与野の神社 ・・天神さま、御嶽神社、天祖神社、大国社
まず、与野公園内の天神様
神池の中に小島が浮かび、神橋を渡ると、参詣できます。
与野の銭洗弁天
ここで畠山重忠が刀を洗った、とあります。
畠山重忠の縁で、”銭を洗って商売繁盛”、銭洗い弁天になったそうです。
笊も用意されて、手持ちのお金を清めることが出来る。ただしお札はやばい、硬貨のみ。
天祖神社
天祖神社:寿老神
「寿老神」は、老子の化身だそうだ。1,500歳の超長寿を全うした長寿の神。この神様は中国の神さまだ。
御嶽神社
御嶽信仰の御嶽神社
御嶽神社はつつじや紫陽花が植えられていて、今の季節には斜面につつじが咲いて美しい。
神社自体は、小高い丘の上に小さな祠があるだけで拝殿などは無く、いたってこじんまりとしている。
同じ御嶽神社の字で、「みたけ」と読む場合と、「おんたけ」と読む場合とでは、神様が違うらしい。
「みたけ じんじゃ」は、蔵王権現を祭った神社、総本社は吉野金峰山寺の蔵王権現堂。
「おんたけ じんじゃ」は、木曽の御嶽山の木曽御嶽神社。ここは木曽系の御嶽(おんたけ)神社。
由来書・・・
与野は江戸時代から木曾御嶽講の盛んな地域であった。
とりわけ、与野の名主であった井原平八はその熱心な信者であり、布教に努めた。
更に、井原平八の養子の治兵衛は、行者となり、数万の信者を集め、
没後は一山霊神としてに祀られている。
江戸時代、幕府は御嶽講に禁圧を加え、井原は遠島に処せられた。
やがて、尾張藩主の取り計らいによって、御嶽講は解禁され、
井原平八も布教活動を再開するが、当社は、口碑によれば、
住民らの熱心な嘆願や御嶽講の解禁によって与野に戻ってから造った社であるという。・・・
省略した部分有り・・「埼玉の神社」より
この木曽の御嶽神社を調べていたら、面白いことが分かった。
この神社の数は、地元長野県よりも、愛知県が一番多い。
次ぎに岐阜県、埼玉と長野はほぼ同数で三位を争っている。
前々から、神社の一部は、水源を崇める風習があり、
水源の山岳は信仰の対象であったのではないかと思っていた。
御嶽山を源流とする木曽川は、濃尾平野を潤し、この地方に多大な恵みを生み出してきた。
これが・・・御嶽信仰で、どうりで尾張藩主が大事にするわけで、
愛知県と岐阜県に御嶽神社が多い理由は納得できた。
が、なぜ埼玉に御嶽信仰が多いのかは、なぞ・・いつか究明したい気がする。
大国社
最後は、大国社だが、由来を見てもよく分からない。
江戸時代以前は、ここは権現様と呼ばれていたらしく、
神仏習合の習いであるようだが、祭神は後世に祀ったもののようだ。
祠を見ると、所狭しと”わらじ”が吊ってあり、どうやら足の神様のようだ。
与野のこれらの神社は、約200mの範囲に四社がひしめき合っている。
何故だか分からないが、商売の神様が主役のようで、
恐らく神社群の背景地になる与野本町の辺りは、むかし市が立ち、
賑わっていたのだろうと思ってしまう。