サードウェイ(第三の道) ~白井信雄のサスティナブル・スタイル

地域の足もとから、持続可能な自立共生社会を目指して

地球温暖化「緩和策の失敗」

2011年07月17日 | 気候変動緩和・低炭素社会

地球温暖化緩和策とは、温室効果ガスの排出を削減する施策、すなわち低炭素施策のことだ。京都会議で6%削減という約束を守るために、多くの努力がなされてきたが、どうも最近、「緩和策の失敗」という観念が頭にこびりついてしまった。

××の失敗というと、××が持つ本質的な限界や構造的制約等を指摘する場合に使われるように思う。「緩和策の失敗」といっても、たまたま景気が悪かったとか、リーマンショックがあったとか、想定外(!)の大震災が起こったとか、政権交代で政争の具になったとか、めぐりあわせの部分もあるようの思うし、構造的な問題とまでは言い切れないかもしれないが、とにかく思ったことを書いておく。

とりあえず観点のみ。緩和策の単純な批判ではなく、改善点の提示である。

「緩和策の失敗」の1つめは、温室効果ガスの排出削減目標だけを基準にしてしまったことだ。削減〇〇%という数字目標をどうするかばかりにこだわり、原発を正当化することについては十分に議論がなされなかった。生活の豊かさや経済の目標等も含めて目標にしないと、生産活動が停滞して温室効果ガスが削減された場合でも、結果オーライでOKになってしまう。電気の排出原単位や活動量次第で削減数値が決まるようでは、削減努力もむなしいだけだ。

2つめは、地球温暖化という不確実性のある現象をあまりに固定化した事実のように扱っていないかという点。温暖化にかかる不確実性は、温暖化という現象、その原因、影響、対策効果の各々においてある。そうした不確実性をもっと明確にして、不確実性のある将来リスクに対して、どう対処すべきかを合理的に決定するプロセスを確立することができないだろうか。特に、世界や国レベルでは不確実性が検討されたとしても、トップダウンでおりてくるときには、数値目標が固定化されている。不確実なのに確実とされてしまっては、反感を持つ人がいるのも仕方ない。

3つめは、緩和策を景気対策にしようとしすぎていること。グリーンニューディールやらエコイノベーションやら、掛け声はよいし、環境投資が経済を支えることを否定するわけではない。ただ、将来にどのような産業を目指すのか、地域産業の切り捨てを加速するようなことでいいのかと疑問に思うことも多い。たとえば地域のローカル線や路線バス、あるいは森林・林業等は本来的な意味でエコビジネスである。プリウスや省エネ家電だけを支援するのでなく、もっと他に支援するビジネスがあるはずだ。

さらに4つめ。地球温暖化問題の根本として、大量生産・大量消費・大量廃棄型の文明のあり様が問われているのに、そこに踏み込んだ議論が十分になされていない。家電製品や自動車等の便利さの享受を前提にして、技術や制度での問題解決は本当にできるのか。根本に踏み込まずに、解決を先送りしているだけではないのか。

震災・原発事故以降、エネルギー問題への関心の高まりがみられる中、緩和策も失敗を見直し、立て直しを図ることが可能となる。失敗を改める方策を次に例示する。

・温暖化防止計画の扱い範囲の見直し:エネルギーと温暖化を一体的に扱う計画

・不確実性を扱う政策手法の確立:災害等の含めて不確実性の扱い方のツール化

・エコビジネスの定義の見直し:小さなエコビジネス・構造的エコビジネス支援

・問題根本の議論:題の根本に踏み込んだ国民的コンセンサス会議(10年くらいかけて)の開催 

など

 

 

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