醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  519号  白井一道

2017-09-18 17:25:56 | 日記

 馬ぼくぼく我を絵に見る夏野かな  芭蕉

侘輔 「馬ぼくぼく我を絵に見る夏野かな」。この句は前詞がある。天和3年、芭蕉40歳の時の句だ。
呑助 どんな前詞があるんですか。
侘助 この句は芭蕉の自画像のようなんだ。だからか、画讃として書いている。「かさ着て馬に乗りたる坊主は、いづれの境より出て、何をむさぼりありくにや。このぬしのいへる、是は予が旅すがたを寫せりとかや。さればこそ、三界流浪のもゝ尻おちてあやまちすることなかれ」。
呑助 芭蕉は自分を客観的に見ることができる人だったんですね。「三界流浪」の「三界」とは何ですか。
侘助 仏教では欲界・色界・無色界、または過去・現在・未来のことを言っている。一切衆生の生死往来する世界ことか。だからこの文章が意味することは世間というようなことなのかな。
呑助 芭蕉は世間をほっつき歩く坊主だと自分を見ているんですね。
侘助 天和2年12月28日、江戸駒込から出火した火事によって深川芭蕉庵は焼けてしまった。焼け出された芭蕉は甲斐の俳人、高山伝右衛門の世話になる。甲斐への旅中吟がこの句のようだ。
呑助 芭蕉には厄介をかけられる友人・知人が大勢いたんですね。
侘助 俳諧を通しての知縁が江戸時代には広範囲に広がっていたことがこのことからも分かるね。
呑助 私などの場合、災害にあっても他人様に厄介掛けられるような人は独りもいないですよ。
侘助 私も同じですよ。芭蕉は人徳のあった人なんでしよう。
呑助 そんな人徳のある人が伊賀上野の農民の中から出てきたと言うことは驚きですね。それから「もも尻おちて」の「もも尻」とはなんですか。
侘助 桃の実はなんとかく座りが悪いようなんだ。そこから馬の鞍への座りが悪い人のことを「もも尻」と言ったようなんだ。芭蕉は馬乗りが下手だったんじゃないのかな。両足で馬の腹を抑え、尻を少し浮かし加減に乗るのが上手い乗り方ようだけれど、草臥れるからね。どうしてもどっかりと尻を馬の背に乗せると座りが悪く、尻がすぐに痛くなるみたいだから。
呑助 乗馬はけっこう難しいんですね。
侘助 「馬ぼくぼく」とは馬の背に尻がぶつかり、痛い、痛いということなんじゃないのかな。
呑助 そんな辛い思いをして馬の旅をしている自分を自分が見ているんですね。
侘助 辛さを芭蕉は嘆くのではなく、笑って自分を見ている。この心の在り方が芭蕉を俳諧師にさせたんじゃないのかなと思っているんだ。
呑助 なんとなくわかります。絶えず自分をもう一人の自分が見ているんですよね。
侘助 文学者というのは誰でもそうなんだと思うね。例えば谷崎潤一郎は老年になって『瘋癲老人日記』という小説を書いたが谷崎は自分を瘋癲と自覚していたんじゃないのかな。色狂いの老いた老人として自分を表現している。実際妻妾同居のような生活を晩年過ごしていたようだからね。そんな生活を表現して収入を得た。映画にもなったしね。まったく凄い小説家だよ。それを世間も認めた。

