのだ。

忘れもしない、地元の試験場に最初に受験しに行った時、受付の試験官が
「え?あんたが受けるの?ほんとにあんたが受けるの?」
と何度も怪訝そうに聞いたうえ、
「女が大型なんか無理だよ」と小馬鹿にされたことを。

事前審査は通常、取り回し2回センタースタンド1回引き起こし2回のはずが、
この時の試験官は取り回し5回センタースタンド5回引き起こし10回と仰せになった。
もちろん意地でもやっちゃると、こなしたけれど・・・。
めちゃめちゃくたびれた。
タンクに砂が入ってるんじゃないかと噂もあったくらい、
古いバイクはすこぶる重かったのだ。

後で聞いたのだが、あの時アタシはこちらで
女性では2番目に限定解除試験を受けたらしい。
なんちゅう田舎じゃ~っとがっくしきたのだけれど、
まだまだ女性ライダー自体が地元には少ない時代だった。
だから少なからずとも女が限定解除試験を受けるのは
いろいろと偏見っぽく見られてたと思う。

で、試験官にネチネチ嫌味を言われ、最初に試験を受けてから暫くは
受けに行くのも腹立たしくて少し合間が空いたけど、
やっぱり諦めきれずに再チャレンジすることに。

行かない間に入ったバイククラブのメンバーも受けに行っていたので
今度はずいぶん心強かったから。
それに受験者はアタシを除いて全部男性、紅一点は目立ちもしたけど
珍しがられて受験者のみんなに励まされた。

当時こちらの限定解除試験の平均合格回数が27回。
試験受けますか、仕事やめますかってくらい、続けて受験し続けなければ
合格できない状況だったので、アタシも仕事やめちゃるかもって覚悟。
みんなそう。
だから余計顔なじみ同士、団結してたなあ。
誰もで情報を交換して試験に臨む。
今日のコースはどうだとか、試験官は誰だとか。

試験官はとにかく皆(落とそうとする試験なので)鬼のようで、
特に鬼といわれていた厳しい試験官がN試験官だった。
返事が小さいだけで「お前っ!とっとと帰れ!!」
と怒鳴られることはしょっちゅう、バイクのエンジンもかけない内から
不合格にされる受験者もいるくらい細かいところまで厳しく採点される人だった。
この試験官に当たった日は合格できないとさえ言われてるくらい。

アタシも最初はN試験官は怖くてあまり近寄れなかったと思う。
毎週受けてたからもちろんN試験官に何度か当たったけれど、
やっぱりなかなかコースを完走させてもらえなかったな。
ただ厳しい言い方だけれどN試験官が減点対象になった部分について
言われることはしっかり頭に叩きこんどかなきゃって思ってた。
それが合格への足がかりだったし。

試験合格に近付いた目安としてコースの完走があったのだけど
コースを完走するようになってもなかなか合格出来ない人もいた。
アタシもその部類らしく比較的早く十何回目くらいから完走してたと思うけど
なかなか合格出来なくて、ある日見かねたらしいN試験官から
呼ばれてほんとに多くのアドヴァイスを頂いた。

呼ばれたことにもびっくりだったけど、それまで厳しいと思っていた試験官が
別人に思えた瞬間だった。
他の試験官が言うにはN試験官は本当にバイクが好きな方で
中途半端な乗り手には厳しいけれど、真剣に頑張ってる人には仏のような人だと。

それを目の当たりにしたのはそれから何度か受けた時だった。

その日はN試験官に当たった。
アドヴァイスのお陰もあって自分でもこなせていると感じている頃だった。
出だしも好調、コースも万全、課題の一本橋・制動・スラロームと
難なくクリアし、残すは本コースの外周のみ。
タイトなUターンをして課題コースから本コースに出る時だ。
「ごぉぉぉ~~ん!!」
コースに鳴り響く音・・・。
タイトに切り込み過ぎてバンパーをガードレールに接触させた音だった。
幸いなことにライディングは全くブレず、走りには問題なかった。

