杜若(かきつばた)語るも旅のひとつ哉 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「杜若(かきつばた)語るも旅のひとつ哉」。芭蕉45歳の時の句。「大坂にて、ある人のもとにて」と書き、『笈の小文』に載せている。
華女 『笈の小文』にある「ある人」とは、具体的に誰であったのか、わかるのかしら。
句郎 『芭蕉紀行文集』「笈の小文」注釈には「此句は万菊を供して難波の一笑が本に旅ねの時也。一笑はいがにて紙や弥右衛門と云る旧友也」とある。
華女 芭蕉は故郷の伊賀上野の友人一笑さんと難波で再会した時に詠んだ句だということなのね。
句郎 大和路の水辺に咲く杜若の花が綺麗だったと一笑さんに土産話をしたということなのかな。
華女 古き都大和路の春は良いわねと大和路の寺々の佇まいを話し合ったということね。
句郎 『笈の小文』の注釈に「から衣着つつなれにし妻しあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」(伊勢物語)在原業平が詠んだ歌を「杜若」の句はふまえているとある。この歌のどこに「杜若」の句が踏まえているのか、華女さん、分かるかな。
華女 失礼ね。分かるわよ。私は国文科出身よ。このぐらいのことが分からないなんて、恥ずかしいことよ。このような歌の技法を「折句」というのよ。「からごろも」「きつつなれにし」「つましあれば」「はるばるきぬる」「たびをしぞおもふ」。「かきつばた」という五文字を和歌の(五七五七七)各句の頭文字に置いて旅の気持ちを詠んでいるのよ。
句郎 妻のいない旅の侘しさを忘れさせてくれるものが「カキツバタ」だったかなと語り合ったということなのかな。
華女 妻なしに男は大人になり切れないのよ。
句郎 人間は独りじゃ生きていくことができないということなのかな。
華女 そうよ。人生には伴侶というものがいなくちゃ、生きていけないものなのよ。
句郎 芭蕉は漂泊の旅をしたというけれども、いつも誰かと一緒に旅をしているね。
華女 そうよ。有名な『おくのほそ道』の旅では曾良と一緒に旅をしているんでしょ。
句郎 『笈の小文』の旅では杜国と一緒だったようだ。
華女 旅というのは芭蕉の時代も今も同じなんじゃないのかしら。旅は人との出会いを楽しむことなのよ。
句郎 そうのかもしれないな。見知らぬ街の自然や風景、人、人情に触れることによって世界が広がる喜びなんだろうな。
華女 旅とは自然を楽しむ。自然の中に自分がいるということを実感する。一人だということを感じるから人を恋うのよ。
句郎 自然の中にいるとピュアな自分に出会うということがあるような気がするな。
華女 日常生活に追いまくられている状況のなかでは、杜若が咲いていても何も感じないし、綺麗だとさえ思わないものなのよ。
句郎 忙しい仕事をしている時には、花の美しさなどというものに気を取られていては仕事にならないということがあるな。
華女 杜若なんて深川芭蕉庵の近くでも目にすることができる花なんじゃないかしら。
句郎 そうだよね。