3月4日・5日と林野庁の「山村再生総合対策事業」の全国研修会があった。私もパネラーやコーディネイターとして、参加させていただいた。
実は、この事業は事業仕分けの対象となり、本年度が最終となる。今回の研修では、事業の再開を惜しむ声が多かったことを記しておきたい。
さて、現在の「山村再生総合対策事業」の前身事業に、「山村力誘発モデル事業」というものがあった。この事業はコミュニティづくりを中心であったが、それとは別に山村ビジネスあるいは人づくりを支援する事業があり、それらの事業を一本化する形で、「山村再生総合対策事業」が立ち上がった。
事業の変遷はともかく、この「山村力(やまぢから)」という言葉は、奥深い、いい言葉である。事業が無くなったから死語になるのではもったいない。
「山村力誘発モデル事業」の一環として実施された「山村力コンクール」では、募集にあたり、「山村力」を次のように定義した。
「山村での様々な体験、教育、労働、生活の場を求める都市住民のニーズの高まりに対応し、山村へ人や資金を導入しつつ定住者を確保し、森林の整備・保全を持続的に推進し得る山村の活力」
今、読み返してみるとなんだかよくわからない定義である(苦笑)。山村活性化という目的を目指し、それを支える基盤のようなものを指しているのが、具体的には何を言うのかを書いていない。
私自身は、環境分野をベースにしており、環境省の仕事を多く行ってきましたが、環境分野では「地域環境力」という言葉がある。「地域環境力」については、2003年版環境白書で、次のように記述している。
「地域資源の把握と主体間の連携を行っていくことで、地域が一つの方向性(目 標)を共有することとなり、地域に於ける各主体がより良い環境、より良い地域を創っていこうとする意識・能力が高まっていくことになる。こうして得られる地域全体としての取組意識・能力の高まり─これを「地域環境力」と呼ぶ。」
「地域環境力」の定義は、地域における主体の意識・能力のことを指しているだけ、まだ具体的である。
私は、環境省の関連調査の企画書コンペで、「地域環境力」を、個々の主体の力と主体間の関係(つながり)の力と定義し、採択を得た。特に、関係の力が重要である。個々の主体の意識や能力が高いだけでなく、主体がつながることで地域全体の力は強くなる。以前のブログにも書いたが、この関係の力は、社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)と同義である。
「山村力」もまた、そこに住んでいる住民や企業、行政の意識や能力であるとともに、住民や企業・行政のつながりの力、あるいは他地域あるいは都市とつながる力と定義できる。
現在の「山村再生総合対策事業」が目指すところ、そしてこの事業が無くなったとしても、山村再生に係る取組みやその支援事業が目指すところは、やはり「山村力」の向上だと思う。
実施した取り組みがどれだけ儲かったのか、何人参加したかだけが成果ではない。その取り組みで、どれだけ人の意識が代わり、人と人のつながりが高まったか、そうした「山村力」の向上を成果目標とすることが大事である。「山村力」が強まることで、その取組みの継続性が高まる、そこから別の新たな取組みが創造される波及性も高まる。
そして、「山村力コンクール」に関連して、作家・立松和平氏のことを書いておきたいす。同氏は同コンクールの委員長を務められた。
故人となった同氏は、審査委員の意見を尊重しつつ、強いこだわりを持って山村への取組みを審査し、応援をされていた。同氏が大切にしていたことは、大きな事業の大きな成功ではない、地域住民が自分達の力で、地域に根ざして取り組むことである。
こうした同氏のこだわりから、宇気郷公民館の「雛(ひいな)クラブ」の取り組みが表彰対象となったことがある。高齢化率70%にせまる50戸ほどの地域で村中におひなさまをならべる、小さな、小さな取組みである。
同氏は、地域に根ざし、自分達の出来る範囲で楽しみをつくろうという試みを表彰することで、その地域の人々はきっと自信を持ち、元気になれるだろうという気持ちから、同氏はこの取組みの表彰にこだわった。
また、同氏は、表彰に該当するような応募がないという議論になったとき、「表彰するということが、林野庁がその取組みにつながりを持つことである。どこも表彰しないとか言わないで、林野庁ができるだけ沢山の表彰をして、あちこちとつながっていくことが大事だと」とも言われたことを思い出す。
地域の人が元気なり、勇気を持つこと、そして他とのつながりを高めること、それはまさに「山村力」を高めることに他ならない。「山村力」という言葉、もっともっと大事したいコンセプトである。
立松和平氏のご冥福をあらためてお祈りするとともに、同氏が大切にされた「山村力」というコンセプトの重要性を見直し、それをテーマとする事業の復活を検討していただきたいと願うばかりである。