でも、今日の試験は終わった・・・・。
アタシはがっくりして本コースの外周路でバイクを止め、
手をあげて試験官の指示を待った。

もちろんスタート地点に戻れと指示があると思っていたけれど
タワーに居るN試験官はスピーカーで
「どうした?コースが解らんくなったのか?」と聞いてきた。
「バンパーが接触しましたぁ」
と大声でアタシは答えた。
その答えに対しN試験官は
「何?今のは溝蓋の音だろ?溝蓋の音だ、そうだろ」と。

この時アタシが思ったのは、待合で順番を待ってる人達に
バンパー接触したのは解らないわけないってこと。
嘘はつけない・・・。

で、結局もう一人の試験官とN試験官がタワーから降りてきて
アタシのところまでやったきた。
「今のは溝蓋の音じゃなかったのか?」と再度聞くN試験官。
アタシは正直に「いえ、バンパーが接触しました」と答えたので
もう一人の試験官がバンパーを調べると、ガードレールの塗料が付いてた。

「こりゃ接触しとるな」ともう一人の試験官に言われると
N試験官はとてつもなく残念そうに、
「おまえ、今まで減点ゼロだったんだぞ」と漏らした。
その瞬間アタシは涙があふれ出してボロボロ泣いてしまった。

「馬鹿っ!泣くな!」
N試験官の叱咤は今までにない温もりを感じた。
その時しみじみN試験官が仏だと言われるのを実感した。

スタート地点の待合に戻ってみるとやっぱり
みんなにはバンパー接触は解っていた。
そしてその音を溝蓋の音だと言ったN試験官のことも。
それを利用して嘘つかなかったからアタシを暖かく迎えてくれた。
受験者のだれかが
「N試験官は自分が合格のスタンプ押してやりたかったんだな」って言った。

そうか、そうなのか。
それは一生懸命頑張ってきたご褒美なんだろうか。
とにかくそれに報いれなかったことが凄く悔しかった。

帰り際、N試験官が「涙クンはもう乾いたのか?次は合格頑張れよ!」
にっこり笑ってVサインをくれた・・・・。


その頃のことなど忘れていたので、今回思い出せてとても懐かしかったなぁ。
次の週の試験はどうだったかって?
もちろん記念すべき20回、誕生日に合格したわけで。
長い思い出話でやんした。

どうしよっかな~

2012年03月28日 | ふるちゅ~んネコ
体調不良でバイクから遠ざかること数年。
やっぱり春が近ずくとムズムズしてくる。

かといって今は前ほど魅力を感じるバイク無し。
はぁ~昔は良かったのになぁ。

欲しいと思うバイクは自分が乗ってた時代のものばかりだし・・・。
探すのが大変だしなぁ。

しかも今のご時勢、バイクといえば自分で漕ぐやつですよねぇ。

そろそろMTBに手を出してみるかな~~。

とは言えオフやってたって言っても自転車のほうは
さっぱり分かりましぇ~ん状態。
専門店に行ってみました。

市内にはMTB専門店が無いのでよその街まで足を伸ばし
話を聞くこと1時間。

う~ん、迷っちゃうなあ。

買う買わないよりもどれにしようか迷うんだなぁ~~、これが。(笑)
行った時点で買うを前提にしている自分。
ったくバイクのこととなると今も昔も変わらない。

いやいや、今回はよ~~く考えて決めますよ。

しばらく頭冷やさなきゃね(笑)

マウンテンゴリラ時代

2012年02月17日 | ふるちゅ~んネコ
久々にバイクの話です。

アタシが松江に戻って所属していたバイククラブ。
後に100名を超える大所帯になっていくんだけど、
最初の頃はほんとにアットホームなクラブでしたね。

メンバーのほとんどがロードバイクに乗っていた頃、
一部の異端児達はオフロードに嵌り「マウンテンゴリラ(MG)」と称して
道なき道を走ってました。
初代メンバー7名、紅一点のアタシが手作りでステッカーをこさえ
バイクに貼って泥だらけになってた日々。
懐かしいなあ。

