峯城は三重県亀山市川崎地区にみごとな遺構が残る平山城です。
当初は1300年代初めに築かれたと伝わります。その後、織田信長の伊勢侵攻
賤ヶ岳合戦の前哨戦での秀吉軍の包囲、などの経過の中で多くの改修・強化が
なされて今見る姿になったと思われます。
城域は主に南の主郭部、中間部、北部の三つに別れています。主郭部には伝天守台と
いわれる遺構があり、この部分だけに石垣が残っていますが殆どの部分は土の城です。
南北約500m、東西約300mの長大な城域の遺構には6ケ所ほどの虎口遺構が残り
虎口の形態も、重ね虎口、桝形虎口、平入り虎口など虎口のオンパレードです。
※今秋 9月16日(日)の東海古城研究会の見学会で訪れる予定です。

次々に現れる形態の違う虎口
城域が広いので、きちんとした縄張図を見ながら見学しないと見落としてしまいそう
です。地元の保存活動が熱心に行われていて、案内板の設置が細かく行われていました。
伝天守台
主郭を取巻く高さ6mの土塁上に天守台といわれる遺構が残ります。
ここだけは石垣が積まれていたようで、崩れた石垣や裏込石が見られました。
また、土塁の下には天守台から転落したと思われる石も見られました。
かなり大きな伝天守台ですから、礎石建物が建っていた可能性が高いと思われます。
伝天守台付近の軒丸瓦
峯城では、各種瓦が発見されていて、今でも時々往時の瓦の発見があります。
ということは主郭の内部は、後世には茶畑になっていたそうですので、発掘調査を
すれば、この下に屋敷などの礎石建物の痕跡が見られるかもしれませんね。
伝天守台の土塁 高さ6mを測る
主郭を取り囲む土塁のボリューム感はすごかったです。土塁の麓を歩く人との
対比で、それが多少でも伝わるでしょうか。
峯城は峯城址保存会の方々の継続的な整備・保存活動が行われていて、とても
見やすくなっていて、感謝です。
※峯城址史跡保存会-FC2でWeb検索していただくと、活動状況や現地の最新情報を
ご覧になれます。
当初は1300年代初めに築かれたと伝わります。その後、織田信長の伊勢侵攻
賤ヶ岳合戦の前哨戦での秀吉軍の包囲、などの経過の中で多くの改修・強化が
なされて今見る姿になったと思われます。
城域は主に南の主郭部、中間部、北部の三つに別れています。主郭部には伝天守台と
いわれる遺構があり、この部分だけに石垣が残っていますが殆どの部分は土の城です。
南北約500m、東西約300mの長大な城域の遺構には6ケ所ほどの虎口遺構が残り
虎口の形態も、重ね虎口、桝形虎口、平入り虎口など虎口のオンパレードです。
※今秋 9月16日(日)の東海古城研究会の見学会で訪れる予定です。


城域が広いので、きちんとした縄張図を見ながら見学しないと見落としてしまいそう
です。地元の保存活動が熱心に行われていて、案内板の設置が細かく行われていました。

主郭を取巻く高さ6mの土塁上に天守台といわれる遺構が残ります。
ここだけは石垣が積まれていたようで、崩れた石垣や裏込石が見られました。
また、土塁の下には天守台から転落したと思われる石も見られました。
かなり大きな伝天守台ですから、礎石建物が建っていた可能性が高いと思われます。

峯城では、各種瓦が発見されていて、今でも時々往時の瓦の発見があります。
ということは主郭の内部は、後世には茶畑になっていたそうですので、発掘調査を
すれば、この下に屋敷などの礎石建物の痕跡が見られるかもしれませんね。

主郭を取り囲む土塁のボリューム感はすごかったです。土塁の麓を歩く人との
対比で、それが多少でも伝わるでしょうか。
峯城は峯城址保存会の方々の継続的な整備・保存活動が行われていて、とても
見やすくなっていて、感謝です。
※峯城址史跡保存会-FC2でWeb検索していただくと、活動状況や現地の最新情報を
ご覧になれます。