カメラを片手に

円成寺から大柳生までの東海自然歩道を

時おり小雨ふる朝、12.8℃と座っていると、火がほしい肌寒な朝です。
10時

昨晩は急に連れ合いから先生が来られているのでと、ある宴に連れ出されました。
私も存じ上げており、40年来のお稽古事の師匠、昨春に東京へと居を移されたため、
連れ合いが引き継いだ会で、そのメンバーとの愉しい宴に参加し、覚えているのは
先生にご挨拶したことと飲んだお酒、ビール 日本酒 お湯割りの焼酎(一刻者の赤)と


あこう(キジハタ)」の活け造り、関西では「冬のフグ、夏のアコウ」と並び称される高級魚
薄造りがあっさりとして食感も良く、あとから甘みが・・・、
さらにアラを魚汁(みそ汁)も最高でした。


お蔭さまで今朝も軽ーい二日酔い、二日続きで連れ合いには、ばれない事を祈る。
昨日は「円成寺」編、今日はその続き「円成寺から大柳生までの東海自然歩道を往く」



円成寺東門から忍辱山バス停を過ぎ、国道からわき道へ入り、谷沿いの急な下リ道
竹林と化し暗いなか、山苺が

下り終えると、柿の木が迎えてくれ、土手にも薊の花がまだ咲いていました。
 

もう一山越すと


やがて白砂川がみえてくると川岸に藤の木に包まれた小さな林に、
 

その暗い林の中には石塔などが・・・『藤の森』または「不浄の森」と。
 

源義朝が平治の乱で敗れ、常盤御前が吉野に逃れるためこの地を通った際、産気づき
産まれた子は後の「牛若丸」。産着などを付近の集落に求めたが断られ、嘆いた言葉
「ああ、不自由な」から「不自由の森」と、さらに「不浄な森」へと変化し、
今は、藤の木が生い茂っているため藤の森に
 

山々に取り囲まれた大柳生地区、昔懐かしい原風景ですね。




夜支布山口神社に向って里山を上ると、献灯とかかれた石灯籠が


『夜支布山口神社』の鳥居前に到着、円成寺から2.3Km、約一時間半ほど


大柳生の氏神様、859年の延喜式にあらわれている古い社で素戔嗚命が祭神、
下り藤、正面に拝殿、後方に垣に囲まれた本殿があるが・・・
拝殿

当社の宮座に回り明神と云う祭祀があり、一年交代で集落の長老の家(当屋)に
神様の分霊をむかえると、毎朝口に葉を咥えしゃべらずにお参りを欠かさないと。
8月17日には太鼓踊りを奉納するのが習わしに。

境内にある摂社立盤神社の本殿は、春日大社の第四殿を、延享四年(1747年)に、
ここに移され、最古になり重要文化財に指定されています。

また背後の高さ15尺の巨石が御神体とされています。


春日大社とはもう一つ縁があります。
春日大社が創建されたときに、白い鹿に乗って鹿島大明神(武甕槌命)が奈良にやって
来られたといわれており、当神社の参道に、白い鹿の足跡と称される石が・・・
 

最後に水木古墳、古墳時代後期の横穴式石室を持つ16mの円墳で、一つ孤立しており、
当地域の首長の墓で珍しいとされる。


陽を浴びて、稲刈りが済んだ田にも・・・
  

農家の軒先には干し柿が、そして空には鷹が舞っていました。
 

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