城と歴史歩きを楽しむ

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伯耆・米子城 石垣が立派な近世城郭 最近は「登り石垣」が話題に

2018-07-24 | 歴史
米子城は鳥取県米子市にあり江戸時代に因幡・伯耆の二ヶ国を領域とした鳥取藩となり、池田氏が治めました。伯耆の米子城は城代が置かれ、長く荒尾氏が務め明治に至りました。
 明治になり城の建物は取り壊されましたが、石垣の多くは遺構として残されています。

本丸には天守台を含む石垣遺構がしっかり残されている
山上の城郭遺構は驚くほどよく残っていました。
 山下の城内を囲む内堀、城下町を囲む外堀は都市化により埋められたが、南側を流れる加茂川が僅かにその面影を伝えていました。

本丸への道と石段
手前の石垣の角の算木積みは見事に整形されて角がしっかり出ています。道左側の石垣角は、石が揃っていなくて完全な算木積みと言えないような積み方になっています。積まれた年代に差があるのでしょうか。

腰曲輪から小天守台を見上げる
こちらも手前の石垣と小天守台の石垣はずいぶん印象が違います。石垣を積んだ年代の差とか、場所によって積み方を変えたとか、修復の積み直しが有ったなどの理由があるのかもしれません。

最高所からの見晴らしはGood! 米子港、中海などが見えます
戦国の戦う山城の時代を経て、近世は、舟運による経済力が大事になり海の港・川の港が必須の時代に入ります。米子城も中海に面した城の直下に御船手があり、海につながっていました。

米子城は登り石垣の遺構がよく残っているため、これを復元しようという動きが有るようです。「石垣」と言っても現在残っているのが石垣であって、もともとはこの上に塀が建っていました。米子城の登り石垣は城絵図に明確に残っています。以下のWebsiteで見ることが出来ます。
 鳥取県立博物館資料データベース→歴史民俗→鳥取資料(古絵図)を閲覧する→米子絵図とたどってください。多くの絵図が残されていますが、文久3年の絵図がわかりやすく、本丸と出丸(内膳丸)の間に描かれているのがそれです。