心人-KOKOROBITO-

亡き先人と今を生きる人に想いを馳せて
慰霊活動や神社参拝で感じ取った事を書き綴った日記と日々の雑感コラム

【8】福島の地に立って

2012年01月11日 | 震災



南相馬市で感じたお亡くなりになられた人々の想いに触れ、衝撃的事実に向き合うためには、やはり時間がかかった。なんたる潔さだ。環境がもたらす人間の精神に感嘆としていた。

人々は助け合いながら、それでも自立心を持って生きていたのだろう。それは、どこか公のための生きるという部分を胸に秘めた人々の死のように感じていた。わたしは改めて、震災時における福島県民の生き残った人々の冷静さ、気丈さ、情の深さに感銘しつつも、3月11日まで確かにあの場所で生きていた亡き人々の潔い死の受け入れ方、自ら想いの浄化をされた事に対し、想像出来なかった事を自省している。しかし、その後去来した胸の内を言えば、彼らの死への尊敬の念であった。

わたしは、この2年あまり沖縄県糸満市にある白梅之塔へ慰霊を行なっている。年に数回しか行く事は出来ないが、今はほとんどなくなってはいるが、最初訪れた時、64年あまり経っても、まだ想いが強烈に残っていた。もちろん、亡くなった少女達は、死を受け入れるにはあまりにも幼い年齢でもある。その上、自決という自分の生きたい希望と反した死の結末が、この世に対し残した想いがより強固となったのだろう。

あの死と、この震災で亡くなられた方々との死の狭間で、人間が人生として生まれてから死ぬまでの与えられた期間を、どのように生きたか、なぜ人は生まれ死ぬのか、この生命への不可思議な点に対し、生命を与えられた期間でどれだけ向き合い、感じ、考え、一つずつ確信的に自身を納得させて来たか、この差によるものだろうと感じていた。もちろん、死へと追い込まれた原因でもある人為的な戦争と、天すら止める事が出来なかった災害というものには隔たりはあるが、「不条理な死」と言う立場は近しいものだろう。

わたしは、この想いに対し、慰霊という観点から、この両者の死を深く掘り下げて見つめていた。




車は、福島駅へと向かう。

来た道を戻るのではなく、今度は114号線をひた走る。川俣町を抜ける道だ。




南相馬市を後にする時、こんな横断幕を見て、うるっと来た。本当に、自衛隊や警察や消防団やボランティアの方々の尽力に感謝だ。わたしは宮嶋茂樹さんの「再起」という東日本大震災の写真集を購入したが、後半部分は自衛隊の活動が綴られた写真が占めていた。彼らの存在意義についても、今後わたしたちの手によって答えを出す時期も近いように思っている。



車中はとても静かだった。なんというか、胸いっぱいになった後、無言になった状態とも言える。福島県では、原発事故の影響を100%受けている地域である事、この事実は体感として避けることは出来ない。暗く重たい事象の中で、光を見つけ出す事は実に大変な事なのだ。

だが、わたしが逢った人々は、皆明るかった。それは、気丈さ故の振る舞いなのかもしれないが、親しくない人に、己の私心を伝える事は、”恥だ”という概念を持って生きてきた人々が多いのではないかと感じている。それは、自分の苦慮を他者に言葉で発せず、自身の胸の内にそっとしまう、まさしく武士道の「忍ぶ」という精神にも繋がっており、わたしは数名の福島県民としか話してはいないが、この姿勢に対し共感するものが過分にあった。

他者と接する時、凛としたものを感じさせてくれる人々。この姿勢によって、震災の悲惨さが緩和され被災地でない他所に伝わっているようにさえ感じていた。例えはよろしくないが、わたしの住む関西と比較すれば歴然だろう。言葉に語弊があるかもしれないが、私心を安易に人に伝える人々が多く住んでいるのが関西である。わたしは、こうした関西特有の風潮に、馴染めないでいるが、身近にそういう人がいる環境で過ごせば、反面教師として学ぶ点も実は多い。

1995年1月の終わりに、わたしは阪神大震災で救援物資を運ぶ手伝いを行なった事がある。この時、窓口になってくれた女性は、救援物資の流通に偏りがあると嘆き、私たちが運ぶ物資に大変感謝してくれた。

運んだ物資には、シュークリームと三笠饅頭があった。これは被災地からの要望でもあるお菓子である。なぜ、このお菓子を運んだかと言えば、彼らは食事提供で甘味類を一切口にしていないため、それらを欲している、それが選ばれた理由だった。

連絡を取った女性が現地でこぼした言葉は、懸命に動いている彼女を甚く傷つけるものだった。「最初はみんな順番をきちんと守り食事も待っていたんですが、同じ食事が出されると、『また同じもの?』と言う人が増えていましてね、中には、避難場所にはいなくて自宅に戻ってて、食事の時だけ並ぶ人もいて、本当に腹立たしく思える時もあるんです。」という、切ない愚痴をこぼされた事は、今でも鮮明に覚えている。

