石巻白梅ししの会便り

石巻のためにできることを一緒にしようね!!

お流れになっていた同期会  (最後の同期会?)

2024年12月02日 | 活動

 

 写真は石巻市の 「多目的ホールレベル3」の建物。観慶丸の近くにできた貸ホール。

 

 ここで、「門脇中学校昭和40年度卒業生の同期会(最後のお別れ会と題してあったかな?)」が開催!

 門中同期会は、なんでも4年ごとオリンピックの開催年の開催となっていたようですが、思いがけぬコロナ禍により、流れた状態になっていたのでした。

 そんな中、門中関東支部の方が、「今度は関東の人たちがお世話します」と名乗り出てくれたのでした。

 でも、現代は個人情報を大事にする時代。そのため名簿がなく全体はおろか自分の知っている人でも連絡ができず、口コミによって知らせたためとても苦労したとのことでした。

 テレビでは大手企業等からの大量の個人情報の流出がニュースになりますが、身の回りでは名簿がないため不自由なことが度々起きています。悪用する人のおかげで迷惑を被ります。

 今回参加した人達には連絡先を書いていただいていました。

 

 同期会では、突然みんなでタイムスリップするところが醍醐味です。

 でも、当時中学校で7クラスあり、一クラス50人くらいいたでしょうか?当然同じクラスや同じ部活にでもならなければ知らないままで卒業することになる同級生も少なからずいたわけです。

 そんなわけで今回の参加者は31名という少人数ではあったけど、見渡すと知らない?方がいます。

 ですが、確かに聞き覚えのある名前、よく耳にした名前...「でも、中学校時代のその顔が浮かばない」という方が何人か。幹事のÑ君たちが当時のクラス写真からの一人ひとり写真付きの名札を作ってくれていて、それが手がかりでもあるわけですが。

 それで、「あの、同じクラスになったことがあるでしょうか?」等と聞きながら名札を拝見すると、「えーーーー!! 〇〇さんなのー~?」ととてもよく知ってる人だったりして、ビックリです。全然変わらない人もいるのですが、(ちなみに私は全然変わっていない。一目で分かったと言われ、これは喜ぶべきか?あるいは昔老け顔だったのか?でも、髪型が同じだからかな?ショートカットだったから。)しかしあまり深く考えても意味はない。とにかく一緒に若返った気持ちになるのが嬉しい。

 そして、多感な青春をともにした時の想いが沸き上がり、なんとも言えない懐かしさや愛おしさを感じるのだ。

          

 特に私たちの当時の時代は日本が右肩上がり向かっている時だから、希望があり明るい時代なのだろう。

 そして、今考えると現在では大変になりそうな先生もいた。パワハラと騒がれるような...。でも、生徒たちもそれぞれ思いおもいに過ごしていて自由だったような気がする。良いことだけではなかったかもしれないが、親は子どもに躾をし、先生も今より気持ちにゆとりを持って接してくれていたように思う。何より社会が今より寛容でいられた時代だったと思う。

 BGMは、T君とN君のおやじバンドで当時の懐かしい曲の演奏!そして一緒に歌う彼女たち!

 コロナ前の同期会の時よりも皆穏やかになったような雰囲気で、これも年齢のなせる業であろうか?

 あるいは、大震災を乗り越えたきた安堵感もあるのだろうか?

 

 何はともあれ、小学校や中学校の時の華やいだ雰囲気の笑顔に会えたことはとても嬉しいことでした。

 同期会というものは、開かれる時の皆の年齢によっても感じ方も違ってくるものですね。

 次に大勢?集まることはないのかもしれないけど、「またね。元気でね!」と言って別れを惜しんだのでした。

 幹事さんありがとう!楽しかったです!

  

 

※ 今回は、家庭の事情等で参加できない人も少なからずいたよう。残念ですが仕方がないですよね。

  でも、いつかまた会える時を楽しみにしていましょう。

 上の写真にある2階建ての茶色っぽい建物が会場です。右手前に観慶丸があります。石巻もいろいろ変わりますね。看板(?)が小さく探すのにちょっと苦労しました。

※ お土産にいただいた醤油

     


「あ・ら・ 伊達の道の駅」  2024年日本一に輝いた!

2024年11月26日 | 紹介

            

 

 上の初めの写真は、東北ではここでしか販売されていない「ロイズ」のチョコレートを使ったポテトチップチョコレートです。宮城県の「岩出山デザイン」です。

 そして、2枚目はかりんとう。岩出山と言えば「かりんとう」昔、職場にどなたからの差し入れの岩出山のかりんとうが一斗缶入りで届いたことがあり驚いたことがありました。

 その時「岩出山のかりんとう」とインプットされました。しかも一斗缶なんて。今ではめったに聞かない名前です。(サイズはオーソドックスなもので 235miri×235miri×340miri。18リットル。 調べてみると現在でも販売されている。醤油等の調味料、サラダ油、業務用洗剤の容器に使われているそう。)3~4千円でした。

 ここにもありました。一斗缶入りかりんとう。2枚目の写真は袋入りで少量ずつのものです。

 種類は、「じねんじょかりんとう(プレーン・仙台味噌)」「よっちゃんなんばん甘辛かりんとう」「ごぼうかりんとう(ピリ辛)」、「芳醸黒密かりんとう」「凍り豆腐かりんとう(生姜糖・プレーン)」「もみの木かりんとう(ゴマ・黒糖)」「大久保製菓かりんとう」なんと10種類もあるんですね。どれを買うか迷います。

 

 さて、これらを販売している所は宮城県の北部、岩出山の国道47号線沿いにある道の駅「あ・ら・伊達の道の駅」。2024年「じゃらん」全国「道の駅」グランプリ第1位の所なのです。

 先日テレビでここを特集していましたが、行ってみて「なるほど」でした。

 このお店限定のものがいっぱいです。

   

 牛タン一つとっても様々な製品。おなじみのポテトチップスやハッピーターンまで牛タン味があるんですね。プレッツエル、せんべい、ジャガリコまで。

 それから、ちょっと触手が動いたのは、右側の「お焼きホイップ」大判焼きにホイップクリームがのっています。1個300円です。

 

  私たちが行ったのは、平日。にもかかわらずこの混雑!「平日でこれだったら日曜日は大変ね。」という声が聞こえました。本当です。食堂も満席でした。(お昼時に着いたので当たり前か?!)しばらく店内を見て回り買い物をしてからまた行くと、少し空きがあります。

「さて何にしようか?」とメニューを見ます。

           

  メニュー写真はっきりしませんね。(写真の撮り方が悪いだけです。)

 メニューの中の1番人気のラーメンを選びました。手作りのだしを使っています。(メニューの左上)

 できました。

   

  汁が美味しいです。自家製だしがさすがです。一さじひとさじが美味しく味わえます。

  そして、もう一つの見ごたえ。3枚目のチャーシュー。この厚みがすごいです。4~5mmもありそうです。この2枚だけでも結構なボリューム!!

