2018/7/15は東海古城研究会の定例見学会に参加しました。
テーマは、秀吉と家康・織田信雄連合軍が直接対決した小牧・長久手の戦いの時の小牧城を中心とした城郭と砦、関連史跡をめぐるものでした。小牧・長久手と一括りにしていますが、小牧と長久手の戦いは分けて考えて、小牧の役と長久手の役としたほうが良いという意見もあり、僕もその様に思いました。なお秀吉と家康が直接対決した戦いは小牧・長久手の戦いだけだったので、家康の天下取りの戦いは小牧・長久手の戦いだとする説も有るようです。
茶臼山砦(青塚砦) どう見ても古墳
茶臼山砦は、全長132mの前方後円墳を利用して築かれた秀吉方の砦です。以前は砦跡らしい遺構も残っていたそうですが、今は青塚古墳として整備されています。古墳の上まで登ってみたいところですが、残念ながら一般の見学者が登ることは禁止されてにいました。強烈な夏の太陽に照らされた緑の古墳を眺めて楽しみました。
楽田城 主郭や堀跡の地形が今も残る
小牧の役で秀吉が本陣を置き、家康の小牧山城と対峙しました。両城を起点に双方が砦と軍道を築いてにらみ合いました。どちらも廃城の再利用をした城でした。小牧山城は近年の発掘調査の成果で、信長の築いた石垣の城として脚光を浴びています。
楽田城は土塁と堀に囲まれた土の城でしたが、今は小学校が主郭のあった辺りに建ち、土塁は校庭と校舎の工事で消滅しました。それでも堀と主郭の高低差、堀跡の地形などが残っていて見どころとなっていました。
※写真奥が小学校(主郭)、手前が堀跡です。

楽田城 北側の地形 横矢掛り?
以前訪れたときは車だったので、走り抜けた道は堀跡で、今回ジックリ歩きながら見学すると、今は小学校の擁壁になっていますが、道路に出っ張っている地形が横矢掛に見えました。
小松寺山砦 小松寺の平重盛坐像と修造板
小松寺山砦は小松寺の裏山一帯に小牧の役の時に秀吉方によって築造されました。ここからは小牧山が良く見える絶好の場所です。小松寺の歴史は古く、清盛の息子・平重盛の荘園がこの辺りにあり、重盛によって寺の再興がなされたので、重盛の小松内大臣から小松寺と名付けたと伝わります。小松寺の重盛坐像の上部に掲げられている修造板の治承三年は重盛の没年なので、重盛の死を悼んで父清盛が像を納めたと伝わると解説がありました。
岩崎山砦 名古屋城石垣の石切場に残る刻印・鷹の羽と矢穴
岩崎山砦は南に小牧山城が間近に見える秀吉方の砦です。岩崎山と言えば後の名古屋城築城の天下普請で石垣の石を大量に切り出したことでも知られています。東海古城研究会の機関紙「城」の最新号に沢田伊一郎さんの「岩崎山石切場跡の刻印」という論文が掲載され、岩崎山の刻印について詳しく研究された結果が紹介されていましたので「城」を片手に見学する参加者も居ました。
見学先は多数だったのでご紹介しきれませんでしたが、地元なので一度ならず車で訪れたことがある場所が多かったにも関わらず、バスでの見学だったので駐車を気にせず、周辺も含めてジックリ見学出来て、充実した見学会になりました。
テーマは、秀吉と家康・織田信雄連合軍が直接対決した小牧・長久手の戦いの時の小牧城を中心とした城郭と砦、関連史跡をめぐるものでした。小牧・長久手と一括りにしていますが、小牧と長久手の戦いは分けて考えて、小牧の役と長久手の役としたほうが良いという意見もあり、僕もその様に思いました。なお秀吉と家康が直接対決した戦いは小牧・長久手の戦いだけだったので、家康の天下取りの戦いは小牧・長久手の戦いだとする説も有るようです。

茶臼山砦は、全長132mの前方後円墳を利用して築かれた秀吉方の砦です。以前は砦跡らしい遺構も残っていたそうですが、今は青塚古墳として整備されています。古墳の上まで登ってみたいところですが、残念ながら一般の見学者が登ることは禁止されてにいました。強烈な夏の太陽に照らされた緑の古墳を眺めて楽しみました。

小牧の役で秀吉が本陣を置き、家康の小牧山城と対峙しました。両城を起点に双方が砦と軍道を築いてにらみ合いました。どちらも廃城の再利用をした城でした。小牧山城は近年の発掘調査の成果で、信長の築いた石垣の城として脚光を浴びています。
楽田城は土塁と堀に囲まれた土の城でしたが、今は小学校が主郭のあった辺りに建ち、土塁は校庭と校舎の工事で消滅しました。それでも堀と主郭の高低差、堀跡の地形などが残っていて見どころとなっていました。
※写真奥が小学校(主郭)、手前が堀跡です。

楽田城 北側の地形 横矢掛り?
以前訪れたときは車だったので、走り抜けた道は堀跡で、今回ジックリ歩きながら見学すると、今は小学校の擁壁になっていますが、道路に出っ張っている地形が横矢掛に見えました。

小松寺山砦は小松寺の裏山一帯に小牧の役の時に秀吉方によって築造されました。ここからは小牧山が良く見える絶好の場所です。小松寺の歴史は古く、清盛の息子・平重盛の荘園がこの辺りにあり、重盛によって寺の再興がなされたので、重盛の小松内大臣から小松寺と名付けたと伝わります。小松寺の重盛坐像の上部に掲げられている修造板の治承三年は重盛の没年なので、重盛の死を悼んで父清盛が像を納めたと伝わると解説がありました。

岩崎山砦は南に小牧山城が間近に見える秀吉方の砦です。岩崎山と言えば後の名古屋城築城の天下普請で石垣の石を大量に切り出したことでも知られています。東海古城研究会の機関紙「城」の最新号に沢田伊一郎さんの「岩崎山石切場跡の刻印」という論文が掲載され、岩崎山の刻印について詳しく研究された結果が紹介されていましたので「城」を片手に見学する参加者も居ました。
見学先は多数だったのでご紹介しきれませんでしたが、地元なので一度ならず車で訪れたことがある場所が多かったにも関わらず、バスでの見学だったので駐車を気にせず、周辺も含めてジックリ見学出来て、充実した見学会になりました。