石巻白梅ししの会便り

石巻のためにできることを一緒にしようね!!

東北自動車道の蓮田SAで石巻の製品見つけた!!

2020年09月09日 | お便り

 どんぐりさんからお便りが届いていました。

 6月末のお便りです。ちょうどコロナ渦での外出自粛が解除されたころのものです。

 upの時期がずれてごめんなさい。

 それでは、さっそくお手紙拝見いたしましょう。

 

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 東北自動車道の蓮田SAで石巻の製品をみつけた

 

コロナ禍で、県境を越えての移動ができなかったのが、やっとできるようになったのを機に、

行きたかった栃木市に1泊で夫と行ってきました。

小江戸の風情を残す蔵の街と聞いていたので、ふらりと行って歩いてみたかったのです。

東北自動車道を車で行くのは、何年ぶりのことか。

「昔はこれで石巻まで行ったわねえ」と、もうあり得ない昔の旅の話をしながら、この辺が限界かと思われる栃木市に行ってきたのです。蔵がすばらしかったですよ。

ただせっかくの栃木市の材木問屋の歴史を語る公立の立派な博物館がないため、ピントが外れた展示の仕方でもったいないなあと思いました。センスがないとも言えますね。宿は山深い一軒家で、料理も湯もよかったです。

しかし帰りは、車が街道の道の駅に入り損ね、また入りたいPAを過ぎてしまい、東北自動車道最後のSAに入ったときは、私は機嫌を損ね、お土産を買いに行く気にもなりませんでした。でも夫に促されて、SAの建物に入ってみたら、驚きました。お土産をおいてあるコーナーに、地元埼玉のもののほかに、青森のもの、岩手のもの、仙台のもの、石巻のものなど、たくさんあるのです。

石巻の海の加工食品も、センスのいいデザインの包装で、驚きました。今までとちょっと違う。私は石巻の笹かまが欲しかったのですが、仙台の阿部の笹かまがあったので、石巻のものは置かなかったのでしょう。残念!

生鮮食品はまた別のコーナーになっていましたが、そこには地元の会社が作った寿司や弁当や野菜果物など、すぐに食べられそうなものがありました。

お土産を買いたかったので、阿部の笹かまと、他県のお菓子類を買いました。

レジで、「どうしてこんなに東北のものばかりあるのですか?」と聞いてしまったら、「東北自動車道ですから」とさらりと言われて、しまったと思いました。みんな東北に行って買い忘れたお土産をここで買うわけでしょ、私みたいに。

今回は山に行ったのだから、石巻の海のものは買う気にはなれませんでした。笹かまは欲しかったんですけどね。

「故郷のなまり懐かし停車場の人ごみの中にそを聞きに行く」は啄木の歌だけど、東北自動車道の蓮田SAで石巻の製品をみつけたのも、今流故郷との出会い方で、啄木みたいな気分になりました。

 

 

 

 

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 最後?のSAで、お土産が買えてよかったですね。

 東北自動車で栃木の方まで行ったことがなかったので、そちらにあるお土産物等は考えたこともありませんでした。

 嬉しいですね。

 まだまだ、収束しそうにないコロナのせいで、女川の牡蠣養殖の方が今年の売り上げが大幅に減って借金の支払いの予定が狂ったという話が報道されていました。

 また、ある番組では、海産物の販路を料亭や食堂だけでなく一般家庭等のも広げていく必要があると話している方もいました。

 

 そこの蓮田SAで、もともと東北のお土産を買う人が増えてほしいです。

 

 


 「 野鳥の楽園 その② 」 ーーメロリンさんのお便りーー

2020年04月11日 | お便り

ヒヨドリ・・・ヒヨドリ・・・ヒヨドリ・・・ヒヨドリ・・・

 新型コロナウイルス感染の増加が収まらない日が続いています。宮城県でも日に日に感染者が増し「医療危機宣言」が出されました。その後今日は県内感染者は50名以上にまで急増しています。まだクラスターでの感染の可能性のある人が100名以上いるという状態です。

 今のところ、石巻はまだ0です。聞くところによると、石巻は随分前から(仙台より)様々な催しや習い事などは中止になっているところが多かったようです。

 できるだけ外出を制限せざるを得ない状況で唯一気持ちよく活動?できるのが散歩(ウォーキング)です。私の家は、幸い緑豊かな新興団地が近くにあり、絶好のコースです。

 こんな時は鳥の声が良く聞こえます。ついつい自然の様子に耳を傾けたり、空気を肌で感じてその違いを感じたりと、とても楽しい充実した時間になります。歩けたら1万歩以上を目安にと思って歩きます。

 そんな中、メロリンさんの「野鳥の楽園」の様子を現実で味わっているような気分になります。

 

 「 野鳥の楽園 ② 」が届いているので、以下に紹介します。前回の続きです。

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「野鳥の楽園 ①」から続く

 毎年秋になるとやってくるヒヨドリの群れは、ユーラシア大陸から日本海を渡る時、大群をなして群れて来るのだそうです。一旦、下北半島に屯(たむろ)して佇(たたず)んでから、それぞれ大小の群れに別れて日本列島の思い思いの土地へと向かって行くのだそうです。

 

 私の住んでるところへも毎年30羽程のヒヨドリ達が来ていました。ビーヨビーヨとそれはそれはうるさく賑やかなものでした。餌がたっぷりあったのでしょう。

 