メンバーはすべて限定解除組。
なぜかって言うと、限定解除試験を受けるのに
普段からオフロードで不整地を走ったほうがテクニックがつくとされてたから。

もともとみんな限定解除を狙って始めたんだけど
取ってしまえばロードよりオフのほうが面白くなったってことです。

幸い当時の松江近郊はまだまだ舗装されてない獣道が
たくさんあったんですね。
毎日ありとあらゆるところを走って探してたし。
あの頃はとにかく毎日仕事が終わるとバイクに乗って出かけてました。

MGでは三人一組で走るが鉄則でしたね。
仮に沢とかで落ちても残り二人で引き上げられるから。
ハンドルに誰もロープ巻いてました。(笑)
だからクラブのたまり場には必ず誰か来ていて
一緒に走りに行くんです。
みんなほんとにバイク好きで、よくもまあ毎日走りに行ってたよなあって
今では感心します。

マウンテンゴリラの恒例の行事に冬の耐寒キャンプというものがあったんですが、
これはもう周りからクレイジー呼ばわりされてました。
しかしながらメンバーたちにはめちゃめちゃ面白かった行事です。

正月の2日からバイクに荷物積んで山でサバイバルキャンプをするという、
今でもどうかしてたんじゃないかって思うくらいみんな元気ありましたよ。
積雪が40~50センチの年もあったのにね。
メンバーに元自衛官が2人もいたせいですね。
これは。
おかげでどんな状況下でも寝れる自信がつきました。(苦笑)


今日みたいな雪の日はあの頃のことをよく思い出させてくれます。
今でこそヴァルの遊び場所になってるところも
あの頃は林道しかなくて山の中でした。
雪が降るとその林道に喜び勇んで走りに行ったものです。

あの頃も今も楽しい遊び場所であるには違いないですね。

今回の思い出話はこれくらいで、また次回に。

思い返せば

2011年09月04日 | ふるちゅ~んネコ
友達がピアノの調律ってどれくらいかかるのって聞いた。
アタシも長いことやってないんでわかんないなぁ。

習ってた頃は毎年してたんだけどね。

調律師さんで思い出した。
何人もの調律師さんが来たんだけど、
確かアタシが中学生の頃から来始めたアサノさん。
この方はほんと印象深いっていうか、アタシに大きな影響与えてくれた。

まだ20代前半若くって、いっつも来ると調律しながら
アニメソング弾いてた人だった。
音を聴きながらの繊細な仕事なんでたいがいの調律さんは無口なんだけどアサノさんは話好きな人で、仕事の合間合間でいろいろ話しかけてくれたんだよね。

そのアサノさんは専門学校時代からずっとオートバイの魅力に取りつかれてロードレースをしてたんだそう。
それがどんなに楽しくて面白かったか散々聞かされた。
で、そんな大好きだったロードレースを止めるきっかけになったサーキットでの事故、一瞬にて凶器にもなりうるバイクの怖さを切々と語ってくれた。

高校生になってたアタシはアサノさんの話をずうっと聞いてバイクの免許をとりたくてとりたくてたまんなかったのさ。
でも当然ながら親は反対するよね。
女の子だし。

それをアサノさんはうちの親にバイクって安全に乗ればホントに楽しいスポーツだと一生懸命説明してくれた。
彼女なら絶対大丈夫ですからって。
今思えばアサノさんも本当にバイク好きだったんだなあ。

結局卒業してからならいいって話になって、
アタシは高校卒業するまでじっと我慢してたね。
親からすればきっとあきらめるだろうと思ってたと思うけど。
でも絶対とってやるって思ってたから東京で自腹で免許取りにいったわけで。
親が上京した時、アタシのバイクみて呆れてたっけ。

