遠くの若草山も雨に濡れて芝の緑が優しく見えます。
この不安定な天候と蒸し暑さは、もう梅雨入れ状態なのでは?
7時23分
昨日の続き、柳生を見る・知る・歩く②、一刀石から
旧柳生街道は柳生から大柳生、忍辱山、誓多林(せたりん)等、
インドの聖地に見立てられた地を通ります。奈良・平安時代の
山岳仏教の道場と考えられ、300年前には武士が行き交い、
春日山と高円山の谷あいの道を行くと奈良市街の高畑に至る
16Kmの街道に、今は東海自然歩道としてハイカーが通るのみ。
国道369号まで戻ると渡った小さな打滝川、ゲンジボタルが乱舞
する川の一つ、6月中頃から白砂川等この一帯の夜は煌びやかに。
東へと山道を登りはじめますが、道際に新しい石に彫られたお地蔵様、
なんと最近偶然崩れ落ちた巨石から見つかり、大切に祀られている。
そして分かれ道にもお地蔵様が石に線刻されています。
炭焼き小屋に出会うも今はお休み。定年後に有志が集まり炭焼きを
12月から4月で、炭焼き体験もされており、問い合わせは柳生観光協会へ
山の中に入ると空き地が、お茶の栽培を高齢化のため止められたよう。
早期に植林されたのはよいが、手入れがされていない。茶の樹が・・・
道の真ん中に鳥居が、天石立神社の参道まで上って来ました。
参道の谷筋に巨石が見え始めると、苔むした巨石が、
巨石の傍らに拝殿があり、掲げられた説明によると
写真の拝殿の横、きんちゃく磐と呼ばれる丸く大きな岩が、
日向神社で祭神は天照大神に。
拝殿の後ろの横に伏したような三角錐が前伏磐で、
天立神社で祭神は天岩戸別命。
その後方で、斜めになった壁のような前立磐が、
天石立神社で祭神は豊盤門戸命、
その前立岩の背後に添うように後立磐があり、
天石吸神社で祭神は櫛盤門戸命。
この四つの巨石を合わせ天石立神社と呼び、伝承では手力雄命が、
天岩戸の扉を引き開けた時に力が余り飛んで来た岩戸の扉と。
さらに100m程山道を進むと、中央で割れた巨石が現れます。
言い伝えでは、柳生宗厳が夜毎この場所で天狗を相手に剣技を繰り広げ、
ある夜に一刀両断したと思ったが、翌朝見ると岩が割れていた云う。
地元の方のいたずらか、天狗さんが右上に置かれています。
花崗岩の劈(へき)開によるもの。
*その他に片理・葉理・層理・節理がある
地質学的には領家複合岩類といい、花崗岩類、閃緑岩類、塩基性岩類、
片麻岩類などから構成され花崗岩類は一般にマサ化によって、3~5mの
風化殻を形成して、これが露出した物かもしれない。
こんな面白い写真も、くもの巣と一刀石
さあその十兵衛はじめ剣豪を出し、宮本武蔵も訪れた旧正木坂道場が
大正末期に芳徳寺を復興に伴い、昭和40年に柳生十兵衛の弟の邸宅跡に
再建され「柳生正木坂剣禅道場」として柳生新陰流の精神『剣禅一如』を
受け継いでおられ、ここから600mほどの15分ほど山道を歩くと下にある
合宿所に着きました。(年に一度夏に外国の方も合宿されるそうです。)
石段を上ると、玄関部分は元京都所司代の玄関、道場部分は興福寺・
一乗院の建物で奈良地方裁判所として使われていた建物です。
内部を覗くと、・・・
さあ次は芳徳禅寺への坂道を登りました。次回に続く
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