ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

与野の神社 ・・天神さま、御嶽神社、天祖神社、大国神社

2014-05-12 23:02:10 | 史跡

与野の神社 ・・天神さま、御嶽神社、天祖神社、大国社

まず、与野公園内の天神様 

神池の中に小島が浮かび、神橋を渡ると、参詣できます。

 

与野の銭洗弁天

 ここで畠山重忠が刀を洗った、とあります。

畠山重忠の縁で、”銭を洗って商売繁盛”、銭洗い弁天になったそうです。

笊も用意されて、手持ちのお金を清めることが出来る。ただしお札はやばい、硬貨のみ。


天祖神社

天祖神社:寿老神

「寿老神」は、老子の化身だそうだ。1,500歳の超長寿を全うした長寿の神。この神様は中国の神さまだ。


御嶽神社 

  御嶽信仰の御嶽神社

御嶽神社はつつじや紫陽花が植えられていて、今の季節には斜面につつじが咲いて美しい。
神社自体は、小高い丘の上に小さな祠があるだけで拝殿などは無く、いたってこじんまりとしている。

同じ御嶽神社の字で、「みたけ」と読む場合と、「おんたけ」と読む場合とでは、神様が違うらしい。
「みたけ じんじゃ」は、蔵王権現を祭った神社、総本社は吉野金峰山寺の蔵王権現堂。
「おんたけ じんじゃ」は、木曽の御嶽山の木曽御嶽神社。ここは木曽系の御嶽(おんたけ)神社。

由来書・・・

与野は江戸時代から木曾御嶽講の盛んな地域であった。
とりわけ、与野の名主であった井原平八はその熱心な信者であり、布教に努めた。
更に、井原平八の養子の治兵衛は、行者となり、数万の信者を集め、
没後は一山霊神としてに祀られている。
江戸時代、幕府は御嶽講に禁圧を加え、井原は遠島に処せられた。
やがて、尾張藩主の取り計らいによって、御嶽講は解禁され、
井原平八も布教活動を再開するが、当社は、口碑によれば、
住民らの熱心な嘆願や御嶽講の解禁によって与野に戻ってから造った社であるという。・・・
省略した部分有り・・「埼玉の神社」より

この木曽の御嶽神社を調べていたら、面白いことが分かった。
この神社の数は、地元長野県よりも、愛知県が一番多い。
次ぎに岐阜県、埼玉と長野はほぼ同数で三位を争っている。
前々から、神社の一部は、水源を崇める風習があり、
水源の山岳は信仰の対象であったのではないかと思っていた。
御嶽山を源流とする木曽川は、濃尾平野を潤し、この地方に多大な恵みを生み出してきた。
これが・・・御嶽信仰で、どうりで尾張藩主が大事にするわけで、
愛知県と岐阜県に御嶽神社が多い理由は納得できた。
が、なぜ埼玉に御嶽信仰が多いのかは、なぞ・・いつか究明したい気がする。


大国社

最後は、大国社だが、由来を見てもよく分からない。
江戸時代以前は、ここは権現様と呼ばれていたらしく、
神仏習合の習いであるようだが、祭神は後世に祀ったもののようだ。

祠を見ると、所狭しと”わらじ”が吊ってあり、どうやら足の神様のようだ。

与野のこれらの神社は、約200mの範囲に四社がひしめき合っている。
何故だか分からないが、商売の神様が主役のようで、
恐らく神社群の背景地になる与野本町の辺りは、むかし市が立ち、
賑わっていたのだろうと思ってしまう。

 

 

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ウクライナ慕情

2014-05-12 18:01:15 | 時事ニュース

ウクライナ慕情

  戦車の写真

コサックとコーカサス草原・・・・この言葉の響きは懐かしい。
かつてロシア文学に憧れた時期、同類があちこちにいた。 
「ショーロホフ」は「静かなドン」を書き、その前「トルストイ」 
は「コサック」を書いた。僕らの・・ボクの知っている「コサック」
と「コーカサス」はロシアそのものであった。                   

コサックの起源については不明な点が多い。                   
15世紀後半にコサックは、ウクライナの中南部、「荒野」という
草原地帯で発祥し、ドニプロ川の中流を中心とするザポロージャ
地方に根拠地を築いた。                                              
16世紀にコサックの一部はドン川の下流に移住し、そこで新たな
根拠地を創立した。                                                   
それらのコサックはザポロージャ・コサックとドン・コサックと     
呼ばれ、コサック諸軍の中で最古軍であった。                    

