山も庭もうごき入るるや夏座敷 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「山も庭もうごき入るるや夏座敷」。元禄二年。「秋鴉(しゅうあ)主人の佳景に対す」と書き、『雪まろげ』にこの句が載せてある。曾良の『俳諧書留』には「山も庭に動き入るるや夏座敷」と書き「浄法寺図書何がしは、那須の郡黒羽のみたち(御館)をものし預り侍りて、其私の住ける方もつきづきしういやしからず。地は山の頂にさゝへて、亭は東南のむかひて立り。奇峰乱山かたちをあらそひ、一髪寸碧(いっぱつすんぺき)絵にかきたるやうになん。水の音・鳥の声、松杉のみどりもこまやかに、美景たくみを尽す。造化の功のおほひなる事、またたのしからずや」とある。
華女 秋鴉(しゅうあ)主人宅に招かれ歌仙を巻いたのね。
句郎 その歌仙の発句が「山も庭に動き入るるや夏座敷」であった。
華女 その歌仙の発句を『おくのほそ道』に載せる時には推敲し「「山も庭もうごき入るるや夏座敷」に変えたのね。「山も庭に」と「山も庭も」では、「に」を「も」に一字変えただけだけれども、夏座敷の様相が大きく違ってくるわね。
句郎 ダイナミックかな。
華女 そうよ。上五が字余りになっているのが効果的なのかもしれないわ。
句郎 「山も」ということは、山だけじゃないと言うことだものね。
華女 畑も田んぼも竹林もあったかもしれないということを想像させているということよね。
句郎 秋鴉(しゅうあ)主人(浄法寺図書)宅の庭も夏座敷の一部になっていると芭蕉は感じたということなのかな。
華女 大景を詠むのが芭蕉は上手だったのね。
句郎 借景を詠んでいる。借景で有名な庭園というと思い出すところがあるんだ。
華女 どこか、印象に残っている所があるのね。
句郎 有名なところでは、京都、東は八瀬、西は上賀茂、北は鞍馬に挟まれた場所、岩倉にある圓通寺の庭園かな。
華女 あぁー、私も行ったことがあるわ。比叡山も苔の庭もうごきいるるや方丈にというような借景庭園ね。
句郎 常緑の太い何本かの樹木の幹までもが座敷の一部であるかのような印象を抱かせるんだ。
華女 消えゆく借景庭園の中で唯一といってもいいんじゃないのかしら。圓通寺の庭園はいつまでも残してほしい庭園ね。
句郎 芭蕉のこの句を読むと圓通寺の庭園を思い出すよ。もう一つ、失われた借景庭園があるんだ。
華女 やはり、京都の庭園なのかしら。
句郎 大和郡山に慈光院という禅寺があるんだ。里山の上に寺があるので昔は素晴らしい眺望の借景庭園だった。田んぼの中を汽車が走っていた。私にとっては忘れられない貴重な思い出の中の景色かな。
華女 開発が進み、汽車が電車になり、ビルが建ち、工場ができたということなの。
句郎 そうなんだ。開発が借景を壊してしまった悲しい歴史がある。
華女 圓通寺の借景は京都市が開発を規制し、ビル建築を規制して景色を守っているのね。
句郎 「山も庭もうごき入るるや夏座敷」が今も残っているのは圓通寺かな。