今朝は真っ青な空なのに、深夜の3.3℃が最低気温で徐々に気温が上がり、午前10時過ぎには10℃を越えた。南からの暖気が流れ込む影響なのでしょうか。
東の春日奥山は霞んでいる。
10:10、10℃、67%
それにしても朝から震度5弱の地震が、山梨と和歌山でたて続けに。
どちらも震源域の多い地域だが、それにしても大規模な地殻変動の前触れ?
将来の災害の備え、減災に留意しなければいけませんね。
山の辺の道・奈良道Ⅴは、11月26日の「圓照寺」の紅葉を
前回Ⅳは百毫寺を出て、訪れる人の少ないから山の辺の道・奈良道を通り、
圓照寺の参道までやってきました。
参道には万葉歌碑が二基あります。
①万葉集 巻二十 4293 元正太上天皇(44代元正天皇)
『あしひきの 山行きしかば 山人の われに得しめし 山つとぞ此れ 』
②万葉集 巻二十 4294 舎人親王
『あしひきの 山に行きけむ 山人の 心も知らず 山人や誰』
直ぐに圓照寺の寺域(3000坪余り) に入る門柱がある。
右には石柱があり「大師堂 西圀三十三箇所霊場石仏」、山の辺の道へ
暗い参道から素晴らしい紅葉が迎えてくれました。
この山門を越えて左側にあるトイレは使用可能で、ここまで入れます。
山門付近で紅葉を愛でましょう。
山門の前には結界石『不許酒肉五辛入門内』が
なお五辛(ゴジン)とは、葫(にんにく)・韮(にら)・薤(らっきょう)・葱(ねぎ)・蘭葱(ひる)
山門をくぐると・・・この先関係者以外立ち入り禁止と。
右手に茅葺の本堂、円通殿とよばれ典雅な姿を見せる。
圓照寺は正式には「普門山圓照寺」といい、臨済宗妙心寺派の尼寺で、
斑鳩「中宮寺」、佐保「法華寺」と共に大和三門跡寺院の一つです。
江戸時代初め「後水尾天皇」の皇女「文智女王」が出家して京都の修学院に
創建されたが、修学院離宮の造営に伴い、現在の奈良市八島町に移転し、
その後現在の奈良市山町の地に移る。別名は「山村御殿(山村御所)」といい、
華道の「山村御流」の家元としても有名です。
なお三島由紀夫の小説「豊饒の海」に登場する月修寺のモデルとされている。
山門の右手には鐘楼があるようだ。
次回は圓照寺を出て、11月30日に歩いた山の辺の道・奈良道南コースです。