醸楽庵だより  518号  白井一道

2017-09-17 16:48:15 | 日記

 青ざしや草餅の穂に出でつらん  芭蕉

侘輔 「青ざしや草餅の穂に出でつらん」。この句は天和3年出された其角撰のアンソロジー『虚栗』に載っている句のようだ。天和3年、芭蕉40歳の時の句だ。
呑助 「青ざし」とは、なんですか。
侘助 日本最古の和菓子、『枕草子』に清少納言も書いているお菓子のようだよ。
呑助 原料は何ですか。
侘助 青い麦の穂をホーロクで煎り、石臼で引き作った糸状の菓子らしい。
呑助 清少納言はどんなことを書いているんですか。
侘助 皇子の五月五日の節句の日に清少納言は皇后に「青ざし」を艶やかな硯の蓋の上に薄い紙を敷き、その上に菓子「青ざし」をのせ籬(まがき)越しに差し出すと皇后定子は菓子がのせてある紙を引きちぎり「皆(みな)人の花や蝶やといそぐ日もわが心をば君ぞ知りける」と感謝してくれたというようなことを書いている。
呑助 平安時代から食べられていたお菓子なんですか。和菓子の原点にあるようなお菓子なんですか。
侘助 「青ざし」というお菓子は貴族や武士が食べていたお菓子なのかもしれない。江戸時代になって裕福な農民や町人も食べられるようになったお菓子なのかもしれないな。
呑助 芭蕉の生きていた時代の庶民が食べていたお菓子というとどんなものがあったんですか。
侘助 そりゃ、春になると道野辺に咲く、御形(ごぎょう)別名母子草で作った草餅だったんじゃないかなと考えているんだ。
呑助 草餅といったら、普通蓬(よもぎ)で作るんじゃないんですか。
侘助 そうだよね。でも芭蕉が生きていた時代の草餅は蓬ではなく、御形を用いて作っていたようなんだ。
呑助 へぇー、そうなんですか。今じゃろも草餅の中には餡が入っていますが当時はどうだったんですかね。
侘助 砂糖は当時、大変な高級品だったからね。アンコは入っていなかったんじゃないのかな。
呑助 「青ざし」は甘かったんですかね。
侘助 草餅は江戸時代になっても甘くなかったが、「青ざし」は甘いお菓子だったのかもしれないな。
呑助 どうしてそんなことが分かるんですか。
侘助 麦にはでんぷんが含まれているからね。そのでんぷんが麦芽で糖分に変えられているのかもしれないからね。飴は麦のでんぷんが糖分に変えられたものの事だから。
呑助 そうなんですか。
侘助 芭蕉は菓子屋の店先で「青ざし」を見た。貧しい芭蕉は高価な「青ざし」を買うことができなかった。草餅なら買える。この草餅に穂が出て、「青ざし」にならないかなぁーと叶わぬ夢を見た。
呑助 とんだ想像力の読みですね。
侘助 貴族や武士の文芸であった和歌は草餅など庶民の菓子を歌に詠むことはなかった。芭蕉は庶民の菓子を句に詠んだ。ここに芭蕉の句の新しさがあるんじゃないかとおもっているんだけど。
呑助 江戸庶民の願いのようなものを芭蕉は詠んだということですか。
侘助 そうなんじゃないかと私は理解しているんだけどね。当時の庶民にとって甘い菓子というものは手の届かない美味しい美味しい贅沢品だったんだろうと思っているんだ。

