京都の町を歩く度に思うこと
それは街中にお札をはじめ、沢山の神様にお守りしていただくための
縁起物などが軒先にあること
それらは確かに人間の気持ちに依るものがほとんどですが
逆に「人の気持ちほど強いものはない」ということの象徴なのではないかしら?
粽(ちまき)の形が、ちょっと見、美味しそうと思ってしまう私
宗という字には「集める」という意味があるそうです
ん!確かにいくつも集まっている感じが・・・そういう意味じゃないのかなあ?
昔、旅の途中のスサノオノミコトが悪天候で困っていました
蘇民将来という男性がスサノオを助け
ミコトは感謝して、疫病が流行るから気を付けろと忠告し蘇民一家は難を逃れました
それ以降、疫病除けに「蘇民将来子孫家門」と書いて掛けるようになったといわれています
伊勢にはまた違う形の飾りがあります
「蘇民将来子孫家門」を略して「将門」と称することもあったそうですが
「平将門」に通づることから、あえて「笑門」と表すこともあります
娘は「川床」も知りませんでした
東京にはそのような文化はないし、1年に1回ニュースで見るだけでは
興味ない人は覚えてなくても仕方が無いですね~
でもそろそろ覚えて欲しいなー(私も体験したことないけど)
これもバスの中から撮ったので残念ながら正面ではないですが
海老蔵の写真がありました
彼も少しづつ復帰しているのですね
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娘が行きたかった場所、祇園
やはり「舞妓さんの集まる華やかな場所」というイメージがあったみたいです
(それは、夜の話では?)
明るい昼間は、何のことはない作られた京都のイメージの場所をそぞろ歩きするだけでした
それでも近くに町家風のカフェを見つけ、入店~(つづく)