カメラを片手に

高山竹林園へ

今朝は冷えると思えば9.1℃迄下がっていた奈良、柔らかな光が雲の隙間から
注ぐも、20℃前後で最高気温も20.7℃となり平年並みに。
      12時、19.3℃、53%

忘れていた中生のタマネギの苗を発注すれば、11月5日以降とのこと。
今年の暖かさでまだまだ成り続けている満願寺シシトウ、ピーマンとナスビ、
そろそろ抜いて場所を開け、植える準備をしなくては。

今日は「紅葉忌」や「十千萬堂忌」、明治の小説家「尾崎紅葉」の1903年の
忌日で、没後120年になります。
硯友社をおこし「我楽多文庫」を創刊。泉鏡花ら多くの門弟を擁す。
口語文体を完成させて、 著作「二人比丘尼色懺悔」「三人妻」「多情多恨」
評判を呼んだ大作で未完の「金色夜叉」などと。
     「死なば秋露のひぬ間ぞおもしろき」紅葉
 
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先日連れ合いの供で山手にある茶筅工房「翠華園 谷村弥三郎」で茶筅製作の
現場を初めて垣間見ることができました。

茶筌の里」 と称される生駒市高山、その全国シェア90%以上生産されるが
その起源は500年以上前、室町幕府8将軍足利義政の時代の話で、この地域は
近くにある高山城主の鷹山氏が支配し、次男宗砌が親友であったわび茶の創設
者「村田珠光」に依頼されて茶筅を作ったのが始まりと伝えられている。
      

その後京都へ移った珠光、後土御門天皇との茶の湯の席で宗砌が献上した自作
の茶筌をご覧に入れれば、その繊細さにお褒めの言葉とその茶筌に「高穂・
たかほ」と命名して下さった。
これに宗砌は感激し、以後茶筌つくりに力を入れ、その製法を鷹山家の秘伝とした。そして高穂茶筌が有名になり、この高穂にちなんで高山村、高山城や
高山氏と改められた。
時代が過ぎても秘伝の茶筌制作、販売を許された家臣16名が秘伝、一子相伝の伎として、性を名乗る男子以外には茶筌の制作を許すことはなかった。
だが戦後、人不足により秘伝も一般に公開されれば、今では国の伝統的工芸品
に指定されています。
      元竹は3種


製作過程が・・・
こちらの方が、判りやすいですね。





現在高山では茶筌の製造に付属して、柄杓、茶杓、茶合、花器、菓子箸などの
茶道具も生産されるようになる。


      



さらに明治末期からの伸子針からの編針製造
も、大正時代の毛糸編針の出現により一大発展期を迎え、戦後の手芸手編み
ブームで編針の需要は急激に加速している。
このように高山は茶筌、茶道具、編針と時代を超えて竹製品の産地となる。

翠華園 谷村弥三郎からの帰り富雄川へ下りれば「高山竹林園」へと、橋の
欄干に竹のオブジェが飾られており、歴史を知りたくて向かうことに。
      

橋を渡ればバスなどの駐車場、そこを過ぎて上れば資料館近くの駐車場です。
当施設は、各種竹製品のPRそして振興を兼ね、市民の文化と教養を図るため1989年7月に建設され、資料館、茶室「竹生庵」、日本庭園や竹の生態園など
から成り、指定管理者は奈良県高山茶筌生産協同組合と伺いました。  
      

資料館MAPHPより

日本庭園


左側に和室が二つと水屋があるが、使用中でこの先へは行けない。


茶室「竹生庵」HPより借用

淡竹のの花が・・・
      

      

外国からも集められた竹や笹が約50種類植えられ、様々な竹の生態を観察
できるという竹林園へも行きたかったが
      HPより

・・・お昼時でお腹が空き、移動することに。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「奈良散策」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事