少数ではあるが、大なり小なり皆等しく自宅が倒壊し、身を寄せ合う人たちの中から、私心を口にする事によって、その和に無意識にヒビを入れる外道な人もいる。こういう方々は、こころない言葉を安易にこぼす。

しかし、今回の被災地はどうだっただろう。おにぎりを1つもらえた人は、半分に割り、もらっていない人に分け与えているシーンがあちこちにあった。また、メディア関係者にも労い、被災住民がメディア関係者へ手厚くもてなすシーンをわたしはテレビで見た事もあった。中学生達も積極的に食事を作り運んだり、大人と同じ活躍を自発的にし、ご高齢者等のケアをしつつ励ましている場面も見ている。

もちろん個人の差によるものではあるが、人は、究極的な場面に追い込まれた時、人間の資質が無意識に出ると思っている。南三陸町の防災無線にて「避難してください!」と叫び続け、津波に飲まれお亡くなりになった遠藤未希さんもその一人だ。このような公のために率先して無心で行なえる人というのは、誰から教わったものでもない。また誰からか強制や強要されたものでもない。自発的に無心で行なっている。これらの行いが出来るのは、持って生まれた資質があるからだ。彼女の行いの尊さは、この資質を究極的な場面で最大に発揮した点に尽きるだろう。誰にでも出来るものではないという根本の理由は、人間の資質だからである。

この資質を持った人々が人口密度の割りに多く住んでいた地方、それが東北地方ではないだろうかと推測出来る。究極的な場面こそ、人間の資質が表れる。その個人の集合体である「地域」。地域の特性とは、そこに住む人間の資質の集合体だろうと逆説的にわたしはこの旅で感じ取っていた。

話を少し戻すが、震災を経験した兵庫県神戸市は、政令指定都市であり且つ神戸港と言う貿易の窓口にもなる都市だった事も幸いし、復興するまでには時間をかなり短縮出来た。しかし、今回の東日本大震災は、被災した地域が広大だったとは言え、決して都市部とは言えない地方だ。もしも、東京や大阪や名古屋や福岡などと言った人口密度が高い地域であったなら、ここまで復興への時間の遅れはなかっただろう。

それに加え、「原発事故」この未知なる試練の体験に、時の政府は本当に翻弄してしまった。復興の手順にも誤りもあった。しかし、突き詰めていけば、人口の少ない地域に向けられる物事の取り組みは、都市部と比較すれば、政府は手薄のように思えてならない。

ここに垣間見れるのは、日本を一つと考えた時、政府の対応は功利主義を用いる事が主流となっている。民主主義の中において、日本政府が選ぶ正義。ここには大勢を救うために少数=弱者を切る考えがある。これを回避させるには、やはり被害にあった当事者である地域が大きな声を出し、そして、その他の地域もそれに同意する連携こそが、政府の背中を後押しするのだろう。

今の政府は私心を持った政治家が極めて多いため、世論に弱い。世論とは、彼ら政治家に間接的な見えない恐怖心をも抱かせるものだ。もし仮に公のために働く資質を持った政治家が政府にいるとしたならば、世論に左右される事なく、とっくに正しき対処を行なっているはずだろう。

わたしは、福島の地に立って、改めて、この被災地域に住んでいる人々の特性、つまり我慢強く耐える事が出来る人々の事を、政府は軽く受け止めているように感じていた。

橋下徹大阪市長の当選後に起った動き、それが国や地方を司る職務の彼らの性質と本質だと感じている。強いものには迎合する、これが骨の髄まで染み込んでおり、何の恥じらいもなく昨日発言した事を自ら覆す事が出来てしまう。

震災の表に浮かび上がる被害の裏で、復興の妨げになるものは、人が持つ私心の在り方だ。全員が、同じ一つの目標を持ちながら動けば、あの震災からわずか49日で復旧した、JR東海道新幹線のような見事な連携が出来るはずだ。原発事故も、決して特別ではない。原発内の事故そのものが終息に向かったとしても、未だに放射能汚染のマップも円形状を用い、それが何の確かな情報ではない事も政府は改善していない。果たして、被災地の人々を真剣に助ける気持ちがあるのか?と問われても仕方がない一つの事例だろう。

この震災は、これまで長年築いてきた政治、行政、地域の特性など、日本そのものを、おのおのが根本を省みるきっかけになっていると感じている。また、それを行なう事が、この震災で亡くなられた方々の真の供養であると思っている。それは、何も被災地だけはなく、被害を被らなかった地域に住む人も含めての話だ。

明るく接しながらも、最後にこころの発露をしてくれた園長先生から見えてくるもの。
幼き園児達の無表情から見えてくるもの。
数時間の滞在ながらも、わたしの胸に問いかけるものは、有り余るほど多かった。


(つづく)

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