原風景が残る白川郷を訪ねて 2023.10.01

霊峰白山の東に面する白川郷、そこは遥か昔にタイムスリップしたかの様だ。そこには忘れかけていた原風景が残る。(わたくしが幼少のころは我が家もそして近所もこのようなところだった。)


合掌造り100棟余りを残す白川村荻町地区そこでは人々の生活が営まれている。
1995年には世界遺産に登録されたがそれは建物、景観だけではないそこに住む人々の生活、文化、暮らしそれら全てが世界遺産。
白川郷の歴史は古い
安元2年(1176)藤原兼実の「玉業」に『飛騨国白川郷』の名称が見られることから、それ以前から存在していたと思われます。寿永2年(1183)に行われた倶利伽羅峠の戦いで敗れた平家はその後の追撃戦でも敗退を続け僅かの手勢を率いて白川郷まで落ち延びたとの伝承が残っています。建長5年(1253)、嘉念坊善俊(伝:後鳥羽上皇の子又は孫)が白川郷鳩ヶ谷に正蓮寺(照蓮寺)を開山すると浄土真宗の一大拠点となり白川郷を含む飛騨国一帯に大きな影響力を及ぼします。
長い歳月の中でここに暮す人たちは、この山間の閉ざされた地域で綿々と歴史を紡いできた。
そんな中によそ者の私たちが車でやってきてわずかな時間で駆け巡ったところで何を見ることができるだろう。何を感じることができるだろう。
合掌造りの建物を見るだけなら写真でも見ることができる。都会の中に合掌造りの建物を建てることだってできる。インスタ映えするからと風景を背景にして自撮りする。そんな写真ならAIで世界中の写真を合成することができる。
でも、それでは千年をもの歴史を感じることができない。どこを見ても地域の人の姿が見えない。生活が見えない。感じれない。ここは白川郷というテーマパークの様だ。
そんなことを感じながら観光客であふれかえる、飛び交う言葉はここは日本なのかと疑うくらいに国際色豊かなテーマパークを見て回った。









綿々と紡いできた、静かな白川郷を見てみたい。
2023/10/01撮影