加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン



四百年の森から戻り奥卯辰山健民公園へと向かう。

広々とした芝生広場広場に多目的グラウンド、バーベキュー施設に庭園、元ゴルフ場跡地らしく、空間をゆったり使ってある。

パークゴルフ、子供の遊具もあり年代を問わず楽しめそうだ。

紅葉の木はそれほど多くはないが綺麗に色図いている。しこに十月桜が咲いて桜と紅葉を一度に見れる。

広々とした公園内をジョキングする人、パークゴルフを楽しむ人、グラウンドでは野球をする少年・少女、貴重な晴れ間をそれぞれにたのしんでいる。

2024.11.17:AM

 

 

 



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久しぶりに卯辰山へ足を運んでみた、紅葉が随分と進んできたがまだまだ、山燃ゆるとまでは行かない。

温暖化の影響か11月もまだまだ暖かい、特に今日などは20℃越えの陽気少し歩いただけで汗ばむ。

眺望の丘駐車場に車を停め紅葉谷から菖蒲園へと降りる。

菖蒲園から千杵坂を登り日暮ヶ丘から金沢城を眺める

三の坂二の坂と登り三社の前に出る。三社の横を抜けて、豊国橋を渡り車道を左に見ながらまっすぐ遊歩道を進む

道は再び車道にと突き当たる。玉兎ヶ丘を左に車道を見晴らし台へと。

兼六園方向を眺めると雪吊された木々が見える。円錐形の幾何学模様とでもいえばよいのか、冬の兼六園を彩るアートのようだ。

見晴らし台では季節外れのさつきが咲く

見晴らし台の下に降りる道を下りひと回りする

再び車道に戻り玉兎ヶ丘に入る

玉兎ヶ丘を抜けて車道にと出て眺望が丘まで下る。

再び車に乗り四百年の森へと車を走らせる。車道には落ち葉が積もりその上を走るには惜しいような気がする。車を停めて写真に納める。

曇り空で全体に暗い写真になてしまった。

PCで補正してアップ。

この後、奥卯辰山健民公園へと。

ここでは十月桜と紅葉のコラボ。・・・のちほど。

 

 



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変わらぬ風景立山連峰は冬の季節を迎えた。

国道160号線立山・能登シーサイドラインを走ると、この絶景に出会える日が増えるだろう。

(今回の写真は11.10の夕暮れに撮影)

唐島越しの剱岳

 

虻ヶ島越しの剱岳

仏島越しの剱岳

写真:2024_11_10_15:00頃



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此処しか知らないの!と言われてもおかしくないくらいに度々大日へ!

本当はもっと秋の宴が始まっているのではないかと思い、期待して。

牛ノ首を過ぎたあたりから色づき、登るにつれ紅や黄色にと染まった木々が増えてくる。

全山が秋色に染まるのもそう遠くないだろう。

今回は、それ以上に素晴らしい景色を頂いた。出来ることなら黄昏までここで景色を眺めていたかったがそうもいかず、夕暮れを足早に下山した。

 

雲海に沈む夕日、残る山人生でこんなチャンスが巡ってくるだろうか

 

いつも通り車を桂台に駐車、到着時にはすでに3台の車が私もその中に割り込んで駐車。ゲート前の車を横目に徒歩にてゲートを通り過ぎる。

称名谷は霧が架かりいつも見える滝は霧の中だ。登山口まで約1時間一人黙々と歩く。

いつもと変わらぬコースタイムで歩いているのだが今日に限って追い越してくる人がいない。大日平に入ったところで一組のパーティーが、これでやっと安心できる。

大日小屋までの間で10組程度、以前と比べると本当に少なくなった。

大日小屋は営業を終了してしまったことも関係あるのだろうか。それとも紅葉がまだ早く、室堂の方に流れたのだろうか。

おかげでのんびりできた山歩になったのだが。

この日はやみ雲にシャッターを切ったせいで400枚近く撮ってしまった。その中の100枚程度を投稿。

 


雲海の上に顔を出す猫又山に続く釜谷山、毛勝山あたりだろうか?