  その他、様々な品物の種類がずらーり。次々に珍しい物が続き1度の来店ではとても見切れません。もちろん買い切れません。

  「また来なければ...」と思わせるに充分です。

 

 1枚目は地場の様々な農産物がならんでいる売り場です。2枚目は米です。いろいろな銘柄がそろっています。先日のテレビではこの新鮮な米が紹介されていました。 

 姉妹都市の物産販売コーナー、麺類、定食、パン、ジェラートetc...。

 それにしても、すごい賑わい。この先47号線を奥に進むと、鳴子温泉郷もあります。川渡(かわたび)温泉もあります。「かっけ川渡」と言われ名湯です。以前よく通いました。泉質の良いいくつかの温泉があり、冬に開け放した窓の外の雪景色を眺めながらの入浴は至福の時でした

 外には、出店(でみせ)のようなものもあり、その中の一つの舞台では、猿回しの芸が。アナログな芸にちょっとほっこり。

  

 岩出山のざるならぬ籠の売り場も。こけしもあります。ここに来れば宮城の地場産業についてかなり理解が深まりますね。

 もっともっとお知らせしたいものがあるけど、このくらいにしておきます。

 後は写真でごらんください。

 

   

            

 

 こうしている間にも。世の中はどんどん動いています。アメリカ大統領選でのトランプ候補の圧倒的な勝利、国会での衆議院選の結果、自民党の議席過半数割れ、他党の増減、兵庫県知事選での斎藤氏の返り咲き等々。

 それにつれて自分の身の回りにも変化が起きてきています。(1番は老化かな?)

 何はともあれ、何かが起きても意外に思わないかもしれないような不穏?不安?な感じがなきにしもあらず です。

 少しでも平和が続くよう祈りながら身の回りのできることをしていくしかないのかな?

 穏やかに明るく過ごしていきたいものです。

 

※ 追 記「どうして道の駅の名前が『あ・ら・伊達の道の駅』なの?」と聞かれました。

  「あ・ら・」はインパクトを感じさせるためじゃないかな?と答えた私。

 では、「『伊達の道』は?」と問われ、「伊達家に所縁があるから 」 と答えましたが、詳しく説明できないのが残念。

 実は、ここ岩出山の地は伊達政宗が、1603年徳川家康から命を受け、仙台城を築き、移るまでの12年間居住していた「岩出山城」が

ある。正宗が仙台城に移ってからは4男宗康が城主となった。一国一城令後は岩出山伊達氏が1万4640石で明治維新まで治めたのだ。

 ここには最古の藩校「旧有備館(きゅうゆうびかん)」がある。岩出山伊達家が開設した学問所であり、その庭園が素晴らしく、国史跡・名勝に指定されている。(庭園は、4代村泰により整備されたと伝わる回遊式池泉庭園)

 なお、道の駅の名前は「あ・ら・伊達な道の駅」と書かれていることもある。

 「伊達家の道の駅」と「伊達な道の駅」という二つの意味が掛け合わされているのかもしれない。

 「だて」の意味は伊達家のほかに、おしゃれとか派手とか粋という意味がある。そう考えるとなかなか良い名前と感じられる。そして、「あ・ら・」がちょっと、意味を持ってくるようです。

 周りは山や畑です。だから「岩・出・山」という地名ができたのかな?

 

 

 

 


薬來ガーデンにいきました!

2024年08月31日 | 活動

                

             薬來ガーデンの入り口入ってすぐの「アンブレラスカイ」

 

今年の6月のことです。

 

 「薬來(やくらい)ガーデン」に行ってみることにしました。

宮城県加美郡加美町味ケ袋薬來原にあります。県北の内陸の方にあります。このへんではよく聞く名前です。

以前、イオンのジャスコのスーパーで薬來ガーデンの結婚式場の紹介のイベントを見ました。コロナ禍前でしたが、様々なウエディングドレスをまとった素人っぽい若いモデルさんが次々に登場して、買い物にきた皆さんもうっとり?と眺めていました。

今から考えると、「コロナ前」という言葉が浮かんできます。コロナ禍以降は5類に移行したとは言え、冠婚葬祭に関しては以前と大分変化したように思います。

とまあ、そんなこんなで頭の隅にあった「薬來山ガーデン」に行ってみることにしたのです。

思ったより遠く、4号線から私が行ったことのない道に入っていきました。加美町に入ったのですね。そこからも道は長く続き建物などは昔田舎で見たような古い造りのものが多くちょっとタイムスリップしたような懐かしさを感じてしまいました。

 

でも、目的地に近づくにつれて、ところどころにしゃれた現代的な建物が見えるようになり、観光地らしくなってきました。

薬來山と思われるはっきりとした山が間近に見えるようになり、いよいよかと胸を躍らせながら山道を登りました。

しばらく登り、ようやく広い駐車場にある建物に着きました。

まずは、一服!ということで休憩所のようなお店に入りました。そのそばには宿泊所(コテージ)もありました。

山の上の空は広く雲も逞しく感じられました。         

       

食事処を見ると、「加美こうじみそラーメン」の看板があったのでそれを注文!店の中には3枚の垂れ幕のようなもの(下の写真)があり、真ん中のピンクのものにはには「 毎月第3日曜日には家族団らんの食事を楽しもう」とあります。珍しい内容ですね。でも、分かるような気がします。平和な家庭は社会の活力になりますからね。

         

 

 

        

ラーメンはそれなりに美味しかった。

お店には、いろいろ名物のお土産物などがありました。珍しかったのは写真の「ワサビアイスクリーム」です。食べなかったけどどんな味なのでしょうか?石巻にも様々なアイスクリームだありましたね。「ササニシキアイスクリーム」とか「サンマアイスクリーム」とか随分意外なものが入ったアイスクリームがありました。今は販売しているでしょうか?