 コーカサスの高原

コサックは、騎兵・・・馬に乗った勇敢な騎兵が、どこまでも続く
コーカサスの草原を疾走する姿はロマンがあった。           
実際は海賊を生業としていると知っても、あまり暗さを感じる
ことはなかった。                                                   
ロシア革命があった時代やその後、ロシアを学ぶものは多かった。
自分の周りにもロシア史を専攻するものが何人かいた。             
その周辺にいた自分も、ロシアについては関心が深く、              
多少多めに、情報を見聞きする機会があった。                        
「ショーロホフ」の「静かなドン」は、ロシア革命時代のコサック
の運命を描いた大河小説である。                                 
ウクライナの旧体制に反旗を翻したコサックは、やがてレーニンの
ボルシェヴィキと対立し、やがて敗れて飲み込まれていく。         
そこの揺れ動く、肯定と否定に、”力強くも物悲しい生きざま”       
をみると、・・・・・・また繰り返すのでしょうか。                          

 コーカサスの教会と墓地

ウクライナは、多民族国家で、
-------------------------
民族       人口    %
ウクライナ人   37,541,700 77.8
ロシア人      8,334,100 17.3
ベラルーシ人     275,800 0.6
モルドヴァ人     258,600 0.5
クリミア・タタール人 248,200 0.5
ブルガリア人     204,600 0.4
ハンガリー人     156,600 0.3
ルーマニア人     151,000 0.3
ポーランド人     144,100 0.3
ユダヤ人       103,600 0.2
アルメニア人     99,900 0.2
ギリシア人      91,500 0.2
タタール人      73,300 0.2
ロマ人        47,600 0.1
アゼルバイジャン人  45,200 0.1
グルジア人      34,200 0.1
ドイツ人       33,300 0.1
ガガウズ人      31,900 0.1
その他        177,100 0.4
--------------------------
上記表のように複雑です。

クリミヤが、住民投票でロシア併合を議決してロシアになったため、
クリミア住民を除くと数値は変化します。                                

                               ウクライナ人は、それぞれに分解できそうです。                                                       

                                                                   ウクライナの住民デモ

中には、西欧と経済的に仲良くしようとする人がいます。             
中には、ロシアと仲良くしようとする人がいます。                      
この綱引きが、現在のウクライナの現状だと説く人がいます。       
TVなどの解説の論調は、このとうりなのですが、そして              

米国のオバマや英国のキャメロンなどはこの論調の主導者のようです。
・・・これが”たてまえ”。                                                     
”ラブコールされれば、建前はむげにも出来ません。                     

しかし現実はもっと複雑で、ウクライナは、汚職・賄賂横行で、           
かつ経済基盤が弱く、ギリシャ・イタリア・スペインなどと同様、           
欧州経済圏に同盟すれば、足を引っ張られて経済的に沈没しかねない、
と東ドイツを併合して苦労したドイツのメルケルは本気で                  
危惧しているようです。                                                          

これは、ロシアのプーチンも同様で、クリミアは別ですが、       
ウクライナの経済を支えて経済負担が増えれば、ロシアも沈没
しかねないと本気で懸念しています。・・・これが本音。          

 キエフ  

 雀の巣

ソ連・ロシアを通じてのウクライナ出身の政治家は、
フルシチョフとブレジネフとトロツキー。                
文学者は、トルストイとショーロホフ。                  
原発事故のあった「チェルノブイリ」はウクライナ。   
これらは代表の一部でしかありません。               
ウクライナの中には、”我こそロシア本流」の意識がかなり高い   
と言うことで、遠い日本から見ても、彼等政治家や文学者を見て、
ロシアそのものではないかと思ってしまいます。  

当然同族意識ですから、ウクライナからロシアに働きに出て
いる人も多いそうで、この両国の国境の敷居は高くありません。

もし、ウクライナに内乱が起これば、                                    
そしてロシア派が危機に陥れば、同族意識の強いプーチンは、     
ロシア派を守るべく出動するでしょう。                                   
その要諦を理解しているゆえに、ウクライナのロシア派は強気です。
そこには、経済的負担の増加を懸念する本音は吹っ飛んで、         
民族意識が優先してしまいそうです。                                     

ウクライナに、第二次世界大戦の戦後秩序は当てはまりません。        
ソヴィエト崩壊によって生まれた国です。                                    
民族自決の原則に従えば、おそらくその流れでしょうが、血が流れます。
誇り高き民族性故に、でてくる今後の読みは、悲惨です。                 

これが、ロシア文学をかじって、                                         
ロシア革命を学んだ、ロシアの民族性を多少知るものの結論です。

 

チェルノブイリがウクライナにあることは意外と知られていません。

いまでも、ウクライナとロシアがなぜ違う国なのか、分からない。
トルストイとレーニンに埋もれていた頃、ウクライナはロシアそのもので、
いまだにウクライナはロシアだと心の底でおもっている。

写真は画像集の中から、転用させて戴きま

コメント (2)
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