 

 

大日平まで下って山肌の紅葉を見る朝と時間的に10時間程しか違わないのに紅葉が進んだように見える。

 

此処から見る不動滝は午後からの方が映りが良いがこの時間になると影が出てしまい谷底が暗くなってしまう、ついでに撮る

不動滝を眺めた後山荘にて冷たい飲み物を求め乾いた喉を潤す。古い言葉でいうと五臓六腑に染み渡るそんな感じだ。

 

斜陽で見る大日平の木々は紅葉が一気に進んだように映る。

 

称名谷(川)は霧の中に沈んで夕日が差し込んでいた、その中へと、谷の夕暮れは早く瞬く間に夕闇が押し寄せてくる。称名駐車場でらうぃとの準備をして帰り路を急ぐ。

桂台に着いた時には、夕闇の中、一台の車が帰りの遅い主人を待っていた。

天候にも恵まれた大日、満足できた一日に感謝。

 

登山日:2024.10.06

 

 

 



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旧親不知トンネル(親不知連がトンネル)を訪ねて

 

北アルプスの北端が日本海に落ち込む親不知、北陸路一の難所とされ“親は子を、子は親を顧みることができなかった天険の地”

鉄道が敷設されたのは、旧北陸本線の泊-青海間が開通した1912(大正元)年10月であり、これに伴い旧親不知トンネル等、連続する4基のトンネルも竣工した。鉄道の開通により、行旅の安全と黒姫山から産出される石灰石の輸送量の増大等、地域経済の向上と拡大に大きく寄与した。鉄道は1965(昭和40)年に廃止

トンネル内はフットライトが点いておりはいいた時には少々暗く感じるが自然に目が慣れてきて歩くには問題がなさそうだ。入り口には懐中電灯も読老いされていてお借りして入ることもできる。

今回はヘッドライト持参で入ったが少し暗い方がスリルがあっていいかも。

明治後期に天険親不知の断崖絶壁を貫通させた総煉瓦造りのトンネル.

  • 形式等 山岳トンネル、レンガ積み、馬蹄型
  • 延長等 全長 667.82m、幅員 4,572mm、高さ 4,700mm

当時の土木技術を後世に伝える貴重な土木遺産として2014年 平成26年度に選奨

親不知レンガトンネルパンフレット
親不知レンガトンネル【PDF】

トンネル内にはこれと言った展示物があるわけではなくレンガの積み方の説明、トンネルの大きさ、の説明案内板、少し離れて掘削方法の説明板がある程度で。掘削時に使用した海岸側の横穴もなく少しさびしい。

隧道内は少しひんやりしていて空気の流れもなく少々靄がかかっている。

トンネルを抜けると遊歩道までの長い階段があり少々登るのはきつい。先のグループはこちら側から入った理由がわかったような気がする。

日本海を眺めながら遊歩道を駐車場へと戻る。


北陸道の親不知インター付近を見ることが出来る。


眼下を眺める。波打ち際を眺めるが、昔はこの波打ち際を歩いて難所を越えてそうだが崖際まで水が来ていて歩けるところなど見当たらない。

温暖化がここまで進んでいなかった時代には海岸線がもう少し後退していたのかもしれない。いずれにしても打ち寄せる波を避けながら命がけの道中だったのだろう。

 

親不知コミュニティロードの4世代道路の説明板

明治に入り道が出来、大正には鉄道が敷設された。それでもこの区間を越えるには大変な危険が伴ったのだろう。

歴史に残る大惨事を乗り越え現在の道路・鉄道が建設されている。

芭蕉が歩いた道を私たちは何の苦労もなく通り過ぎる。

 

 今回は、駐車場から階段を下りてトンネルに入ったが、逆のコースで、遊歩道を富山県側に歩いて階段を下って富山県側からトンネルを入り、トンネルを抜けたところで海岸に降りるて海まで下りるコースがおすすめかも。

 

2024_09_15 訪ねる。

 



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