確かにアサノさんが言うとおり、バイクは安全に乗れば
これ以上ないってくらい楽しい乗りものだし、反面怖いって思う体験もたくさん体験した。
でもいっつも思い浮かぶのは最初に聞いたアサノさんの言葉。
あのおかげで命拾いしてたのかな。

オートバイは止めたけど二輪は止められないってロードレーサーに乗って来てたアサノさん。
いいおじさんになってるだろうけどまだロードレーサーに乗ってて欲しいな。


初期型ガンマ。
これに乗りたくて乗りたくてたまらなかった。
タコメーターは3000回転以下が無いというピーキーなエンジン。
これに乗って公道でスライディングした話はまた後日。

バイク仲間

2011年08月30日 | ふるちゅ~んネコ
車の1か月点検で車屋に行った。
そこに古い友人が勤めてると聞いていたけど、
会う機会がなかった。

この前会ったのはいつだったんだろう?
ずいぶん長い間会ってなかったよ。

今日は会えそうな気がしてた。
やっぱり。
遠目で見てもすぐわかる。

バイク仲間。
ホントに共有する時間がめちゃめちゃ多かった友人達。

アタシはとくに家にいる時間よりバイクとともに過ごす時間が
多かったから家族より仲間の方が身内みたいだったなあ。

お互い時間が経ってっても、話し出すとあっという間に
10代、20代の頃にタイムスリップしちゃうんだよね。
あの頃みたいについ「じゃ、明日走りに行こうよ」って
自然に言っちゃいそうだ。

自分をさらけ出して本音で付き合ってた友人達。
時間が経っても全然変わらず気兼ねなく喋れる。
なかなか会えなくてもそんな友達がいるってほんと幸せだな。

50代くらいになったらまたみんなでバイク乗ろうぜ。


うちの新しい車

2011年08月27日 | ふるちゅ~んネコ

と言いたいところだけれど・・・。
値段聞いてそーゆー冗談言えなくなっちゃいました。


BMWの6シリーズ、めちゃめちゃかっこエエです。
ちょびっと乗りましたがエンジン音サイコーです。


画像、グラフィック処理してますがそれでもエエ車やなあ。
乗らんのやったらアタシにくれっっ!

強烈な印象?

2011年05月30日 | ふるちゅ~んネコ
職場に所長の古い友人が訪ねてきた。
遠方の方なので10年以上ご無沙汰だったとのこと。

アタシは話には聞いたことあるだけのお方だと思ってた。
が、前回ご夫婦でお見えになった時お会いしていたらしい。

「うちの家内がね、確か赤いバイクに乗ってったって。
珍しいでしょ、女性がオフロードに乗ってるって。
活発なお嬢さんだな~って思ってましたよ。」

いきなり言われて記憶の糸をたどるアタシ。


赤のオフ車ならたぶんXLR-250のことだと思う。
おおかたフル装備で走って帰ってきて
泥だらけになってるような姿を見られたに違いあるまい。
あの頃は時間さえあればバイクで走ってたから。

開口一番にそう言われたからよっぽど印象に残ってたんだね。
いやいや、思わず苦笑いしちゃいました。


あこがれの人

2011年05月19日 | ふるちゅ~んネコ
本棚を散策中に懐かしい本に出くわした。

アタシが駆け出しのライダーだった頃、
めちゃめちゃあこがれていた人だった。

東京で住んでた家からバイクで15分くらいのとこに
彼女のお店があって、ほんとに何度も行ってた。

行くたびに飾ってあったサハラを走ったバイクを見ながら
サハラ砂漠を走りたいとあこがれていた女性ライダーは
きっとアタシだけじゃなかっただろうな。

三十代後半で人生を駆け抜けていった人。
知り合いのバイク屋のオーナーから訃報を聞いた時
号泣したっけ。

背が高くてスラッとしててキラキラ輝く瞳で話す人。
大人なのに時折のぞかせる無邪気な表情が印象的な人。
彼女のようなライダーになりたくて頑張ってた頃を思い出しましたわ。