さて、お店を出ようとすると出口の脇にはこんなものが。(写真下)

水槽になにやら水性の生き物がいるようです。生き物の名前が書いてありました。懐かしい名前のものもありますね。

これもローカルらしい魅力ですね。

      

 

外の建物には、こんな張り紙が...。どこにもいるんですね。油断はできません。

      

 

駐車場を出てまた、登っていくとそれらしい所につきました。

時間が4時近くだったせいか、車はまばら。公園の入り口近くに止めて車を出た途端にビュッー!ビュッー!と何やら飛び回る虫?アブ?最近都市では見ることもなくなった真っ黒い羽根のある虫が勢い良く飛んできて車にぶつかったり、中に入り込んだり私たちの顔にもぶつかりそうな勢いで何匹も飛び回ってきて、慌てて車の窓を閉め、入り口に向かいました。あんなに勢いのある虫には久しぶりに会いました。山の虫は空の広さや力強い雲と同じように迫力があります。まず驚きました。

      

公園の中に入るとすぐに、カラフルなパラソルがお出迎えです。「アンブレラスカイ」と言うようです。

(初めの写真)そしてその横には「おとぎのくに」のようなお家が。

   

でも、この時期(6月下旬)はちょうど花の入れ替え時期ということで咲いている花は少ないとのこと、でも、パラソルがまるで花のような鮮やかさです。 

 

  

 

   

 

  

   

 

広い空!広い畑!風が吹き通り見渡す限りの自然!心も穏やかになります。もう閉園間近なので閑散としてよけいに広さが感じられます、

 

  

帰り道になると、レストランの看板に目がとまります。美味しそうでしたが時間的に終わっていて残念!! これは次回のお楽しみにしましょう!

  

 

とにもかくにも急ぎ足で来た薬來ガーデン。とても、豊かな自然に恵まれた所でした。

花が満開の時はさぞ見事なことでしょう!澄んだ空気が美味しい所です。

また、来る時を楽しみに来た道を帰りました。田舎っぽいひなびた感じの町(?)並が郷愁を誘います。

たまに来るには、気持ちが落ち着き普段の喧騒を一瞬忘れるスポットでした。

スキー場や温泉もあり紅葉も見事なそうです。いろいろな楽しみ方ができそうです。

 

今年は、元旦の地震から始まり、その後南海トラフ地震警戒情報が出たり、その後近づいてくる大型台風があり、様々な被害をもたらしたりと、気持ちの落ち着く時が少なかったように思います。私はボランティアに行くことはできませんが、1日も早い回復をお祈りしています。

今年大きな災害には出会っていない仙台近郊ですが、先日ニュースになったのは、仙台の団地(泉ヶ岳に近い所)住吉台の道路を歩いている熊が目撃されたことです。映像にも映っていて、住宅の間の道路を曲がって行ったのです。近くには学校もあるということで心配されています。

現在女川の原子力発電所の再稼働が11月から始まるということで、それに反対する活動が始まっています。地震と原発の関係は悩ましいです。

 

いろいろ事件(?)はありますが、時には心を潤す瞬間が必要です。「薬來ガーデン」はそんなひと時になりました。

 

 

 


「石巻探訪」・・ どんぐりさんからのお手紙 

2024年07月21日 | 紹介

                 

            日和山の下の西光寺付近

 

どんぐりさんからお便りが届いていました。7月の10日だったのですが、私の方がなんだかんだとあり、なかなかアップすることができませんでした。

遅くなったごめんね 

さっそくごらんください。

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石巻探訪

用があって久しぶりに石巻を訪ねた。

ホテルに泊まって、初めての方々とばかりお会いする予定だったので、緊張感があって、故郷に帰ってきたような気にはなれなかった。

それと、今回は2年前に来たときと違うところを見てまわった。

前回は津波復興祈念公園や石巻市博物館などを忙しくまわったが、今回は西光寺さんにつくる「いのり大佛」様への寄付と、北上川の川岸を見るために、「いしのまき元気いちば」に行くことも目的のひとつでもあった。

       ①        ⓶ 

写真① 駅前の案内板。これは石ノ森作品のキャラクターの像のあるところを示している。

 

(1)西光寺「いのり大佛」

写真② 右のお寺が西光寺。左の道が日和山の神社への参道で、津波の時、ここを上に上がった人たちは助かった。「いのりの大佛」様は、この道のもう少し左寄りで門脇小学校の隣に位置して見える場所につくるとのこと。  

いのり大佛プロジェクトについては、前回のブログに載せた新聞記事でおわかりいただけると思うので、説明はしないが、復興祈念公園の「がんばろう石巻」だけでは津波直後と違って、津波で家族を亡くされた方がここで手をあわせるには無味乾燥すぎやしないかと思っていたところだったので、我が意を得たりという気がした。

あの看板は、津波直後の民家の便器のあった場所だったので、「がんばったじゃないか、それはそれでもういいのでは」という気持ちがあった。

その点、大仏様に手を合わせて亡くなった家族へ思いをはせるというのは、気持ちが救われ、心穏やかになるのではないだろうか。なんとすばらしいプロジェクトだと思った。いのることは生きていく人の力になる。

 

   ③   ④ 

  ③ 遺族会の言葉は特に心を打つ。     ④ いのりの大佛プロケクトの説明パンフレット

 

  • このプロジェクトへ賛助金

1口3000円から

振込先 ゆうちょ銀行から 10160-54541061

    その他の銀行から 〇-八 普通 5454106

口座名義 イノリノモリヲツクルカイ

 

  • お問い合わせ先

 いのり大佛プロジェクト 西光寺内

〒986-0834

宮城県石巻市門脇町2-8-3 ℡0225-22-1264

HP https://inoridaibutu.jimdofree.com

 

 

(2)いしのまき元気いちば

タクシーの運転手さんに、どこで夕食を食べたらいいか伺ったら、ここの元気食堂を紹介してくれたので連れていってもらった。北上川と中瀬の石ノ森萬画館を眺めながら2階から入ったら食堂だった。5時過ぎていたせいか、お客は誰もいなかった。帰るまでには何人か旅人がきたが、団体仕様にしてあるので、部屋は広かった。

HP  いしのまき元気いちば (genki-ishinomaki.com)

 

元気御膳を食べたように思うが、特にみそ汁がおいしかった。

 ⑤  ⑥ 

⑥ 東を眺めると、川向こうとの間の中瀬に、石の森漫画館が見える。その右に旧石巻ハリストス正教会教会堂が小さく見える。

⑦ 1階は元気いちば。昔よりかなりデザインが進歩した色とりどりの商品が並んでいた。ここで名古屋へのお中元を発注・今が5時過ぎているのに、クール便で明日の午後には着くという。すごいねえ。

 

(3)街中ぶらり

少しだけ、周りをぶらついた。もとサルコヤだった店はシャッターが降りていた。津波の後、売り物だったアップライトピアノが泥にまみれて道に出されていたっけ。

 

サルコヤの南の壁面に、赤いお稲荷さんの祠があって、りっぱなズッキーニが供えられてあった。

   

 

「人とアーカイブの交差点」では「73年前の石巻&宮城」という米軍医師が当時撮った写真の写真展が催されていた。

 

  • 同時開催:

①震災前の住宅地図閲覧 ②津波流写真閲覧 ③郷土史資料閲覧

 

  • 展示期間:

第一期 2024年5月17日(金)~8月19日(月)

第二期 2024年8月30日(金)~10月14日(月)

開館時間 10:00~17:00(休館日 火・水・木曜)

 

  • 会場:人とアーカイブの交差点

(石巻市中央2丁目8-2 ホシノBOXピア)

 

  • お問い合わせ:

特定非営利活動法人 石巻アーカイブ

 

HP 1951panhu.pdf (ishinomaki-archives.com)

 

閑散としたたちまちの街通りを歩いていたら、めっけ!!

