海は晴れて比叡降り残す五月哉 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「海は晴れて比叡降り残す五月哉」。芭蕉45歳の時の句。「五月末、ある人の水楼にのぼる」と前詞がある。
華女 「海」とは、琵琶湖のことでいいのよね。
句郎 芭蕉は琵琶湖が好きだったみたいだな。
華女 「五月雨に鳰(にお)の浮巣を見にゆかん」。この句のどこにも琵琶湖の鳰の浮巣とは、書いていないにもかかわらず、五月雨の中、琵琶湖に舟を進めようということなのよね。芭蕉にとって鳰と言えば、琵琶湖の鳰なのよね。
句郎 鳰の海とは、琵琶湖のことだからね。
華女 上五「海晴れて」、下五「五月哉」だから、五月晴を詠んでいるのよね。
句郎 琵琶湖の空は青空。なのに比叡山には雨雲がかかり、雨が降っているのかなと詠んでいる。
華女 五月晴の琵琶湖、大景を詠んでいるんだと思うわ。
句郎 雨降りの比叡山を別にして後はすべて琵琶湖の空は五月晴だということなんだよね。
華女 「五月雨の降り残してや光堂」。この句の場合、光堂は五月雨が降り残したので、今も残っているんだという感慨を詠んでいるのよね。。
句郎 時間の流れは変わり行く流行の中、無常であるが、その中にあって不易なるものがあるんだなぁー。光堂は不易なるものだという発見をした喜びを詠んでいるのかな。
華女 「海はれて」の句は、「五月雨の」の句とは、逆のものを降り残しているということなのよね。
句郎 「比叡降り残す」という中七の言葉には芭蕉の気持ちが籠っているのかもしれないな。
華女 それは、芭蕉のどんな気持ちだったのかしら。
句郎 比叡山と言えば、延暦寺。延暦寺といえば、最澄、『往生要集』の源信、浄土宗の開祖法然、臨済宗の開祖栄西、道元、親鸞、日蓮など日本の歴史に大きな影響を与えた高僧を生んだ名刹の寺だからね。芭蕉には比叡山を仰ぎ拝むような気持があったのじゃないのかな。
華女 そのような気持ちが芭蕉にはあったのかもしれないと思う一方には、なんか湿っぽいなぁーという気持ちもあったんじゃないのかしら。
句郎 芭蕉は禁欲的な人ではなく、人間の欲望に対しては肯定的なところがある人みたいだから、仏教にある禁欲的な面に対しては付いて行けないなぁーという気持ちはあったかもしれないとは思う。
華女 琵琶湖の五月晴には、芭蕉の心を開放する晴れやかさがあったのじゃないかと思うわ。
句郎 山国育ちの芭蕉にとって琵琶湖は海そのものだったんだろうな。
華女 海は人と人とを結び合う交流の場なのよ。
句郎 琵琶湖は日本の西と東とが出会うところであると同時に戦の場所でもあったからな。
華女 東海道と中山道とが合流し、京都に向かうところが琵琶湖だったのよ。
句郎 関ケ原は琵琶湖の湖畔にあるともいえるような場所にあるからな。
華女 芭蕉にとって琵琶湖、近江というところは、心が落ち着く所だったんでしょ。
句郎 そうなんだろうな。だから近江を詠んだ芭蕉の句は多いし、同時にまた近江蕉門の門人も多いのかもしれないな。