加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン



白山坂

元和5年,白山(山号・しらやま)波着寺を 広坂から小立野に移し,町名を白山町,寺前の坂を白山坂とした。波着寺は現在も白山坂の坂上にある。(「サカロジー」による)

昭和初期にできた白山坂、

満州事変昭和6年から終戦の昭和20年の終戦までの間、小立野台の練兵場と対岸の寺町台・野田の練兵場との車両・兵員の行き来のために必要に駆られてこの白山坂、二十人坂が建設されたと、金沢の坂道コラムに記載されている。

 

兵隊さんが通った白山坂

「牽強付会」という言葉がある。牽強も付会も「こじつけ」という意味である。地誌を遺した大先輩方がよくつかう。なぜにこれほど強い言葉をつかってまで自説の正当性を主張...

金沢の坂道

 

坂の途中には防空壕跡があるとのことで確かめてみた。確かにそれらしき跡がみられるが確認することはできない。

現在はコンクリートで塞がれている。新しいコンクリートの跡と、古い跡4か所が確認できる。

中の空間も完全にふさいでしまったのだろうか?歴史遺産として残すことは‥‥!

白山坂は小立野・笠舞線交差点を横断し緩やかに右に回り道は300m程度まっすぐ進み猿丸神社裏にて再び右にカーブし笠舞交差点に出る。白山坂はここまでだ。


小立野・笠舞線交差点を過ぎると道は緩やかに下る


笠舞交差点横猿丸神社

猿丸神社由緒書き

 

猿丸神社

猿丸神社は、金沢笠舞に鎮座し、猿丸太夫を祭神として奉祀してあります。神社の創立年代は今から約1000年程前の平安時代と考えられます。祭神は平安初期に奥山に紅葉踏みわ...

石川県神社庁

 

白山坂hあ下り一方通行、二十人坂は上りの一方通行二つの坂が対になっているようだが。新たに小立野・笠舞線ができてこちらのほうが二車線の道で走りやすいような気がするが両坂の通行量は多い。



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