8時
孫も久しぶりに集まり、合同での誕生会、ハイボールを呑みすぎたかな。
今日から年金受給資格が・・・終活???
一昨日の「忍辱山・圓成寺の庭園の紅葉」のさわりだけでしたが・・・
圓成寺、伝では756年聖武・孝謙天皇の勅願により唐僧・虎瀧(ころう)和尚の開創だが、
史実的には1026年命禅上人が十一面観音を祀られたのが始まり、応仁の乱で焼かれたが、
江戸期には23寺を数えるまでに栄えたが、明治維新以降の廃仏毀釈などで今の境内のみに。
昭和36年まで庭園と本堂との境の道は柳生へのバスが通っていたそうだが・・・
う回路が造られ、昭和50・51年には発掘調査がなされた。かって中島に橋が架かり、
あの世とこの世の境を表す平安末期の浄土式と舟遊式を兼備した寝殿造系庭園で、
名勝とされる。
見あげる楼門は室町時代1468年の再建、入母屋檜皮葺で出入り口に花肘木が入る。
本堂より楼門を望む
受付への階段を上ると、1990年に再建された多宝塔、塔内には、右手は仏、左手は衆生を表す
智拳印の大日如来坐像(国宝・運慶25歳、最初期の作)が安置されていたが、現在は収蔵庫へ。
さあ本堂(阿弥陀堂)へ、重要文化財で1466年の再建で、入母屋つくり・銅板葺
御住職よりお話を伺うことができ、
”本堂と云いますが、実は御本尊は阿弥陀仏さまですので、別名阿弥陀堂で、
あの世とこの世を結ばれており、九重の蓮華台座にお座りになり、光背は
宝相華唐草透かし彫り、平安時代の定朝様式を伝えます。
HPより
廻りには本尊をお守する四天王、持国天(1217年、重文)、増長天、広目天、多聞天
持国天HPより
内陣の前方の四本の柱に衆生来迎二十五菩薩様のお姿が描かれ、先頭に立たれるのは
手前の右柱やや上方に蓮の花を手にされた観音菩薩様、極楽へ導いて下さり
左柱中央に合掌された勢至菩薩様は、迎え入れて下さります。”と
HPより
堂内には二つの十一面観音立像、薬師如来立像や南無仏大師立像も
もう一つの国宝は「春日堂・白山堂」1228年鎌倉時代の建立とされ、
春日造社殿としては、全国で最古になるそうです。
更にその東隣りには、宇賀神本殿(鎌倉時代、重文)、その南側に鐘楼(江戸時代)
護摩堂
十三重石塔が西奥に、木々に囲まれひっそりと
平安時代後期のもので、薬師・釈迦・阿弥陀・弥勒の四仏の種子が彫られています。
辞去する東門まえに、一つの歌碑が
「池水の 照り返す陽は 楼門の廂の裏に とどきてゆらぐ」
植村 武
バスの便、平日7便とまた少なくなったようですが、一度訪れて頂ければ。
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