最低気温も10℃と暖かく、黄砂で東の春日奥山はうっすらと姿を現すのみ。
マスクをせず外に出ると鼻水と目が・・・スギ花粉の仕業、ダブルパンチだ。
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日々ムラカミ☟
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昨日の続き「佐保川沿いのサクラ」の川路桜から歩を進め、佐保川堤の遡る。
佐保川ぞいに万葉歌碑が五つ建てられている。
昨日の記事の中、佐保川小学校の前にも建つ。
作者不詳の万葉集巻七 1123がある。
『佐保河之 清河原尓 鳴知鳥 河津跡二 忘金都毛』
「佐保川の 清き川原に 鳴く千鳥 かわづをふたつ 忘れかねつも」
2020.5.21
『佐保河之 清河原尓 鳴知鳥 河津跡二 忘金都毛』
「佐保川の 清き川原に 鳴く千鳥 かわづをふたつ 忘れかねつも」
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清き流れと共に、5Kmに及ぶ桜並木を管理保全されているのは「佐保川・川路
桜保存会」の皆さんで、川路桜の近くに詰所(数人)?があり、「ご苦労様」と
お声がけして歩けば「佐保せせらぎの里」に。
踏み石も配置されているが、向こう岸へは昨日の雨で渡れない。
右端に建つのは奈良県立大学、キャンパスがここまであるのです。
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佐保川の北側を「佐保」と呼び、奈良時代は高官の邸宅・別荘地で、「佐保大
納言」と呼ばれた公卿・歌人の大伴安麻呂から続く旅人・家持の三代も住む。
青柳を背後に万葉学者「犬養孝」先生の揮毫された1971年建立の歌碑がある
万葉集巻八 1433 大伴坂上女郎
『打上 佐保能河原之 青柳者 今者春部登 成尓鶏類鴨』
「うち上る 佐保の川原の 青柳は 今は春へと なりにけるかも」
佐保川を上ってみると、岸の青柳は芽吹いてもうすっかり春になったよう。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/70/0f9850f1f23e5bc6e9a57f20c9d69b8f.jpg)
さてこの反対岸にこの「坂上郎女」の歌と大伴家持の歌碑が並んで建つ
右側は万葉集六巻 993 「坂上郎女」
『月立而 直三日月之 眉根掻 氣長戀之 君尓相有鴨』
月立ちて ただ三日月の 眉根掻き 日長く恋ひし 君に逢へるかも
意)月がまた生まれて出てくる時の、三日月のような私の眉を掻いたから
意)月がまた生まれて出てくる時の、三日月のような私の眉を掻いたから
長くお会いできなかった恋しいあなたに会えたんですね。
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左側の歌碑は万葉集の編集者で476首の残した「大伴家持」の歌碑、
万葉集 巻六 994
『振仰而 若月見者 一目見之 人乃眉引 所念可聞』
「ふさけて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも」
意)空を仰いで三日月を見ると、一目見たあの女(ひと)の眉を思い出す
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16歳頃の将来の妻になる大伴坂上大嬢への初恋の歌とされているが・・・、
坂上郎女は16歳の家持に「恋の歌」の手ほどきをされたともされており、
巻八、1619 1620にも同様な歌がある。
余談だが、三度の離婚をした恋多き「大伴坂上郎女」は、大伴旅人の異母妹で
娘の坂上大嬢は家持の妻。
ということは大伴坂上郎女は叔母であり義母でもありますね。
万葉集には長短歌84首も遺し、歌の才能(血筋)は家持が継いだのか、
それとも・・・。
話をもとに戻し、さらに佐保川を遡るも桜はなくなり、佐保川堤から離れる
ところに碑が置かれていたが、しめ縄がされており撮らずに。
50m程で車道の出くわせば、大仏鉄道記念公園で三本の紅枝垂れ桜が一本に
咲き誇っていた。
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この中に法連町の由来の石碑の最後に、長屋王の万葉集巻三 300を刻む
『佐保過ぎて 奈良の手向に 置く幣は 妹を目離れず 相見しめとそ』
↓
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ここまで来たので少し先のパン屋さん「日々ムラカミ 」に寄ったのですが
定休日で折り返せば途中のお宅、各種の椿がいっぱい栽培されており・・・
生け垣にも![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/ba/083ed5bc97ec55a4fc64c0f3ae5ea744.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/ba/083ed5bc97ec55a4fc64c0f3ae5ea744.jpg)
下長慶橋まで戻れば、佐保川の大仏鉄道の橋脚跡も砂で埋もれていた。
だが川岸の石積に、奈良の稀豪・吉村長慶さんが残した『三聖人礼拝碑』
キリスト、マホメットとブッダが 描かれている。
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ここから左岸を行くが100mほど狭い車道をすすむのでご注意ください。
ここは流れが穏やかで、川面に映り込んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/e5/515796e86bfdd8d6cf516d8ab5bf1dba.jpg)
サクラのトンネル状に川面に下げられている。
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二つの歌碑を過ぎ、JR奈良線踏切に・・・京都からの快速が
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佐保川小学校前の『水辺の楽校』ではお弁当や休憩を
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手作りのぼんぼりが大宮橋まで続く・・・画家や建築士そしてお坊様も
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/82/35adea30dbfce27a7a89dbb989f18440.jpg)
お弁当などを食べられている姿を見て・・・11時半、お腹が空きました。
佐保川を離れ、奈良コンベンションセンターへ行ってみることに、次回へ