オニユリ(鬼百合)が咲いていたところは、一月のイノシシによる食害にあって全滅したと思った。ダメだろうと思いながら見てみると新芽が出ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/bc/07c9c54dfa625a7b0be0d892f729c1c8.jpg)
かなり深く全体に掘られたので、ほとんどだめだと思っていた。だだし、大きい株はやられたので今年は咲き具合が心配になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/17/0494e2607da3100c97befdd851d796eb.jpg)
同じ場所に咲いた昨年のオニユリの写真
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/56/7cc400d4bfcdcc79e8e7b866009a1572.jpg)
オニユリ(鬼百合)が咲いていたところは、一月のイノシシによる食害にあって全滅したと思った。ダメだろうと思いながら見てみると新芽が出ていた。
かなり深く全体に掘られたので、ほとんどだめだと思っていた。だだし、大きい株はやられたので今年は咲き具合が心配になる。
同じ場所に咲いた昨年のオニユリの写真
我が家に自生していたヤマユリ(山百合)が年々数を増やし、今年は数え切れないぐらい新芽を伸ばしている。15年ほど前は5株程度しかなかったが、昨年は170本の竹節支柱で支える必要があった。
かねてから心配していたイノシシが一月頃にやって来て、大きい球根20から30株程度の被害を受けた。慌てて進入路付近にコールタール入りペットボトルをぶら下げたりした。その後現在まで進入は見られない。
ヤブレガサ(破れ傘)の中から顔を出すヤマユリ
マムシグサ(蝮草)ばかりだと思っていたら、図鑑を見てウラシマソウとマムシグサの違いをよく調べたら葉の下に大型の仏炎苞があり濃紫色をしている。
内面には白条があり、口辺部はやや開出している。仏炎苞の先端が釣り糸状に長く伸長している。これってウラシマソウなんだ。
マムシグサにも仏炎苞があるがその位置が葉の上にあるみたいだ。また、釣り糸状に長く伸長したものがない。長いこと勘違いしていた。マムシグサ(蝮草)とウラシマソウが半々自生しているみたい。
ウラシマソウの群生
ウラシマソウの先にあるオモト(万年青)は赤星病(葉ボチ)にかかっているので、撤去移動した。敷地にあるオモト全部が赤星病(葉ボチ)にかかっている。消毒をしなければならない。
手前左がマムシグサ(蝮草)、右奥がウラシマソウ
無我夢中で妻とともに働き続けきた人生だった。人生100年時代と言われている中で、後半の長い時間を妻と、どう過ごして生きるのだ。妻に聞いたことがない。
今から考えれば仕事が楽しく思える天職に恵まれたことだ。多くの一期一会の出会いに助けられたことを感謝しなければならない。恥ずかしい失敗と後悔もいっぱいしたが、妻に助けられて続けることができた。子育てを終えてやっと肩の荷が下りた。
人にはそれぞれ、いつかは「引くとき」が訪れる。人によってそれが早いか遅いかだろう。運よく転職と思える仕事に出会えたが、終わらせることも運よく運べた。妻は傍でわたしを見ていて、こんなに早く仕事から手を引くとは考えていなかったという。
緑に囲まれた田舎で静かに暮らそう。何とか食べて暮らせればいいし、もう好きなように生きたいと言ったら妻も同意してくれた。
夫婦おふたりさんが介護施設に入所せずに暮らせるのだろうか。
辞書を開くと、「終の棲家とは最期を迎える時まで生活する住まい」とある。
はじめ房総御宿で、別荘や田舎暮らしの家を数多く手がけた工務店は違うなと感じた。
妻と私の思いをできるだけ建築士に伝わるよう、資料、置き家具写真などを整理した。
プランニングする方の力量を信じて待つこと、プランの大胆さに驚きと感動を覚えた。
こんな間取り形状の設計になった。
私が心がけた、家作りの注意点だった
田舎暮らしの本を見たりして、この土地に巡り合うまで色々な所を見て回ったりした。思い出深い物件には、広大な敷地と古民家があるというので見に行ったところ、小さな小川を渡る橋があり藁葺き屋根が朽ちた廃屋同然の古民家があった。「敷地はあの山の頂上まで」ですと見上げると鬱蒼とした山があり、猿がものすごく多いんですよという重要事項説明には驚いた。
土地も一期一会で身近なところにあったりするものだ。妻が一目見て気に入り山林を手に入れた。今でこそ思うが、もっと広く購入すべきだったと。
そんな強い風雨にも耐えていたが幹があちこちで折れ、大きな洞もある。だから、初めの頃は樹形がいびつで、テングス病に冒され寂しい姿をしていた。年々手入れをして元気になった。この桜は、地域の初代の人々が植えた桜だそうだ。
我が家のトイレからは、満開の桜を見ることができる。トイレはくつろぎ空間というコンセプトに、四季の庭を眺めながら視線の先には里山の山並みが見える。
これは酔狂な贅沢なのだろうか。壁で囲まれたトイレにはない開放感 座って見る満開の桜
トイレは三角形の形をしている。三角の頂点に飾り棚と便器が座り、底辺にあたる壁は床から全面窓サッシになっている。
家のトイレを利用した人々は、皆異口同音に驚いていく。 もちろん車椅子での利用も考慮してある。外からの気になる視線は竹簾ブラインドで防ぐこともできる。
我が家の入り口にそびえ立つ杉の木と桜の木に囲まれた終の棲家。
家の前の道沿いには、地域の人々が15年ほど前に植樹した桜が大きくなって、家を取り囲んで桜が満開になっている。
我が家の前は空き地だ。ありがたいことで、独り占めしているような気になる。
この空き地はキジの巣になっていて、明け方には大きな鳴き声で鳴いている。