「石巻学」の編集者の大島幹雄さんがよく石巻に来て講演している場所を見つけた。ラ・ストラーダ。

7月は7月30日。

       ⑦        ⑧

 

HP  スケジュール詳細 | La Strada(ラ・ストラーダ) (la-strada.jp)

 

2024年7月30日 火曜日

「弁護士布施辰治」   ・時間 開場 18:00 開演 18:30  ・入場料 ¥1,500

出演
案内人:大島幹雄 (石巻学プロジェクト代表)
ゲスト:伊藤匠 (石巻市博物館 主任学芸員)

 

*入場者数を制限する場合があります。
来場予定の方は早めにご予約をお願いします。

 

予約・お問い合わせ ℡0225-94-9002 

                                              

さあ、今年いちばん石巻が盛り上がるのが、この川開きだろう。

みんな待ち遠しいことだろう。

ひとつ気になったのは、せっかく石ノ森萬画館があるのだから、こどもたちに絵を描かせたり、漫画家をよんで漫画を描かせたりする場、または競う子供たちの場(大会など)があってもいいのではないだろうか。

博物館の企画で武蔵野美術大学の学長さんが子供たちに絵の指導をするという企画があったが、新しい石ノ森章太郎や新しい高橋英吉を生む企画が足りないのではなかろうか。

若者が石巻から出ていくことを嘆くだけではなしに、そういう子供たちが羽ばたく手助けをしてあげるのも、石巻の役目ではないのだろうか。

それこそ20年後、30年後の石巻のためになると思うのだが。

 

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どんぐりさんありがとうございます。今回は少しゆっくりできたのでしょうか?石巻の川開きは終わってしまいましが。花火の他に様々な催しがあり楽しそうでした。花火はかなり真近で見られるのが魅力の一つのようです。 

 

 


石巻・門脇に「いのり大佛」建立へ

2024年05月24日 | お知らせ

                    

                         大仏のイラスト(施無畏与願印)   

                                                                              景色の写真は2013年の日和山からの風景

新聞記事は2024年(令和6年)5月5日の朝日新聞より

 

どんぐりさんから、新聞記事の紹介がありました。

石巻に大佛建立の計画がすすんでいるという内容です。

 

河北新報の記事も見つけました。

それは、2023年3月15日「石巻・門脇に『いのり大佛』建立へ 西光寺などのプロジェクト始動」という見出しです。

門脇地区にある西光寺の樋口伸生住職(60)が代表を務め、西光寺震災遺族会「(蓮)はすの会」や趣旨に賛同する各地の僧侶、復興支援を機に親交を深めた石材店などが協力するということです。

市震災遺構門脇小となりの西光寺墓地にある慰霊広場「祈りの丘」に、台座や光背を含めて高さ約5メートルの阿弥陀如来坐像(ざぞう)を建立するとのことです。西光寺での計画発表会では、樋口住職が「12年がすぎても癒されない悲しみと苦しみを抱えた遺族や、人生に苦悩する人、みんなのために仏様をお迎えしたい」と話したそうです。

2年後(2025年)3月11日建立を目指しています。

事業費は、4000万~5000万を見込み寄付を募っています。

 連絡先は西光寺 0225(22)1264 です。

以上は2023年3月15日の河北新報の内容です。

 

初めの写真の2024年5月5日の朝日新聞の記事には、「いのり大佛」建立ための費用を集めるため、全国を行脚している山谷にある寺の住職、吉永岳彦さん(45)のことなどが書かれています。

吉永さんは、台東区清川の浄土宗 光照院の住職です。

光照院は全国有数の「日雇い労働者の街」として知られている山谷に近いところで、吉永さんは路上で暮らす人たちの支援を続けてきました。東日本大震災の直後からボランティアとして被災地に入り、そこで子どもを失った親たちの苦しい胸の内を聞いてきており、「苦しい時、複雑な気持ちを丸抱えしてくれる存在が欲しい」という訴えをきっかけに「いのり大佛プロジェクト」が始動したことが書いてあります。

プロジェクトの代表は、石巻市にある浄土宗西光寺の住職樋口伸生さん。吉永さんは勧進僧代表として、このプロジェクトに関わっているとのことです。

「いのり大佛」には東日本大震災だけではなく、コロナ禍世界各地の戦争や紛争で大切な人を亡くした人たちが祈ることができるよう、との願いも込められているとのことです。

 

これまでに3000万円分の寄付が集まり、残りの3000万円を募っています。

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来年3月11日を目指しているのですね。素晴らしいプロジェクトだと思いました。

次の写真は震災直後の雲雀野町海岸の風景です。

※ イラストはフリー素材です。

 

 

 

 

 


ひつじあかねさんからのお便り [無題]

2024年04月20日 | お便り

                  

 本当に久しぶりに、ひつじあかねさんからお便りが届きました。

ひつじあかねさんは「つなみてんでんこ」の絵本の執筆者です。東日本大震災直後にその絵本を出版した方です。

津波がおきたら、それぞれてんでんに(家族を心配して家に戻ったりせず)それぞれがそれぞれ高台にいち早く逃げる等、助かる行動をとることの大切さを知らせる言い伝えをもとにした内容でした。

 

そのひつじさんが、今回は次のような物語を寄せてくださいました。(題はありません)

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 しばらくは幸せに暮らしていました。

 そんな若夫婦に待望の赤ちゃんが産まれることになりました。
 嫁は働き者の夫に負けず劣らぬ知恵者でありました。
 怠けるということを知りません。美味しいご飯を作りながらも文字を学んだり、知らないことを知ることが大好きで楽しかったのでした。が、もうそろそろ生まれる頃になったその時に、嫁は赤ちゃんを迎える準備がもう少し足りないと気がついて、夫に買ってきてもらいたい品物を頼みました。

 お天気の良い日に夫は小銭と風呂敷を持って町へ出かけました。その日は小春日和。桜の花が咲き始める頃のことでした。
 嫁は夫が帰るまではまだ赤ちゃんは生まれないだろうと思っていました。産婆さんも近くにいるし、村人たちも優しいし大丈夫、心配ないと思っていました。
 今日一日で済む話しなのだから。

 


