父の実家のお墓に来ました。
あぜ道を歩いて入口まで進まなくてはなりません。
この時は草を刈って貰った後だったので、杖をつきつつ歩く父も歩を進めることが出来ました。
ご近所の方々が年に2回、きれいにしてくれているそうです。有難うございます。
以前はこの辺り一帯は父の実家の土地だったらしいのですが
戦争後、小作人と呼ばれていた人々に畑を配分したのをキッカケに
没落傾向に傾いていったと父が教えてくれました。
残った小高い山の片側、お墓のある場所だけが残ったそうです。
ここで採れる竹の子が太くて美味しいと父は遠い目
従姉の父(Y雄伯父さん)が晩年、墓守のような状況で一人この小山に住んでいたそうです。
Y伯父さんが亡くなってから、お墓に行くのにも難しいくらい藪や竹が生い茂ってしまい
今回も墓前まで行くことが出来ませんでした(私の祖母とY伯父以外は土葬!でした)。
それでも父は少しでも父母や兄弟・先祖のお墓の近くまで行きたかったようです。
年を経るとそういう気持ちになるのでしょう。
ここのお墓たちも山もなくなってしまう前に父を連れてこられて良かった!
お墓からの帰り道、私が「元のおばあちゃん家(父の実家)がどうなっているか見たい」とリクエストしたので
ぐるっと廻って立ち寄ってみました。
川の左側が私の知っている父の実家のあった場所。
護岸工事もされて、土を盛られ、建物は当然なくなっているので、昔をしのぶものは川だけです。
それでも従姉と父は、川で溺れた従姉を父が救ったことなど昔話に花が咲きます。
歩道橋の下には小さな滝があります。
その脇には大きな水車があって、脱穀や製粉したりしていたそうです。
(水車がなくなってから私が生まれたので覚えていません・・・)
私の知らない父の実家にまつわる話も多く、既に鬼籍に入っている実母の話も教えてくれました。
ふと周りを見ると、目の前の橋や近くの商店の並びなどは記憶と重なる部分があります。
私も結構、覚えているものなのですね。
道の駅好きの父と私。これから「那須与一の郷」に道草しま~す(*´ω`*)