今朝も22.3℃とすっかり朝晩は涼しくなった奈良、陽射しの角度が低くなって
も強烈!、不安定な大気が一部に残るも、最高気温は33℃迄上がるらしい。
一週間予報でも真夏日が続き、長月末までこの厳しい残暑いつまで続く?
11時、29.3℃、68%
今日は「白雄忌」、江戸中期の俳諧師「加舎白雄」の1791(寛政3)年の忌日、
数え54歳で没す。
芭蕉以後、衰退期にあった俳諧を与謝蕪村、大島蓼太などと共に再び隆盛さ
芭蕉以後、衰退期にあった俳諧を与謝蕪村、大島蓼太などと共に再び隆盛さ
せ、中興五傑及び天明の六俳客の一人とされる。
本名は吉春、号は昨烏、白尾坊、露柱庵、鴫立庵、春秋庵など。
白井烏明に俳諧を学び、後に烏明の師白井鳥酔に師事し、影響を受ける。
白井烏明に俳諧を学び、後に烏明の師白井鳥酔に師事し、影響を受ける。
『加佐里那止』、『文車』の著書をもとに諸国をまわり俳諧を説き、日本橋に
春秋庵を構えて後進の指導にあたり、門人は4千人を数え、俳人として名を知
られた者だけでも200人以上にものぼる。
作風は近代的な感覚による自然描写で、無技巧だが繊細で情のこもる。
作風は近代的な感覚による自然描写で、無技巧だが繊細で情のこもる。
品川にある句碑は、吉野山で初案を十数年推敲を重ねた主情的な一句
「ひと恋し火とぼしころを桜ちる」白雄
もう一句は「此秋も吾亦紅よと見て過ぬ」白雄
我の小庭では、盛夏から枝分かれした先に穂をつけたような赤褐色の花をつけ
咲く「ワレモコウ・吾亦紅」だったが、今は見頃を過ぎてしまった。
バラ科ワレモコウ属の多年草で、古来から親しまれ、源氏物語にも登場する。
巻42 『匂宮(匂兵部卿)』
「老いを忘るる菊に、おとろへゆく藤袴、ものげなきわれもこうなどは・・」
意)匂宮は不老の菊、衰えてゆく藤袴、見ばえのせぬ吾木香などという香のあ
「老いを忘るる菊に、おとろへゆく藤袴、ものげなきわれもこうなどは・・」
意)匂宮は不老の菊、衰えてゆく藤袴、見ばえのせぬ吾木香などという香のあ
るものを霜枯れのころまでも、わざと香りに執着して心惹かれておられる。
こういうわけなので、この兵部卿宮のことを、
「少々軟弱で、趣味にのめり込んでいらっしゃる」 と世間の人は思い噂する。
「少々軟弱で、趣味にのめり込んでいらっしゃる」 と世間の人は思い噂する。
漢字表記では吾亦紅以外に「吾木香」「我毛紅」「我毛香」「我妹紅」などと
和名の由来として種々あり、確証に乏しいも挙げてみる
①根には一種のサポニンを含み吐血の止血薬として用いられ、ワレモコウの根
から発する香りが、インド原産の植物モッコウ(木香)に似ていることから、
「わが国の木香」という意味で「吾木香」と呼ばれたという
②花序が、織田信長の家紋としても有名な「木瓜紋(もっこうもん)」を割っ
たように見えることから、「割れ木瓜」と呼ばれたという
③花色が何色かを人々が議論していると、花が自ら「吾も亦紅なり」と言った
ことから、「吾亦紅」と呼ばれたという
花穂は松かさ状で、この形からボンボコの地方名があり、約 2mmの小さな花
の集合体で花びらがなく、4枚の厚い蕚が雄蕊と雌蕊を包んでいる。
穂の上から下に向かって順番に暗紅色に色づき「有限花序(ゆうげんかじょ)」
という。
茶花として床の間に飾られているが、花の命は短いですね。