 大工の夫は町で仕事がある日は大工仲間が迎えに来ます。いつもは町まで仲間達と歩くのですが、今日は一人で歩きます。
 大工の夫は思いました。
「あ〜ぁ、なんて自由なんだろう」今、自分を縛るものは何もありません。
 今日一日のご用は単なる買い物だけ。
 頼まれた品物を調達したら、町でのんびりと、くいと酒でもひっかけて夕方までには帰れば良いだろう。
 大工はそう思いました。


 普段は真面目な夫は、ちょいとだけ、今日だけはのんびりしてみたいと思いました。それは悪いことではないだろうと。
 いつもは大工仲間達と仕事上がりにちょいと一杯ひっかけてから一緒に帰るのですが、今日は珍しく一人です。

 町に着いて店で買い物を済ませるとご用は終わりました。品物を包んだ風呂敷を肩に担ぐとお日様が真上に来ていて腹が空いて来ました。

 団子屋で食べる昼飯は美味しいのですが、何かが足りない気がします。

 大工の夫の足はいつのまにか自然といつもの酒場に向かっていました。
 お天道様の高いうちはお酒を飲んだことがないのですが、今日は特別な自由の日です。
 それに、おでんにはお酒が良く合うのです。お釣りの小銭も重いので、全部お酒に変えて飲み干しました。

 そしてふらふらした足どりで、川沿いの土手を歩き、大きな桜の木の下でコロンと眠ってしまいました。
 危なっかしい酔っ払いめ!が。

 昼間の酒は体を温めて酔いが回るのが早いのかも知れません。
 穏やかな春風が草花の甘い香りを運び、若い酔っ払いを包みます。風呂敷包みを枕に大工はしばらくの間夢の中。
 何の記憶もありません。

 はっとして目覚めると、辺りはまだ陽が落ちる前でした。まだ明るい。
 「帰らなければ!」
 大工は慌てて、風呂敷包みを抱えると歩き出しました。


 家に着く頃には暗くなってしまう。
 いつもの道を夢中で歩きました。
 急いで歩きました。
 もうそろそろ家に着く頃と思いながら歩きました。

 昼間の酒とおでんのおかげで大工は疲れません。
 睡眠も充分でしたから朝になるまで夜通し歩き続けました。これは…。
 実は、人間には見えていないのですが、近くの森の中に住んでいる狐や狸など色々な動物達の精霊が面白がって大工をバカして楽しんでいるのです。                             

                                        

 朝になってうっすらと明るくなり、周りが見え始めた時に大工は気がつきました。
 自分が同じ田んぼの中をぐるぐると歩き回っていた事を。

 大工は全身ドロだらけになって朝やっと家にたどり着きました。

 赤ちゃんは父親が狐に騙されて田んぼの中をぐるぐる回っていた夜のうちに、朝までには生まれていました。
 珠のような男の子。

 息子を授かり喜んでいた嫁は帰って来た夫の姿を見て笑いました。
 全身ドロだらけでみすぼらしい。
 その話しを聞いて、またまた笑い転げ、たいそう笑ったんだとさ。

 

 でも、生まれてきたその子どもはなぜか、つまらないウソをつく子どもでした。

 親になった大工の夫婦は子どものウソつきを直そうと頑張りました。
 一生懸命に愛情を注いで育てました。
 そして、小さな祠(ほこら)の前ではお稲荷様に呪文を唱えました。
「いつも商売繁盛ありがとうございます」
「いつも豊年満作ありがとうございます」
「イタズラしないでください」
   などと唱え続けました。

 そのおかげ様かどうかは分かりませんが、大人になるまでにはその子どもは、人を騙す「ウソ」は悪いことだと反省する人間になったんだとさ。

 そうなんだってさ。
         おわり

                 

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以上のようなお話です。

童話のようなファンタジーのような、でもちょっと怖いお話でした。

ひつじさん、ありがとうございます。久しぶりに新鮮な物語を読むことができました。

 

ところで、ひつじさんは写真3枚についての説明もつけてくださいました。以下に紹介致します。

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 しろにじ、白虹は夜の空を半分くらい占拠するほどの広大なものです。

 見たらびっくり‼です。

 写真だとその広大さが出ませんね。

 そして、消えるのも早い。運が良ければ?見ることが出来るかも?です。ウチの家族は何故か何度も観ているので、昼間のダルマ虹🌈とか幻日とか…環天上アーク、環水平アークなどなど、驚くほどヘンテコリンな、美しい空の展開ショーを。

 何故観るのか?分かりませんが、このような「美しいこの世」を。   

 最近では、二重になる大型の虹🌈がでることが多く日本各地で聞かれます。

 夫にそそのかされて一冊目の絵本を描いたのが50才代の頃です。

 科学的に言えば、太陽と地球🌏☀の電磁波の変化や大気の変化のせいで光の屈折率が変わってきているのかも分かりません(?)が、そうは思いたくないのです。

 神さまが見せてくれている、こんな美しいこの世を。と信じたい。きっと、未來は美しい良い世界になるよと。

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 そんなにいろいろな姿をお月様は持っているのですね。

 私は子どもの頃、「お月様の周りに白い輪ができている時、お月様がかさをかぶっているから、明日は雨だね。」等と聞かされていたような気がします。この頃は、星をじっくり見ることはあっても、月はいつもの月にしか見えていませんでした。大きい月、小さい月、赤っぽい月、白っぽい月等とね。多分住宅地だからでしょうね。松島あたりで見た空は、本当にこぼれ落ちそうなくらいの大小の星がびっしりと詰まってきらきら瞬いていて、思わずしばらく見とれたことがありました。そんな空で見たら月もまた、今まで知らなかった姿を見せてくれるのでしょうか?

虹と言えば、現在の天皇陛下が天皇に即位する日に空の端から端まで長くくっきりとした色鮮やかな虹が晴れた空にかかり、その下にも少し薄い色ですがはっきりと虹がかかっていたことを思い出します。しばらくの間続いていてそれは見事でした。

虹は晴れやかで心を浮き立たせます。空は自然の見ごたえのあるショーですね。

 

ということで、今回は終わりなのですが、最後にもう一つ。

東日本大震災の後、避難の仕方として「つなみってんでんこ」の言葉が報道でよく聞かれました。

その言い伝えについて、あるコメントで、「途中であった困っている人も見捨てていくのですか?」という疑問が出されていたことがありました。それはこの言い伝えの趣旨を理解していませんよね。そういうことを言っているのではなく、家族もそれぞれ一人でもいち早く高台に避難することを申し合わせておくことを前提にする話で、途中で会った人を見捨てましょうということではありませんよね。

もっと柔軟性を持った想像力を持ってほしいと思っていました。

 

災害が多い現在ですが、そんな中でもひつじさんがおっしゃるように、「美しい未来」をつくるべく努力をするのは我々一人ひとりの心なのでしょう!

