景清も花見の座には七兵衛 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「景清も花見の座には七兵衛」。芭蕉45歳の時の句。山本健吉は『芭蕉名句集』の中にこの句をあげている。
華女 「景清」とは、歌舞伎の役者か、演目だったのかしら。
句郎 歴史上の人物で平景清という武将だった。
華女 源平合戦の平家方の武将だったのね。
句郎 屋島の戦い、壇ノ浦の戦いに付き従った武将だった。なんで有名になったのかというと平家滅亡の壇ノ浦後も生き残り、諸国を流浪しながら頼朝暗殺を謀ったが、ついに捕えられ、鎌倉の化粧坂の土牢に閉じ込められ、覚悟を決め、断食して絶命したという。景清にまつわる哀しい伝説は全国に広がっている。悪七兵衛景清と言われ、歌舞伎、浄瑠璃、謡曲の演目になり、評判をとったようだ。
華女 恐れられた景清も花見の席では誰からも愛される人気者になったという句なのね。
句郎 花見の席ではおっかない上役がいても無礼講、みな対等にお酒を楽しむ。それが花見だという句と詠んでいるんだと思う。
華女 部下から嫌われている店長さんも花見の席では優しい好々爺ということなのね。
句郎 上野の花見を思わせるような句なんじゃないのかな。
華女 三百年前の花見も現代の花見も同じような情景があったのね。
句郎 縦社会の人間関係を前提に成り立つ花見の無礼講が表現されているということなんじゃないのかな。
華女 俳句は象徴詩ではなく、寓意詩だと言ったのは、山本健吉だったわね。
句郎 芭蕉のこの句はまさに寓意詩だと言えるような気がするな。
華女 だから山本健吉はこの句を芭蕉の名句の一つに選んでいるのね。
句郎 そうなんじゃないのかな。人間は社会を作って生きている。社会が無ければ生きていくことができない。社会の中で人間は役割を持って生きている。家族にあっては父、母、子供と。子供の対しては父、母、妻に対して夫、夫に対して妻というように与えられた役割を持って生きている。
華女 それぞれがそれぞれの役割を果たして家族が成り立ち、存続していくのよね。
句郎 でも家族が父でもなく、母でもなく、子供でもないただの人として家族が対面することがあったら、新しい人間関係がそこから生まれて来ることもあるんじゃないのかな。
華女 子どもが成人になるとそうでなければならないと思うわ。でもなかなかできないのよね。
句郎 そうだよね。でもそのような対等な人間関係がいいというようなことを匂わせるような句としても「景清」の句を解することはできないかな。
華女 今までの人間関係をリセットするということね。確かにリセットすると参加者一人一人が活気づくということがあるんでしょうね。だから企業は毎年、花が咲くと花見の宴を開くんでしょうね。でも実際はなかなかリセットできないのが実際なんでしょうね。ただリセットできたと上役は思っているんでしょうね。部下は花見を嫌がっているのかもしれないわ。特に女性は嫌がっている人は多いかもしれないわ。