新横浜 占いの真龍堂

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神社めぐり909 間々田八幡宮

2019-05-07 06:14:53 | 占い
新横浜 占いの真龍堂です

全国の八幡宮を巡ります

今回は 間々田八幡宮 です

主祭神

誉田別命 ほんだわけのみこと/第15代 応神天皇

息長帯姫命 おきながたらしひめのみこと/神功皇后(応神天皇の母神)

間々田八幡宮の創建は大変古く、
今から約1300年ほど前の奈良時代中期(天平年間)と伝えられています。

939年頃に起きた平将門の乱に際しては、
百足退治の伝説でも知られる武将・藤原秀郷が、
当八幡宮ほか沿道の神社仏閣に戦勝を祈願し、見事乱を平定。
このご神徳へのご恩返しとして、神社にご神田を奉納されました。

以降、当八幡宮が鎮座する一帯は、飯田(まんまだ)の里と呼ばれるようになります。

鎌倉幕府成立直前の1189年。奥州藤原氏との合戦に臨んだ源頼朝は、
先の藤原秀郷の戦勝祈願を知り、自らも当八幡宮に参拝。境内に松を植えました。
この松は、1905年(明治38年)に枯死するまで『頼朝手植えの松』として、
氏子らにより大切に守られていたそうです。

さらに江戸時代に入り、日光街道が幕府の手により整備されると、
この地がちょうど日光と江戸の中間点となることから、
地名が飯田(まんまだ)から間々田(ままだ)へと改められました。
以降、松尾芭蕉も宿泊するなど、日光街道11番目の宿場町として、
間々田宿は大変栄えることとなります。

また、この時代には朝廷が日光東照宮に毎年例幣使を遣わしていましたが、
当八幡宮が大変由緒あることを聞き、
道中必ず参拝することが習わしとなっていたそうです。
神社は1712年に神階正一位を授位。
しかし、1800年初頭の享和年間に惜しむらくも社殿焼失。
郷人たちは、社殿の燃え残った灰を集めてご神霊とし、仮殿を建てて安置しました。

念願の社殿再建が成ったのは、その約50年後の1851年。
この再建工事に関係した職人は、
折しも東照宮大修理にあたって各地から集められた宮大工達で、
本殿内外の彫刻に、今もその優秀な技術をしのぶことができます。


◇最寄りの駅

■JR宇都宮線 間々田駅で下車(上野より普通列車で約1時間10分)

■東北新幹線ご利用の場合は小山駅で下車。
 JR宇都宮線で東京方面に1駅戻ります

■間々田駅からは、車で約5分、徒歩約30分。
 駅西口から、タクシーかコミュニティバスをご利用下さい。

※バスの場合は「間々田四丁目公民館」バス停にて下車。神社看板と鳥居を目印に交差点を左折。
約1km直進すると神社入り口の二の鳥居に到着します。

◇所在地

栃木県小山市間々田2330

<間々田八幡宮 ホームページより >
https://www.mamada-hachiman.jp/






◇5月は 

7(火)10(金)14(火)17(金)21(火) 24(金)28(火) 31(金)

11(土) 15(水)25(土)

午後1時より鑑定いたします





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