 

 

 

 

 


一皇子神社のミステリー  「いづおんつぁんの謎」

2024年02月25日 | 紹介

                                 

 

タイトルは「海街さんぽ 石巻市・東松島市・女川町  海、街、人をめぐる海街さんぽ」のブログとひまわりさんのプログからお借りしました。

 

 ひまわりさん!どんぐりさん!グッド ニュース(?)です!

 2020年2月29日のひまわりさんからのお便り「いづおんつぁんの謎」という記事を覚えていますか?

 ひまわりさんの出身地石巻の湊の地域で毎年「いづおんつぁんのおまづり」と呼ばれるお祭りがあって、ひまわりさんは楽しみにしていたということです。

 屋台にあったハッカ飴や飴細工、そして小さな鳥居のそばには小さな舞台が造られ奉納演芸もあったとのこと、子どもながらにその中の芸人(?)さんのファンになったとか。子どもの頃の良い思い出になったようです。

 

 そのお祭りは、史実とは違う「一皇子宮(いちおうじみや)」のものでした。

 一皇子とは後醍醐天皇の一皇子の護良親王です。その一皇子が住んでいたんだよ。と教えられていたとのことです。

 そして、ひまわりさんは「へえ、こんなところに何故?」と思っていたとのことでした。

  境内の石碑には歴史的な経緯が刻まれており、この宮の存在理由が伝えられていたが、それは、教科書で習った史実とは反しているようだとのこと。どちらが本当なのか定かではないけれど、鎌倉には明治天皇が護良親王を祀ったとされる鎌倉宮がありますとのこと。

 

 ここで、ひまわりさんの想像は、食の内容になってきます。一皇子すなわち護良親王が逃れて大門崎という土地を選び、そこに住みついていたとしたらその理由は食べ物が美味しかったからだと、ガテンしたのでした。と書いています。

 そして、護良親王が数人の家来たちと逃れて大門崎で暮らした晩年は、美味しい食事に囲まれてなんという幸せに恵まれたことでしょうか!海の幸、山の幸、川の幸を豊富に食していたのではないでしょうか!(そもそもひまわりさんは、テレビ番組「天皇の食卓」の中で後醍醐天皇の好物がカエル焼であったという話から、出身地の湊の一皇子宮を思い出したのでしたから。食に繋がるのは納得です。)

 

 そうして、ひまわりさんは変な(?)確信を持ち、護良親王に初めて親しみを感じて安堵したと言っています。「一人勝手に納得して想像しました。いづおんつぁんは食に恵まれて幸せになれる運の良い神様かもしれません。」と。

 

 その話を聞いた私が友達に伝えると、「昔は情報網が発達してなかったから、誰かが自分は護良親王と名乗ってなりすましたんじゃないの」と言い、私も「ああ、そうかもね。」ということで終わっていた話だったのですが...。

 

  なんと、その真実(?)に近づくような書物に出会いました。

 少し前に古本市で購入した「いしのまき散歩」という本の中に「一皇子」という単元で記録があったのです。

 そして、さらに「 海街さんぽ 石巻市・東松島市・女川町  海、街、人をめぐる海街さんぽ」というブログにはそのことについての説明の他に所縁の場所や建物の写真までも少なからず載っていたのです。超巨大ミステリー!一皇子神社 | 海街さんぽ (umimachi-sanpo.com)

 

 「一皇子神社」の話は、日本の歴史の南北朝と言われる時代のこと。南北朝とは朝廷が南朝と北朝の二つに分かれていった時代のことです。

         

 ことの発端は、次のようです。

 力を合わせて鎌倉幕府を倒した足利尊氏と後醍醐天皇でしたが、後醍醐天皇が施いた天皇新政が失敗し、足利尊氏と争って吉野に逃れたのが始まりです。

  そして、後醍醐天皇の息子の一人が一皇子です。私が所蔵している「日本の歴史」によると、大変すぐれた王子だと書いてあります。

 その一皇子が南朝の実質的盟主だったが、足利直義により、鎌倉で幽閉され、やがて直義により淵辺伊賀守が殺害を命じられ、親王は殺害されたという歴史になっています。

 

 しかし、石巻に伝わる伝説では、一皇子は当時雄勝湊と呼ばれた現在の湊地区に逃れたということになっています。

 そして、湊にはそれらしい地名があります。

【御所の浦 (ごしょのうら)】(護良親王が海から上陸したと言われるあたり)

【御所入 (ごしょのいり)】(護良親王の住居があったとされる地域)

【吉野町 (よしのちょう)】(父、後白河天皇の『南朝』があった吉野にちなんで)

 

 ひまわりさん、そういう地名を聞いたことはありますか?

 

 また、大門崎にある一皇子を祀った「一皇子神社」の近くには、関係社寺がたくさんあります。

1 熱田神社  (写真あり)

 石巻への渡航の途中であった嵐の際、熱田神宮に祈ったところ暴風雨がおさまったことから感謝の意味を込めて建立したと言われる神社 (しっかりとした形の綺麗な平安式?の神社です。)

2 【朝臣の宮 (あそんのみや)】(写真あり)

 鎌倉から護良親王を守って共に石巻へやってきた家臣たち、日下、日野, 比羅塚、福原、遠山、志摩、岡本、淵辺の8人の霊を祀ったものといわれる。現在も、石巻にはこれらの姓を持つ旧家が残り、一皇子神社の神官も日野姓だとのこと。一皇子神社の境内にある。

 ブログの写真によると周りの建物がほとんどなくなってしまったが、ここだけ健在とのこと。社殿が新しくされたとのこと。

(私は一時渡波で勤務していたことがありますが、その時地域には日下さん、福原さん、日野さん、が居ましたし、知り合いで湊に平塚さんもおりましたし、同級生には岡本さん、そして遠山さんは湊ではなくても良く聞く名前です。)

3 【吉野先帝御菩提碑 (よしのせんていごぼだいひ)】(写真あり)

  一皇子神社の近くにある【多福院 (たふくいん)】にある。柵には菊の紋章。

 この碑は後醍醐天皇崩御の悲報が伝えられた時に親王が近臣と共に建てられたという。

4 【多福院】の隣の【慈恩院】にある、鎌倉からやってきたといわれる家臣の一人平塚家の墓碑。一皇子伝説についても書かれている。

5 護良親王の墓と言われる盛り土が一皇子神社の裏にある。

 護良親王が何故石巻に逃れてきたのかについては、当時の東北地方はもともと南朝勢力の根拠地の一つであり、当時の石巻に居城していた葛西氏家は南朝派だったので、何等かの繋がりがあったとしても不可解ではないと書かれている。歴史が降って嘗て南朝の系列だった伊達藩になってからも代々藩主の中で藩主の「多福院」詣でが何度もあって藩主参詣の当日だけは多福院寺僧侶は着座格の身分で扱われたと記録されているとのこと。(いしのまき散歩より)

