静岡県沼津市の興国寺城は、伊勢宗瑞(北条早雲)が初めて城主になった城で
今川氏の家臣から身を起こし、やがて戦国大名へと成長する起点となった城です。
その後、豊臣、徳川などの侵入してきた勢力によって、改修・補強がなされたとされ
今見えるのは、三河三奉行の一人、天野三郎兵衛の時に廃城となった姿のようです。
新東名高速の開通により。駿河湾沼津SAにETCインターが出来たので、訪れやすく
なりました。
巨大な土塁が残り、圧倒される
最大11mを測る土塁遺構が残っているが、往時はそれ以上の高さを誇る土塁が
ぐるっと取り巻いていたであろうことが想像できる。
土塁上の天守台と背後の深い空堀
北側の土塁上に天守台と伝わる方形の遺構が残っていました。土塁で囲まれた
北側は、深くて広い空堀で防御されています。
伝天守台の人物との比較で規模の大きさが実感できるでしょうか?
土塁上から堀底を歩く人を見る
土塁の上から堀底を歩く人を見ると、ちっちゃく見えて、土塁の高さと
ボリューム感が判ります。
本格的な土塁を見学したい方には、土塁を満喫できること間違い無しの
興国寺城です。
興国寺城から見える富士山
訪れる季節によっては、雪をかぶった富士山をバックにした景色を楽しめます。
天野三郎兵衛は、徳川家康の三河時代に奉行として活躍した戦国武将の一人で
仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三兵 と称されて今に伝わります。
仏と鬼に対して中庸であったとも、どっちつかずの優柔不断ともいわれます。
ちなみに鬼作左は「お仙泣かすな・・・」の本多作左衛門です。
興国寺城は地元の調査・保存活動が活発で、整備が行き届いていました。
今川氏の家臣から身を起こし、やがて戦国大名へと成長する起点となった城です。
その後、豊臣、徳川などの侵入してきた勢力によって、改修・補強がなされたとされ
今見えるのは、三河三奉行の一人、天野三郎兵衛の時に廃城となった姿のようです。
新東名高速の開通により。駿河湾沼津SAにETCインターが出来たので、訪れやすく
なりました。

最大11mを測る土塁遺構が残っているが、往時はそれ以上の高さを誇る土塁が
ぐるっと取り巻いていたであろうことが想像できる。

北側の土塁上に天守台と伝わる方形の遺構が残っていました。土塁で囲まれた
北側は、深くて広い空堀で防御されています。
伝天守台の人物との比較で規模の大きさが実感できるでしょうか?

土塁の上から堀底を歩く人を見ると、ちっちゃく見えて、土塁の高さと
ボリューム感が判ります。
本格的な土塁を見学したい方には、土塁を満喫できること間違い無しの
興国寺城です。

訪れる季節によっては、雪をかぶった富士山をバックにした景色を楽しめます。
天野三郎兵衛は、徳川家康の三河時代に奉行として活躍した戦国武将の一人で
仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三兵 と称されて今に伝わります。
仏と鬼に対して中庸であったとも、どっちつかずの優柔不断ともいわれます。
ちなみに鬼作左は「お仙泣かすな・・・」の本多作左衛門です。
興国寺城は地元の調査・保存活動が活発で、整備が行き届いていました。