カメラを片手に

三輪の大直禰子神社・若宮の本殿は大御輪寺本堂でご本尊は

朝から重く垂れこめた雲、時折弱い雨が降るも、7時過ぎから地表近くの雲が
徐々に盛り上がり、春日奥山の稜線を隠すと同時に、午前8時前から本降りに
なったった奈良、11日からの一週間、雨の降らない日はない。
この天候、予報では20日(金)までの10日間に及ぶらしい。
      7時20分、23.8℃、90%

「三輪明神・大神神社」の摂社「狭井神社」でご神水を頂き近道で戻る途中、
明治の廃仏毀釈で廃寺となった大神神社の神宮寺三つのうち「大御輪寺」が
      *大和図絵にも記載されている大御輪寺(若宮)
   

大神神社の摂社で、三輪の大神様のご子孫の大直禰子命(若宮様)をまつる 
「大直禰子神社 (若宮社)」として残された。

石段右脇で目立つ大きな古株は「おだまき杉・緒環杉 」です。
古事記の伝説に、ご祭神「大物主大神」と「活玉依媛(いくたまよりひめ)」と
の恋物語(神婚譚)に由来し、身ごもった姫が素性の判らない相手に、縫い付け
た糸巻き(緒環)の糸(赤土)をたよれば、三輪山に至ればご祭神と判明し、 
大田田根子命(おおたたねこのみこと)の御誕生を物語る杉とされる。
また残った糸は三勾(みわ=三巻き)で、ここから美和=三輪の名の由来と、
赤土で染まった「赤い糸」でむすばれるという話や、苧環(おだまき)が契りを
示す縁起物ともされる所以になるようだ。
      
 
江戸時代には、すでに文献に記載されている名木であったが、やがて枯れて
しまい現在、根本だけが大切に残されている。(大神神社HPの一部より改変)
  *文献の由来を探したが不明

鳥居には「若宮社」と掲げられ、その手前にはりっぱな狛犬が・・・      

境内に入れば、正面に本殿(重要文化財)が堂々とした建物で、お寺の本堂と
見間違うぐらい。
入母屋造り、間口5間、奥行き5間の堂々たる社殿は 、神仏混合時の大神寺
で鎌倉時代以降は大御輪寺の本堂になる。


奈良時代創建時の部材が残され、重要文化財に指定されている。
 

明治期の廃仏毀釈にて廃寺となり、これ以外に残された建物といえば、
有名なのは大御輪寺の客殿は安倍文殊院の庫裏へと移築されている。

またフェノロサが称賛した本尊「十一面観音立像(国宝)」は、廃仏毀釈より前
1868年5月16日に住職同士が相談の上桜井の「聖林寺」に奉安されている。
この「十一面観音立像」は760年代東大寺の造仏所で造られ、 
東洋のミロのビーナスとも称されるほど天平の優美なお姿です。
この御仏と出会うには、聖林寺では免震機能付きの収蔵庫に改修中だったため
東京国立博物館」本館特別5室で9月12日迄の
特別展「国宝 聖林寺十一面観音 ― 三輪山信仰のみほとけ 」にお出かけ中、
コロナ禍で一年延びた特別展事前予約中ですが、直接行っても入れそう。

このお堂の中でかつては四天王に守られ、前立観音の他、左右に多くの仏像が
並び立たれていたのだが・・・ 
行方が判明しているのは「地蔵菩薩立像・国宝」平安初期は「法隆寺」に
「日光菩薩立像」「月光菩薩立像」は奈良の「正暦寺」に移され
この特別展で150年ぶりの再会になります。

だがあの四天王はいずこへ・・・
かなり研究が進んでいるそうで、室生寺あたりが??

さて明治の廃仏毀釈まであった大御輪寺、浄願寺、平等寺の3つの神宮寺、
大御輪寺同様、近くにあるそうで訪れるのは、いつになるのでしょうか。

また「奈良国立博物館」で2月5日から3月27日まで同特別展が開催予定で、
伺いたいものですね。

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