 

 随分一皇子の足跡があったのですね。でも、一番の足跡は「いづおんつぁんのおまづり」かもしれませんね。子ども心にしっかりと根付いていたのですから。

 「いしのまき散歩」では、一皇子は湊村に御所を構え世の形成を窺いながら志を果たせず、正平元年にその地でみまかられたられたというのが石巻に残る伝説だと書いてあります。

 一皇子の生活がどのようだったのかは定かではありませんが、一面ではひまわりさんの言う通り美味しい食べ物に恵まれた毎日であったことも考えられますね。カエルをたべたかどうかは分かりませんが。そう考えたほうが何かほっとします。

 

 湊にこんな秘話が存在していたとは思いもしませんでした。

 石巻には知られていない謎の歴史が結構あるのかもしれませんね。

 

 本当に驚きました。

 「いしのまき散歩」は面白い本です。まだまだ興味のある話が書いてあります。それはまた機会がありましたらお知らせしたいと思います。

 子どもの頃は「社会」の教科というと地理に興味がありました。でも、今では歴史が面白いと思えるようになりました。

ひまわりさん!ぜひ読んでね。

 

※参照文献 「いしのまき散歩」 二佐山連 著

      ブログ 「海街さんぽ 石巻市・東松島市・女川町  海、街、人をめぐる海街さんぽ」

      「人物探訪  日本の歴史」 第4巻「争乱の群像」

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2024年 新年おめでとうございます

2024年01月18日 | 活動

      

 

 2024年 明けましておめでとうございます。

 今年の初詣は近くの加茂神社で。と元旦に車で出かけ、指定の臨時駐車場から神社境内まで歩行。境内あたりに着くと行列が...。そこをたどって最後尾の札のところへ並ぶ。この行列は延々と続いている。

       

 この元日はとても良い日和で清々しい空気。青空に向かって伸びる境内の立派な木々を見て、名前を考えたりしていると、並ぶのも苦にならず良い時間を過ごしていました。

 1時間弱位並んだでしょうか?やっと鳥居をくぐり、お参りができました。

 そして、今度はお社に続く参道の両側に並ぶ出店へ。寒風の中でいただく甘酒は一段と美味しく感じます。インド料理の出店もあったりと、お店も少しずつ変化が見られます。

 ベンチもないけど、木の根元に腰かけたりして何とか完食!

 そんなのどかで清々しい元朝参りを終えて、家に着いて「さて、ゆっくり寛ぎましょう」と思っているところに突然テレビからけたたましく緊急地震速報が流れ、震度7の地震が起こりこの後の揺れに気を付けるようにとの内容でした。

 その音の異常で耳障りな大きな音は一瞬にして不安を広げます。

 テレビの前でしばらく様子を見ていました。震度7は建物が壊れる揺れです。東日本大震災でも、確か震度7だったかと思います。ただ、その時は津波による被害が甚大でした。津波による家の倒壊がひどかったのです。

 今回は、能登半島の被害が大きくすぐには被害の全貌も分かりませんでした。しかも至る所で道路が寸断され孤立した集落があるという。東日本大震災ともまた違う被害の様子です。

 現在は、地震後3週間ほど経過し、やっと水道の復旧が始まり、集落の孤立化は解消されたということですが、中学生たちの集団疎開が行われています。

 全く想像もしていない事態になってきました。

 ボランティア団体も入れるようになってきて、途方にくれたお年寄りに力を与えています。

 今日のニュースでは、ペットを連れて避難できる避難所の紹介がありました。

 いろいろそれぞれの人たちができることで支援したいと考えています。ただ、被害があまりにも大きいために個人の力では及ばないところは多く、その辺は政治やそれなりの方々のそれなりの支援をまだまだ期待したいところです。

 私は個人的に1月はじめに忙しいことが重なっていて、ニュースにも疎い傾向がありましたが、アメリカの大リーグの日本選手ダルビッシュ投手が5000万円被災地に寄付したことをつい先日知りました。でも、その後で、知ったのですが地震直後に大谷翔平選手が多額の寄付をしていたのですね。。本当に心強いことです。

 東日本大震災の時は様々な場所に急ピッチで仮設住宅が建てられました。でも、能登半島では平坦で広い土地を探すのが大変なそうですね。

 今回は地震の大きさだけでなくその頻度の多さにも恐怖を感じることでしょう。

 

 でも、これがこの土地だけのものでないであろうことを皆感じていることと思います。

 

 大変な2024年正月の幕開けでした。政治の方でも動きがありました。

 とりあえず、被災地の方々の心身の健康をお祈りいたします。 

 

                                          ※ イラストはフリー素材です。


宮城県武術太極拳選手権大会&フェスティバル

2023年12月07日 | 活動

 師走も半分以上進み残り少なくなってきて、何かとあわただしい時節となりました。

 どこを向いても、なんとなくここ何十年続いてきた状態が続けられなくなってきているという話題を聞くことが多くなってきました。世の中の状況も自分の状況も先を見通せないような不透明さが感じられます。

 でも、そんな中でも自分(シニア)のやれること、やるべきことはあります。まず、健康の維持という老化防止と自分の持っているものを後進に伝えたりサポートすることではないかと思います。

その中の一つが太極拳です。(これは、健康維持、老化防止の方です。)

というわけで、今回は先日行われた「宮城県武術太極拳選手権&フェスティバル」のうちのフェスティバルの様子についてお伝えしたいと思います。

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 初めの写真は、先月11月26日仙台市青葉体育館で実施された太極拳の大会の写真です。選手権大会ではなくフェスティバルの方です。

 この写真は、確かカンフー長拳教室の方たちの演武だったでしょうか?独演のような二人が一人ずつ中心になっての演武です。力強く切れのある美しい動きに惹かれ見入ってしまいました。素敵なポーズの時に撮れなくて残念ですが、私にとってはこのような大きな大会参加は初めてで、勝手が分からずシャッターチャンスをとらえる余裕はなかったのです。

 

 さて、この大会についてお話しますと、これは普通1年に一度行われる宮城県内の太極拳などの武術の選手権大会とフェスティバルの催しです。

 前日25日土曜日には選手権大会があり、そちらの参加者は大いに緊張したことだと思いますが、翌日のフェスティバルは初心者をはじめ様々な段階の人たちが、その所属するグループから、参加します。合わせる曲も普通テレビで流れているような親しみやすいものなどです。因みに私が出たのは80人ほどでする24式太極拳の演武で、前回の朝ドラ「らんまん」の主題歌「愛の花」に合わせました。

