福井県勝山市の白山平泉寺は、みごとな苔で知られ苔寺ともいわれている。
現地案内板、パンフレットなどによれば、古く717年に白山信仰の神社として
開かれたが、神仏習合の時代になり、平泉寺となった。
中世には強大な勢力と戦力を持った城郭寺院となったが、台頭してきた一向一揆と
戦って破れ、兵火にかかり数千の坊院が灰燼に帰したとされます。
その後一部が縮小再建されましたが、多くの坊院は土の下に埋もれたままだそうです。
明治になって廃仏毀釈の波が押し寄せ、平泉寺も神社として蘇り平泉寺白山神社と
なり現在に至っています。
今回は、城郭寺院としての平泉寺に絞っての見学記です。
境内入り口付近に残された土塁 表示板あり
境内井入り口に、いきなり土塁遺構が有る。城郭寺院として防禦のために
築かれたものか?これだけ見てもよく分からなかった。
南谷発掘現場 発掘と復元が行われている
平成になって、平泉寺の南側で土に埋もれていた坊院跡のほんの一部の発掘調査が
行われ、ほぼ完全な形で石畳道や築地塀跡、側溝などの遺構が掘り出され、一部が
復元整備されました。発掘調査はかつての領域の100分の1程度だそうです。
※一乗谷の朝倉遺跡と同じような雰囲気でした。
堀、築地塀、石畳道が残る
南谷地区には堀跡がしっかり残っていました。築地塀と組み合わせて城郭寺院の
防御施設の遺構と見ることができそうです。
堀には石積が残る
堀の壁面はかつては石積で覆われていたらしく、今でも堀のあちこちに川原石の
石積が残っていました。この石は南に隣接して流れる女神川から運ばれたもののようです。
南谷の発掘現場は白山平泉寺に隣接しているので、足を伸ばして見学することを
おすすめします。石畳道だけでも十分な見ごたえがあります。
付近に勝山城博物館があります。
篤志家が建てた、勝山城とは無縁の建造物
勝山城は市役所などが建つ市街地にあり、市民会館に立派な城址碑が建っていました。
案内板もありましたので、位置関係がわかる部分を載せました。
※木陰で光が遮られて、不鮮明になりました。 クリックで拡大
現地案内板、パンフレットなどによれば、古く717年に白山信仰の神社として
開かれたが、神仏習合の時代になり、平泉寺となった。
中世には強大な勢力と戦力を持った城郭寺院となったが、台頭してきた一向一揆と
戦って破れ、兵火にかかり数千の坊院が灰燼に帰したとされます。
その後一部が縮小再建されましたが、多くの坊院は土の下に埋もれたままだそうです。
明治になって廃仏毀釈の波が押し寄せ、平泉寺も神社として蘇り平泉寺白山神社と
なり現在に至っています。
今回は、城郭寺院としての平泉寺に絞っての見学記です。

境内井入り口に、いきなり土塁遺構が有る。城郭寺院として防禦のために
築かれたものか?これだけ見てもよく分からなかった。

平成になって、平泉寺の南側で土に埋もれていた坊院跡のほんの一部の発掘調査が
行われ、ほぼ完全な形で石畳道や築地塀跡、側溝などの遺構が掘り出され、一部が
復元整備されました。発掘調査はかつての領域の100分の1程度だそうです。
※一乗谷の朝倉遺跡と同じような雰囲気でした。

南谷地区には堀跡がしっかり残っていました。築地塀と組み合わせて城郭寺院の
防御施設の遺構と見ることができそうです。

堀の壁面はかつては石積で覆われていたらしく、今でも堀のあちこちに川原石の
石積が残っていました。この石は南に隣接して流れる女神川から運ばれたもののようです。
南谷の発掘現場は白山平泉寺に隣接しているので、足を伸ばして見学することを
おすすめします。石畳道だけでも十分な見ごたえがあります。
付近に勝山城博物館があります。

勝山城は市役所などが建つ市街地にあり、市民会館に立派な城址碑が建っていました。
案内板もありましたので、位置関係がわかる部分を載せました。
※木陰で光が遮られて、不鮮明になりました。 クリックで拡大