醸楽庵だより  517号  白井一道

2017-09-16 12:00:42 | 日記

 氷苦く偃鼠(えんそ)が喉をうるほせり

侘輔 「氷苦く偃鼠(えんそ)が喉をうるほせり」。この句には「茅舎レ買水」という前詞がある。岩波文庫『芭蕉俳句集』には天和二年、芭蕉39歳の時の句として載せてある。
呑助 「偃鼠」とは、なんですか。
侘助 ドブネズミのことだと思う。
呑助 芭蕉は自分をドブネズミと思っていたんでしようかね。
侘助 他人様のおこぼれにすがって生きていると実感していたんじゃないのかな。
呑助 芭蕉庵のあった深川では、井戸が無かったんですか。
侘助 井戸を掘ると塩水が出て来たんじゃないのかな。だから水は買うものだったみたいだ。
呑助 日本は水が豊かな国だと言われているが、江戸の海沿いの村では水を買って生活していたんですね。
侘助 「氷苦く偃鼠(えんそ)が喉をうるほせり」。この句を私は高校三年生の時に覚えたんだ。
呑助 国語の授業で教わったんですか。
侘助 そうなんだ。国語の教師が言った言葉を今でも覚えている。
呑助 何と言ったんですか。
侘助 芭蕉も二日酔いをしたんだろう。早朝、喉が渇いて氷をぶっかき水を飲んだだろう。酒が好きだったんだなぁー。こんなことを言ったのを覚えている。
呑助 深酒をした翌朝のことを詠んだ句なんですかね。
侘助 芭蕉にもこんなつまらない句もあるともその国語教師は言っていたかな。でも私はそれほどつまらない句だとも思っていないんだけどね。きっと悪酔いした酒を飲んだのではないかと考えているんだけどね。
呑助 どうしてそんなことが分かるんですか。
侘助 当時も今も安い酒をたくさん飲むと悪酔いすると思うよ。芭蕉が飲んだ酒は低アルコールの濁り酒だと思うんだ。少し飲んだだけでは、全然酔わないからどうしてもたくさん飲んでしまうと、悪酔いをするんだ。今だって三倍醸造酒を四合も飲めば二日酔いで頭が痛くなると思うよ。
呑助 そうですね。酸味料に甘味料、アルコールで薄めてあるんだから日本酒風味の酒が三倍醸造酒ですか。
侘助 氷が苦いというのは実感だったんじゃないのかな。悪酔いした後の水は口の中が苦いような気がするよね。
呑助 そうかもしれませんね。私はあまり経験がありませんから。
侘助 よく言うね。芭蕉は真冬の早朝、外の便所に行き、その帰りに水甕に張ってあった水が氷りついていた。その氷を柄杓で割り、水を汲んで飲んだんだろう。この水の苦さは実感であると同時に貧しさの中に生きる苦さのようなものをも表現していると思うんだ。
呑助 清貧に生きる道を自ら受け入れたんですよね。
侘助 そうなんだろうけれどね。でも山登りをしていて辛くなるとどうしてこんな山登りをしちゃったのかなと思っちゃうことってあるでしょ。やめとけば良かった。そんな気持ちを持つことあるでしょ。芭蕉も深川に隠棲することを肯定的に受け入れたんだろうと思うけれど、それでも前のように日本橋での豊かな生活をなぜ止めたのかとね。

醸楽庵だより  516号  白井一道

2017-09-15 11:34:24 | 日記

 芭蕉の人情句を読む

侘輔 ノミちゃん、芭蕉はなかなか酒と女にはうるさかったって知っている。
呑助 へぇー、芭蕉さんと云えば、清貧に生きた詩人というイメージがあるけれどもね。
侘輔 そうでしょ。芭蕉は私のように上品に酒と女を楽しんだんですよ。ノミちゃんのように酒もだらだら、女にもだらだら、こうじゃなかったんだ。
呑助 冗談じゃない。私ほどけじめのしっかりした人はいないと思いますよ。ワビちゃんなんか、どうなの。いつももう一軒行こうか、言うから私が付き合ってやっているということを忘れてもらっては困りますよ。
侘輔「うちかづく前だれの香をなつかしく」と桂(けい)楫(しふ)が詠んだ句に芭蕉は「たはれて君と酒買にゆく」と付句をしている。
呑助 「うちかづく」とはワビちゃん、どんな意味なんだい。
侘輔 前垂れを被ると、いう意味だよ。飯盛り女は赤い前垂れをしていたんだ。もちろん、その女を所望すれば二階に上がって、楽しめたんだ。だからその赤い前垂れを被ると女の匂いが懐かしいという意味だよ。
呑助 飯盛り女の赤い前垂れを被ると懐かしい匂いがする。俺はしたことないけど、分かるような気がするな。女がほしい男の気持ちが出ているね。
侘輔 女の赤い前垂れを被って遊んでいる男を見て芭蕉は「たはれて君と酒買にゆく」と付けた。
呑助 「たはれて」とは何なの。
侘輔 戯れて君とは女だよ。飯盛り女といちゃつきながら酒買いに行く。もう少し、あなた、お酒飲みたいわ。そうだね。じゃ、行こうか、ふらついた足の男と女が、だめよ、だめよ、そんなことしちゃ嫌、恥ずかしいわ、なんて言われながら、酒屋に向う。
呑助 若かった頃、思い出すな。俺にもそんなことしたような記憶があるな。女が放さないんだよ。しかたなくいつまでもいちゃついていたような気がするな。
侘輔 そうでしょ。どこにけじめがあったって言うの。でれでれしているでしょ。それがノミちゃんじゃないの。
呑助 芭蕉も買った女とそんなことをしたんでしようね。そうでなけりゃ、こんな句をつくれるわけないなぁー、そう思うね。
侘輔 俺もそう思うね。ただ芭蕉が偉かったのは、そんなだらしない、みっともない自分をもう一人の自分がしっかり見ていたということかもしれないよ。
呑助 赤い前垂れの匂いが懐かしいと、言ってるところが、何か、許せるというか、良いじゃないのという気持ちにさせるね。
侘輔 俺もそう思う。飯盛り女と、見下したところが感じられない。女を愛しく思う気持ちがこの句から感じられるでしょ。
呑助 そんなところがこの句のいいところかな。
侘輔 俳諧というのは座の文学だというでしょ。五七五と詠むと次の人が七七と詠む。笑いがある。その七七の句に新しい世界の五七五を付ける。うーん。なるほど、困ったなぁー、どうしよう、できた、できた。その場に笑いが起きる。
呑助 俳諧というのは、けっこう、下世話なものを上品に笑う遊びなんだね。
侘輔 それが遊びさ。