 私は、仙台市太極拳協会に属していて大所帯です。七つ位のグループが参加しました。

 それにしても、県内の随分たくさんの団体が参加していました。

 写真の横断幕には「角田市太極拳協会」「名取市太極拳協会」の名前が見えます。その奥にあるのは「美陽太極拳協会」の文字です(どこの町?)。

 その他、私が嬉しく思ったのは、「気仙沼市武術太極拳協会」「塩釜市太極拳協会」「岩沼市太極拳協会」等東日本大震災で大きな被害を受けた地方の横断幕です。好きなことを力強くできる日常になっていることが感じられて嬉しかったです。

 私をはじめそれぞれの忙しい?生活の中から武術を習う楽しさを感じているのです。演武を見ていてそれが感じられます。

 

 私が始めたのは2~3年前、老化防止の良い運動と思い(ついでに肥満防止にもなるかも)入ったのです。

 身体を動かすのは楽しいなと思い、同じグループの人達と和気あいあいで始まりました。でも、それは長くは続きませんでした。理由は、検定というものがあるからです。仙台市太極拳協会は5級の検定から始まり、1級を合格すると段の検定を受けるようになります。奥がとても深いのです。

 進んでいくと級の検定もだんだん厳しくなり、楽しいだけでは済まなくなります。真剣にならざるをえないのです。でも先輩の方たちの演武を見ると、動きが美しく魅力的です。

                                              

 まあ、「一番の目的は老化防止だから」という言葉を力に続けています。が、不思議なもので難しいとできた時の喜びは大きく、練習が終わると身体は軽くなり...ハマっていくのかな?

 もちろん若い人もいます。でも、やっぱりちょっとシニアっぽい人が多いかな?

 フェスティバルでは、ゲスト?として岩手の子どもたちの演武がありましたが、とても素晴らしいもので、このまま続けていったらどれだけ上手になるのだろう....と思います。

 

 さて、今回の投稿では東日本後の復興の一端や太極拳の魅力の一端をお伝えすることができたでしょうか?

 それから、もう一つ、実は私の今回の参加の第一目的は、大会入り口での出店で太極拳ウェアを購入することでした。実際に試着することができるからです。ネットだとできないので。

 そんなこんなであわただしくもとても楽しかったフェスティバル!!やはり人が集まって一緒に力を出し合うことは素晴らしいです。大会開催のために準備した方々に感謝いたします。

                                              

 右の2つが購入したウェアです。太極拳ではわりにゆったりしたものを使うことが多いです。足を蹴り上げたりするからでしょう。これなら、練習後、街を何とか歩けるのではないでしょうか?

黒のウェアの刺繍が私のお気に入りです。

 こんな平和が、続くことを願います。どこの国でも最低の安全が確保される日が1日も早く訪れることを願ってやみません。

 

 

 


「石巻の人」・・「いしのまき散歩」より

2023年11月19日 | 感想

         

 

 この写真は前回投稿の古本市で購入した本のうちの1冊です。その本のカバーです。

 写真は北上川の石巻あたりの河口の様子の絵です。はっきりとは見えませんが、中瀬のあたりも描かれています。本の表紙の裏には写真の通りにペンで描かれた絵があり、場所ごとに地名や建物の名前などが入れられています。写真の絵は、いつの頃描かれたのか分かりませんが、懐かしく感じられる方もいらっしゃるでしょうか?

 

  この本の中に中に昔?の身近な石巻がたくさんありました。

「いしのまき散歩」という親しみやすい題名と表紙のきれいさに惹かれて手に取りました。

 目次には、聞いたことがある名前がたくさんあります。

 この本は、石巻在住のお医者様たちの石巻市医師会郷土史同好会の活動によって、20年の長きに渡って調べられた内容を3人の医師たちによって執筆された本です。「石巻を中心に『足で、目で』大地を探し、墓石に触れつつ得た尊い記録であり、感動と感銘そして嘆賞を参加の会員の方々から受けた」と太宰惇氏が発刊によせて序文で述べています。

 

 学者さんが書いたものではなく、同好会の方々が調べたことをまとめたものなので分かりやすくで興味の持てる内容になっているのでしょう。

 

 そんななかから、今回は「いしのまきの人」という項目を読んでの感想を書きたいと思います。

   以下、その項目の本文の一部です。

 「~略~ ここでは、石巻の屋号には、特に地名を連想させるものが目につくように思う。近江屋・越後屋・相馬屋・尾張屋・栃木屋・山形屋・秋田屋・気仙屋・讃岐屋・水沢屋などとスラスラ頭に浮かぶ。中には姓そのものを名のる方もあろうが、先代をさかのぼれば出身地を証明できる屋号であるかもしれない。

 更に、漁港でもあるから〇〇丸と鮮明を名のる漁業会社を随所に見かけるのは当然だろうが、元の船名と縁の切れた商売になってもそれを名のる老舗があるのは石巻ならではあろう。例として陶磁器の老舗が挙げられる。

 いずれにしても、石巻の商圏が海を相手に藩政以来特異であったことは確かだ。北上の河口港としての舟運と藩直轄地としての開放性が、他藩遠方と交易する商人の交流に大きな魅力となったのだろう。屋号を眺めながら昔日のロマンを味わいたいものだ。~後略~」

です。

そうい言われてみると、思い当たることがあります。

「品川屋」というお店もありました。

また、同級生には、水沢さん、越後さん、気仙(けせん)さん、讃岐さんなど、確かに地名と同じ苗字の方がいましたね。

それから、前に投稿した「三春屋平吉」もこの方は福島県の三春出身の方なのでしょうね。

 

 苗字のルーツを調べるのも面白そうですね。

 歴史を調べる時には地名や町名も大切な手がかりになりますね。

 何十年か前に仙台の「一番丁」の地名を「一番町」と改名する時に反対の声があったことを思い出しました。

 石巻でも、町名が変えられた時がありましたね。その時は合理的で良いと思ったのかもしれませんが、昨今のように災害が頻発する時代になると、昔の地名や言い伝えも大事にしなければいけないように思います。

 昔、その場所で何度かあった災害などの様子を伝える地名や、仕事の内容によって呼ばれていた地名がありますね。

 

 最後にもう一つ、石巻では「阿部」という苗字が全国平均から見て圧倒的に多いかったそうです。何故でしょうね。

 

その他、分かりやすく興味の持てる内容がたくさん。その内、機会があったらまた、紹介しますね。

 

※ 「いしのまき散歩」の執筆は、同好会代表 二宮以義氏、佐久間昌彦氏、山内豊氏 の3名によるものです。それぞれの苗字の一字を生年順にとって「二佐山連(にさやまむらじ)」としたのだそうです。命名の仕方もちゃめっけがあって面白いですね。平成2年3月21日初版発行です。発行は株式会社ヤマト屋書店です。