カメラを片手に

奈良公園の紅葉②水谷茶屋から滝坂の道の石仏へ

今朝は青空で、放射冷却があったのに5.3℃と平年並みの冷え込んだ奈良、
夏日から急に平年並みの寒さでも、身に沁みますね。     
      11時

昨日の2020.11.23奈良公園の紅葉①は東大寺境内から奈良公園の若草山下、
今日の2020.11.23奈良公園の紅葉②は水谷茶屋から春日大社境内に入り、
お参りを済ませると、上禰宜道で高畑へ出て、能登川沿いの東海自然歩道へ。


若草山麓から水谷川へ下りると、人混みに・・・結婚式参加者が写真を
そして良いカメラを抱えたお元気な方々も盛んにシャッターを


足早に人を避け、水谷(ミズタニ)川に架かる橋を渡り

春日大社境内に入ると、直ぐに摂社「水谷神社・ミズヤ」
漆喰で守られた磐座があり、御祭神は素盞鳴命・大巳貴命・奇稲田姫の三神、
病気封じ、八方除け、子授け(道の反対側に子授石)の御神徳でお参りされ
る方々も多い。なお左側にイブキの大樹があり、中ほどの幹が枯れ、そこから色付いたカエデが一本立ち上がる。



龍王社、一言主神社と総宮社から回廊に上がれば、七五三やお宮参りの方で
混雑していた。素早く抜けて、拝殿で参拝を済ませば、上禰宜の道を進み、
若宮神社や夫婦大國社を過ぎれば、人気がほぼ無くなり高畑の住宅街に至る。
東に向け道を上がれば、元ドライブウェーの春日山遊歩道入り口だが、飛鳥
中学校へと回り込み、東海自然歩道・滝坂の道入り口です。住宅が尽きれば、
春日山と高円山の間の谷川・能登川に沿って登る山道を上がっていく。

登るほどにどんどん紅葉が進み、1Kmほどで灯篭が見えれば、山側に妙見宮
への登り口らしい、でも通行止めになっている。
ここから江戸時代に敷かれた石畳が柳生へと石切峠まで2.5Km続く。

さらに600m程川沿いの道を昇れば「寝仏」が裏面に彫られた石が・・・。
左側が頭で手を合わせられるが、上から転げ落ちた石仏の一部とされている。
      拝借

更に100m程で「夕日観音」の表示が、
30℃以上の角度で上を見上げれば、山側の崖に、木々の間から「夕日観音
お目見え。(携帯で撮ったので✖)
1.6メートルほどの岩に彫られた鎌倉時代中期の磨崖仏・弥勒如来で、
右手では与願印、左手では施無畏印を結ばれ、鎌倉期の造りで朝日観音と
同じ作者と考えられている。
      拝借

更にその右下の崖に彫られた「滝坂三体地蔵」が見える。
      

なおもう一体「滝坂地蔵」 があるらしいのだが判らず、さらに500m上る。
石畳が続き、落ち葉も・・・

表示板に「朝日観音」と、そして鎌倉時代・文永2年(1265年)と銘があり、 
中央に高さ2メートルを超える弥勒如来、左右には小さめの地蔵磨崖仏が彫ら左側は錫杖を持つ地蔵菩薩で、弥勒如来と同時期の作だが、右側の地蔵さまは
錫杖を持たず、室町時代の作とされる。 
講義で、平安後期に春日山に経塚が造営された記録とともに出土品がある。
霊山の春日山に弥勒下生を想定されているのではと考えられている。

更に上れば、休憩所とトイレがある三叉路、四差路だが、

その交点に「首切り地蔵」が立たれ、鎌倉時代の1.8mの「地蔵菩薩」です。
首の部分で2つに割れ、剣豪の荒木又右衛門に試し斬りされたとの伝説が・・
実は中世、奈良町での行き倒れの死体放置場所が右手の地獄谷だったようで
地獄とこの世の境に立たれる地蔵菩薩との役割か・・・
      

休憩して考えたが、あまりいい気がせず、地獄谷聖人窟へ足が向かず・・・
このまま滝坂の道を上がり、峠の茶屋で遅い昼ご飯を摂ることに。
      

多くの石畳みが残る道を500m程上がれば高円山ドライブウェーに突き当たる
そしてを少し東南に向かうと、柳生への表示がある舗装道をさらに上る。
突然バイクの音がして、四輪と二輪のバイクが現れた。丁度そこが石切峠で、地獄谷石窟仏へ下る道があるが、通行止めだった。
そして北の山側に、芳山(ほやま)南峰という小さな表示が見えた。
思い出したことは、先の講義で平安時代の芳山の二尊石仏のこと。
見に行こうと、急に決まった。探せたかな???。

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