醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  724号  鐘撞かぬ里は何をか春の暮(芭蕉)  白井一道

2018-05-07 12:53:03 | 日記


  鐘撞かぬ里は何をか春の暮  芭蕉  


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「鐘撞かぬ里は何をか春の暮」。元禄二年の句。
華女 江戸時代の村々では鐘を付いて村人に時間を知らせていたのかしら。
句郎 街場の場合、鐘撞堂みたいなものがあったんじゃないのかな。
華女 そう、思い出したわ。川越に鐘撞堂があったわね。「時の鐘」と言っていたのかしら。寛永年間に設置されたと言う話を聞いた事があるわ。
句郎 時計塔の下がだんご屋さんだったかな。
華女 農村にはそのような鐘撞堂みたいなものはなかったということね。
句郎 「鐘撞かぬ里」とは、街場であるにもかかわらず、鐘撞堂のない宿場町のことなんじゃないのかな。
華女 日永の春は日暮れの時が長いわ。宿にとって客を呼び込む時を失ってしまいかねないのじゃないのかと芭蕉はいらない心配をしたのかもしれないわ。
句郎 春の暮というのは、何か落ち着かない時間のような気がするでしょ。もう少し、仕事しようか、それとも終わりにしようかと踏ん切りがつきにくい時間のような気がするんだ。
華女 子どもの頃、おもてで遊んでいると「ご飯ですよ」と母の呼ぶ声がしたのが春の暮のような気がするわ。
句郎 「鐘撞かぬ里は何をか」とは、夕暮れの春、落ち着かない時間をどうしているのかと、感慨をもったということなんじゃないのかな。
華女 実によく「春の暮」と言う時間帯を表現している句だと思うわ。
句郎 芭蕉の供をして『おくのほそ道』の旅をした曾良の『俳諧書留』には「鐘撞かぬ里は何をか春の暮」と並べて「入逢の鐘もきこえず春の暮」という句が載せてあるんだ。
華女 「入逢」とは、夕暮れということでいいのかしら。
句郎 どちらの句がいいかな。
華女 私は「鐘撞かぬ里」の方が思いが籠っているような印象ね。
句郎 「春の暮」が表現されているということなのかな。
華女 宿場町の春の夕暮れなのよね。日光街道沿いのどこかの宿場町なのよね。
句郎 多分ね。一泊目が粕壁(カスカベ)、二泊目が間々田、三泊目が鹿沼になっている。新暦でいうと粕壁には五月十六日に宿泊している。間々田が五月十七日、この日は午前中雨が降っていたようだよ。
華女 『おのほそ道』の日程やらその日の天候まで分かっているの?
句郎 『曾良旅日記』に記入してあるから分かっているんだ。
華女 「鐘撞かぬ里」とは、どこの宿場町だったのかしらね。
句郎 私が想像するに、間々田あたりじゃないのかなと思っているんだけどね。
華女 何か、根拠でもあるのかしら。
句郎 全然ないんだけどね。間々田を立った後、芭蕉と曾良は栃木の室の八島に寄り、句を詠み、日光目指して旅を続ける。
華女 日光街道筋の宿場町と言っても東海道筋の宿場町と比べたら大きく寂れていたことでしようからね。
句郎 ちょうど、間々田宿なんだと思っているんだ。

醸楽庵だより  723号  行春や鳥啼(とりなき)うをの目は泪(芭蕉)  白井一道

2018-05-07 12:53:03 | 日記


  行春や鳥啼うをの目は泪  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「行春や鳥啼うをの目は泪」。元禄二年の句。「千じゆと云所にて 船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ」と『おくのほそ道』に書き、この句が載せてある。
華女 『おくのほそ道』とは、千住から出発しているのね。
句郎 深川から千住までは、舟で墨田川を遡り千住まで行き、千住で数日間水杯を飲み交わし芭蕉と曾良は仲間に見送られて陸奥へ旅立った。
華女 当時にあっては今生の別れだったんでしようね。
句郎 情が尽きるまで名残を惜しんで別れたんだろうね。芭蕉と曾良は、振り返ることなくすたすたと日光街道を歩いて行ったんだと思うよ。
華女 芭蕉と曾良は後朝の別れを遊女ともしたのかしらね。
句郎 そりゃ、勿論したのじゃないかと思うけど。
華女 男とは、そういうものだとは思うわ。
句郎 芭蕉と曾良は、仮に僧侶の恰好をしていたとしてもごく普通の旅人だったんだろうからね。
華女 芭蕉は行く春の情緒に旅立ちの情緒を重ねているのね。
句郎 旅立ちの別れを惜しんで門人や肌を合わせた遊女たちの見送りを受けて旅立ったことを「鳥啼うをの目は泪」と詠んだんだと思う。
華女 行く春の情緒とは、惜春ということよね。
句郎 花は咲きだす頃が人々の心を豊かにする。喜びを与えてくれるような気持を湧き立たせてくれる。しかし、花が萎れ、茶色に変質し、散っていくことに喪失感から来る寂しさがただよう。このような気持ちが季語「行く春」なんじゃないのかな。
華女 「花もみな散りぬる宿は行く春のふるさととこそなりぬべらなれ」と紀貫之が詠んでいるわ。
句郎 「行く春」とは、花の散った宿、心に残る故郷のようなものだということなのかな。
華女 芭蕉と曾良が江戸を離れていくのが行く春なのね。
句郎 江戸に残った芭蕉の門人たちにとって師匠芭蕉のいないこの喪失感は行く春だったんだろうな。
華女 芭蕉はそんな風に思ってくれているだろう門人たちへの感謝の気持ちを込めて詠んだ句が「行く春や」だったということね。
句郎 俳句というのは、詠む対象がいて初めて成り立つ文芸なのかもしれない。
華女 俳句は対話だということなのね。
句郎 個別具体的な対象がいて初めて詠めるということなのかもしれないな。
華女 話相手に聞いてくれないとお願いする。相手も何なのと聞いてくれる。そこで対話が成り立つ。私の気持ちを言語化する。相手に私の気持ちを伝える。その私の気持ちに対して答えてくれる。こうして私の気持ちが客観化されるということなのね。そのような過程を経て俳句というものが出来上がるということなのね。
句郎 私の気持ちが言語化されることによって客観化される。こうして互いに相手の気持ちを理解し合う。このような過程がもしかしたら句会というものなのかもしれないな。
華女 芭蕉は門人たちがいて初めて俳人になった。