新横浜 占いの真龍堂

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神社めぐり 1594 鹽竈神社

2021-04-04 04:42:52 | 占い
新横浜 占いの真龍堂です

安産祈願の神社を巡ります

今回は 鹽竈神社 です


鹽竈神社の御祭神は別宮に主祭神たる塩土老翁神・左宮に武甕槌神・右宮に経津主神をお祀りしておりますが、
江戸時代以前はあまり判然とせず諸説があった様です。
陸奥國最大の社として中古より崇敬された神社の御祭神がはっきりしないのは奇異な感じがしますが、
呼称も鹽竈宮・鹽竈明神・鹽竈六所明神・或いは三社の神など様々あった様です。
そこで伊達家4代綱村公は社殿の造営に際し、当時の名だたる学者を集めて研究せしめ現在の三神とし、
又現在の別宮の地にあった貴船社と只州(糺)宮は現在の仙台市泉区の古内に遷座されました。

鹽竈神社の創建年代は明らかではありませんが、その起源は奈良時代以前にります。
平安時代初期(820)に編纂された『弘仁式』主税帳逸文には「鹽竈神を祭る料壱萬束」とあり、
これが文献に現れた初見とされています。
当時陸奥国運営のための財源に充てられていた正税が六十萬三千束の時代ですから、
地方税の60分の1という破格の祭祀料を受けていた事が伺われます。
しかし全国の各社を記載した『延喜式』(927年完成)の神名帳にはその名が無く、
鹽竈神社は「式外社」ではありましたが中世以降、東北鎮護・海上守護の陸奥國一宮として重んじられ、
奥州藤原氏や中世武家領主より厚い信仰を寄せられてきました。
特に江戸時代にはいると伊達家の尊崇殊の外厚く、
伊達政宗以降歴代の藩主は全て大神主として奉仕してまいりました。
よって江戸時代の鹽竈神社には歴代の宮司家が存在せず、実質祭祀を行っていた禰宜家がおりました。

鹽竈神社が発展してきた大きな要因に鎮守府としての国府多賀城の存在が考えられます。

多賀城の地に国府が置かれると、その東北方向つまり「鬼門」に位置し、
蝦夷の地に接していた当社が国府の守護と蝦夷地平定の精神的支えとして
都から赴任してきた政府の人々に篤く信仰されたものと考えられます。

その流れが今度は武家社会に入ると陸奥國総鎮守として一層尊崇を集めてきたものでしょう。


鹽土老翁神は古くより航海・潮の満ち引き・海の成分を司る神、
左右宮の御祭神は武運・国土平定の神として信仰されて来ました。

そこから海上安全・大漁満足・武運長久・国家安泰の信仰は早くからありましたが、
やがて人の生死は潮の満ち引きに深い関係があり、又海が産みに通じるところから
安産守護・延命長寿、また別宮の祭神は無事道案内をされ、
左右宮の祭神は東北平定を終え凱旋(無事還った)した事から
交通安全、必勝・成功(商売や営業の繁昌)等の信仰が盛んとなりました。
更に当社が多賀城の鬼門の守護神であった事から厄除け・方除けの信仰も盛んとなりました。

しかし地元の方々はどんな祈願もすべて「しおがまさま」へと足を運びます。



◇所在地

宮城県塩竈市一森山1-1

◇交通アクセス(最寄りの駅)

JR仙石線 本塩釜駅より
表参道(表坂)の石鳥居まで徒歩約15分
東参道(裏坂)の石鳥居まで徒歩7分
社務所前まで徒歩で約15分、タクシーで5分

<鹽竈神社 ホームページより >
http://www.shiogamajinja.jp/



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