一つぬいで後に負ぬ衣がへ 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「一つぬいで後に負ぬ衣がへ」。芭蕉45歳の時の句。「衣更」と前詞がある。『笈の小文』に載せてある。
華女 この句を芭蕉はどこで詠んでいるのかしら。
句郎 わかの浦から紀の川づたいに奈良葛城山に向い、葛城では、「猶見たし花に明行神の顔」と詠んでいる。葛城から奈良西ノ京に向かっていたようだから、その途中のどこかで、この句を詠んだんではないかと思っているんだけど。
華女 衣更えが年中行事として江戸時代の庶民の生活に根付いていたのね。
句郎 今では、年中行事としての衣更えのようなものは無くなってしまったね。
華女 今でも残っているとしたら、高校生の制服に残っているくらいよ。
句郎 女子生徒が夏服になるのはいつからだったの。
華女 私が高校生だったころは四十年も前だったけれども六月一日からだったように思うわ。
句郎 元禄時代は旧暦の四月一日からのようだった。
華女 旧暦は新暦よりおよそ一カ月ぐらい遅れるから今の五月初旬の頃が衣更えの時期だったんじゃないかしら。
句郎 ちょうどいい季節だったのかもしれないな。
華女 旧暦というのは、実に日本人の日常生活にマッチしていたように思うわ。
句郎 稲作にあった暦が旧暦だったんだろうね。
華女 年中行事が農民や町人の生活のリズムを規律していたように感じるわ。
句郎 年中行事という儀式が人々の心を規律していたということなんだろうね。儀式、儀礼というものは社会の秩序を形成する上で大きな役割を果たしてきたと思うな。
華女 今の若い子たちが結婚式を挙げないカップルがいるというけれども私は間違っていると思うわ。女にとっても男にとっても結婚式は大事な儀式だと思うわ。
句郎 でも一方で成人式かな。我々が若かったころ、成人式に行くというようなことはなかったけれど、今はかなり華やかにしている所があるみたいだ。
華女 廃れていく儀礼がある一方で活発化していく儀式もあるということね。
句郎 衣更えという年中行事を芭蕉は簡略化し、生々としたと詠んでいるのかな。
華女 通過儀礼を経ると安心感が得られるのよ。その安心感がどこから来るのか、よくわからないんだけどね。
句郎 芭蕉もまた衣更えという通過儀礼を経ることによって旅の安心感のようなものを得ることができたのかな。
華女 今日は暑いねと、杜国に話し、上に羽織っていた袷を一枚脱いだことを笑って、これが衣更えだと言ったのかもしれないわよ。
句郎 実際はそんなところだったのかもしれないな。衣更えが年中行事というか、通過儀礼として定着していた社会にあって、儀礼をしましたよ。まず自分自身に言い聞かせたのかもしれないな。
華女 そうなのよ。バレンタイデーだというと小学生の女の子たちだって、気持ちが高ぶって来るのよ。一種の年中行事化した出来事になってきているのよ。おじさんたちだってほしいと言っている。