馬ぼくぼく我を絵に見る夏野かな 芭蕉
侘輔 「馬ぼくぼく我を絵に見る夏野かな」。この句は前詞がある。天和3年、芭蕉40歳の時の句だ。
呑助 どんな前詞があるんですか。
侘助 この句は芭蕉の自画像のようなんだ。だからか、画讃として書いている。「かさ着て馬に乗りたる坊主は、いづれの境より出て、何をむさぼりありくにや。このぬしのいへる、是は予が旅すがたを寫せりとかや。さればこそ、三界流浪のもゝ尻おちてあやまちすることなかれ」。
呑助 芭蕉は自分を客観的に見ることができる人だったんですね。「三界流浪」の「三界」とは何ですか。
侘助 仏教では欲界・色界・無色界、または過去・現在・未来のことを言っている。一切衆生の生死往来する世界ことか。だからこの文章が意味することは世間というようなことなのかな。
呑助 芭蕉は世間をほっつき歩く坊主だと自分を見ているんですね。
侘助 天和2年12月28日、江戸駒込から出火した火事によって深川芭蕉庵は焼けてしまった。焼け出された芭蕉は甲斐の俳人、高山伝右衛門の世話になる。甲斐への旅中吟がこの句のようだ。
呑助 芭蕉には厄介をかけられる友人・知人が大勢いたんですね。
侘助 俳諧を通しての知縁が江戸時代には広範囲に広がっていたことがこのことからも分かるね。
呑助 私などの場合、災害にあっても他人様に厄介掛けられるような人は独りもいないですよ。
侘助 私も同じですよ。芭蕉は人徳のあった人なんでしよう。
呑助 そんな人徳のある人が伊賀上野の農民の中から出てきたと言うことは驚きですね。それから「もも尻おちて」の「もも尻」とはなんですか。
侘助 桃の実はなんとかく座りが悪いようなんだ。そこから馬の鞍への座りが悪い人のことを「もも尻」と言ったようなんだ。芭蕉は馬乗りが下手だったんじゃないのかな。両足で馬の腹を抑え、尻を少し浮かし加減に乗るのが上手い乗り方ようだけれど、草臥れるからね。どうしてもどっかりと尻を馬の背に乗せると座りが悪く、尻がすぐに痛くなるみたいだから。
呑助 乗馬はけっこう難しいんですね。
侘助 「馬ぼくぼく」とは馬の背に尻がぶつかり、痛い、痛いということなんじゃないのかな。
呑助 そんな辛い思いをして馬の旅をしている自分を自分が見ているんですね。
侘助 辛さを芭蕉は嘆くのではなく、笑って自分を見ている。この心の在り方が芭蕉を俳諧師にさせたんじゃないのかなと思っているんだ。
呑助 なんとなくわかります。絶えず自分をもう一人の自分が見ているんですよね。
侘助 文学者というのは誰でもそうなんだと思うね。例えば谷崎潤一郎は老年になって『瘋癲老人日記』という小説を書いたが谷崎は自分を瘋癲と自覚していたんじゃないのかな。色狂いの老いた老人として自分を表現している。実際妻妾同居のような生活を晩年過ごしていたようだからね。そんな生活を表現して収入を得た。映画にもなったしね。まったく凄い小説家だよ。それを世間も認めた。