年末に
松・竹・梅と蘭の寄せ植えを戴き、玄関に飾っています
年末には、蘭は咲いていましたが、梅はまだまだ固い蕾でした
火鉢に炭火だけの玄関ですので
ポカポカ暖かいというわけではありませんので
ようやく数日前に梅が一輪だけ開き始め、満開になりました
まさに「梅開早春」です
梅開早春は
漢文として普通に読むと「梅、早春に開く」となり
「早春になって梅の花が咲く」という解釈になります
しかし
禅の世界では「梅、早春を開く」と読んで
「梅が咲くから早春だ」というふうに解釈します
早春「に」開くと、早春「を」開く
「春に」では、「春というものに出会って、花が咲いたり水が温んだりするのだ」ということ
「春を」では、「花が咲いたり水が温んだりというようなことのすべてが、春なのだ」ということ
同じようでいて、物の見方が全く逆になります
「春に」と言ったときには、春が主人公ですが
「春を」と言ったときには、世の中のすべてのものが主人公です
人がこの世で生きるということもまた然り、ということですね
なんだか、むずかしい話しになってしまいました (^_^;)
松・竹・梅と蘭の寄せ植えを戴き、玄関に飾っています
年末には、蘭は咲いていましたが、梅はまだまだ固い蕾でした
火鉢に炭火だけの玄関ですので
ポカポカ暖かいというわけではありませんので
ようやく数日前に梅が一輪だけ開き始め、満開になりました
まさに「梅開早春」です
梅開早春は
漢文として普通に読むと「梅、早春に開く」となり
「早春になって梅の花が咲く」という解釈になります
しかし
禅の世界では「梅、早春を開く」と読んで
「梅が咲くから早春だ」というふうに解釈します
早春「に」開くと、早春「を」開く
「春に」では、「春というものに出会って、花が咲いたり水が温んだりするのだ」ということ
「春を」では、「花が咲いたり水が温んだりというようなことのすべてが、春なのだ」ということ
同じようでいて、物の見方が全く逆になります
「春に」と言ったときには、春が主人公ですが
「春を」と言ったときには、世の中のすべてのものが主人公です
人がこの世で生きるということもまた然り、ということですね
なんだか、むずかしい話しになってしまいました (^_^;)