醸楽庵だより  515号  白井一道

2017-09-14 13:27:55 | 日記

 「世にふるも更に宋祇のやどりかな」


侘輔 「世にふるも更に宋祇のやどりかな」。岩波文庫『芭蕉俳句集』には天和二年、芭蕉39歳の時の句として載せてある。
呑助 この句には季語が入っていないですね。
侘助 将棋の格言に「名人に定跡なし」という言葉があるからね。俳句の名人には俳句の定跡は必要ないのかもしれない。
呑助 季語なしでも俳句になるということがあるんですか。
侘助 尾崎放哉の「せきをしてもひとり」。自由律俳句があるから、季語や切れ、五七五から開放された俳句もあるんだ。
呑助 「せきをしてもひとり」。わかりますね。こういうのが俳句なんですか。
侘助 「世にふるも更に宋祇のやどりかな」。分かりますか。
呑助 宋祇の心の世界に私は生きていると、いうことですか。
侘助 宋祇の句に「世にふるも更に時雨のやどりかな」がある。この句の「時雨」を「宋祇」と置き換えただけの句が芭蕉の「世にふるも更に宋祇のやどりかな」なんだ。だから芭蕉の句には「時雨」の面影があるから冬の句だと主張する人がいる。
呑助 へぇー、宋祇の句を知らない人は芭蕉の句を味わうことはできないんですか。
侘助 一定の教養がなければ、鑑賞ができないと言う句は、自立した文学とは言えないように思うね。
呑助 分かります。そういう点からいうとこの「世にふるも更に宋祇のやどりかな」という句は自立文学作品とは言えないような句なのかもしれないですね。
侘助 ノミちゃんは宋祇の句を知らなくとも芭蕉の句が表現したことを理解してたよね。だからやはり、この句は文学作品になっているともいえるのではないかと思う。
呑助 たった一つ名詞を入れ替えただけで芭蕉は立派な句を詠んだということですか。
侘助 この句には、『笠はり』という前詞がある。それは次のようものだ。「草の扉に待ちわびて、秋風のさびしき折々、妙観が刀を借り、竹取の巧みを得て、竹をさき、竹をまげて、みづから笠作りの翁と名乗る。巧み拙ければ、日を尽して成らず、こころ安からざれば、日をふるにものうし。朝に紙をもて張り、夕べにほしてまた張る。渋といふ物にて色を染め、いささか漆をほどこして堅からん事を要す。二十日過ぐるほどにこそ、ややいできにけり。笠の端の斜めに裏に巻き入り、外に吹き返して、ひとへに荷葉の半ば開くるに似たり。規矩の正しきより、なかなかをかしき姿なり。かの西行の侘笠か、坡翁雪天の笠か。いでや宮城野の露見にゆかん、呉天の雪に杖を曳かん。霰に急ぎ時雨を待ちて、そぞろにめでて、殊に興ず。興中にはかに感ずることあり。ふたたび宋祇の時雨にぬれて、みずから筆を取りて、笠のうちに書き付けはべりけらし」。この前詞を読むと芭蕉は竹を割き、竹を熾った炭で曲げ、漆を塗り、笠を作った。霰に急ぎ時雨を待ちて自分で作成した笠を用いて出歩いたことがこの句を詠むきっかけになったのかもしれないな。
呑助 自分用の笠を自分で作るとは、実に器用な人だったんですね。
侘助 芭蕉は生活力旺盛な人だっただろうね。