 ここは関東平野。小高い丘の上に少し広い平原があります。

豊かな森に囲まれていたのですが、去年の台風15号により古い大木が数本倒れてしまい野鳥たちの餌が減りました。

 

 私の家のすぐ近くにも沢山の実をつける栴檀(せんだん)の大木があったのですが、台風の強風によって倒れ、きれいに明るい景色に変わりました。

 

 そこへ、あのいつものヒヨドリ達の群れがやって来ました。ここは俺達の縄張りのはず。野鳥のセンサーは間違ってはいない。

 

 でも、私は見てしまいました。可哀想なヒヨドリ達を。          

 

 あの木がない?餌がない!とヒヨドリ達が狼狽(うろた)えている様子。声もなく羽の音。

あれっ、景色が違っていると戸惑う姿。電線に止りあたりをキョロキョロと見渡す。

野鳥たちも人間とおなじ。人間と共に被災するものなんですね。これからどうしようかと考えたりしていたのでしょう。

 ほとんどのヒヨドリ達は居なくなり一羽だけ残りました。群れているヒヨドリ達には名まえのつけようがありませんでしたが、一羽のヒヨドリが毎日椿の花にやって来ました。花の蜜がおいしいようです。ヒヨちゃんと呼びました。

 

 春になれば又、ヒヨちゃんも大群に戻り仲間たちと群れて一緒に大陸へ渡るのでしょう。

 

       

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 以上です。

 今は、もうヒヨちゃんは帰ったのでしょうか?

 私も朝は甲高いヒヨドリのさえずりで目がさめます。姿が残念ながら遠くてはっきりと見ることができません。

 それでネットで調べてみました。そしたらいろいろな色や形のものがいるのですね。初めて知りました。

 残念ながらここに載せることはできませんでした。(私の力では。..)

 

 それでは、新型コロナウイルス感染の収束を祈りなが、らごきげんよう!


「 2020 野鳥の楽園? その① 」・・ メロリンさんのお便り

2020年03月23日 | お便り

 

 メロリンさんから野鳥のお便りが届きました。

 季節の花が咲き、いつもの通り渡り鳥がやって来る..そんな当たり前のことがとても嬉しく感じられる昨今です。

 さっそく紹介いたします。

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 不要不急の外出は避けるようにとのお達し。令和2年3月になり日本国民は皆そんな生活になりました。想定外でした。いつ頃完全な出口が見えるのでしょうか。

 

 そんな中でも野鳥たちの声が聞こえてきます。    

 

 朝6時、目が覚めて食事の仕度を忙しくしていると外でピューピューピューピューと、鳥の鳴き声が大きく聞こえてくる。

 私は片手にコンポスターに入れる生ゴミを持ち、足早に外へ出た。

 曇り空だがよいお天気になりそう。空気が澄んでる。おいしい!

 

 ちょっと物悲しくも聞こえる鳴き声を見上げると白いお腹を見せて飛んでいる。中くらいの大きさでツバメより少し太って見えるかな。この鳥はシロチドリかな?羽は灰色にもみえる。近頃、私は目が悪くなってきている。2羽いる。

 

 そういえば去年の今頃もこの声を聞いた。この姿、オスが縄張りを守ろうとしているのか?求愛行動をしているのか?3年前にもシロチドリの親子を見ているのだ。この近くで繁殖しているのかも知れない。数年前に太陽光発電設備が出来て雨除け風避けになって子育てに良い環境になっているのかも知れない。もしかしたら今年も雛の姿が見られるかも知れない。

 

 私は数年前にジョービタキのジョー君(3年続けて窓に飛びげりをしにきた冬鳥)と出会ってからは、渡り鳥は同じ鳥が数年続けてやって来るものと思い込んでいます。

 だから、このシロチドリも3年前からやって来ているシロチドリとおんなじシロチドリのチドリ夫婦と思ってしまいます。

 まちがえてないかしら?

 

 3年前に見たシロチドリの親子は、雛のヒナちゃんがピーヨピーヨと鳴きながら、ヨチヨチピョコンピョコンとうちの庭に入ってきたんですよ!!!

可愛くて可愛くて、めっちゃ楽しかったなぁ思い出しましたその時は、自分の姿を隠してそーっと家の中から見ていたんですよ。

 

 

  ①は終わり、②を後で送りますね。

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 メロリンさんありがとうございます。

 またまた、野鳥の様子を届けていただいて一緒にその場のいるような気分になりました。一生懸命生きている鳥たち! 人間もがんばらないとね!

 その②が楽しみです!

 

 

 

 

 


「湊の知人」さんよりのお手紙

2020年03月16日 | お便り

 

  平成21年(2009年) 11月18日の「石巻かほく」より

 「湊の知人」さんよりお便りをいただきました。

 先日、門脇小学校閉校によせる展示の紹介をしましたが、同じように石巻市の中で東日本大震災によって閉校となった小学校についてのお便りです。

 以下に紹介いたします。

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 門脇小学校で、あの日あの時何があったのかを、その時その場にいた友人から聞いたり、TVの報道によりほぼ詳しく知っています。

    同じように、太平洋の海の間近に位置していた我が母校、石巻市立湊第二小学校(湊二小)で何があったかは、想像するに悲しいです。ただし、火事はなかった。低学年は放課後あたり…。  

 

 写真は2009年、平成21年11月18日(水曜日)の石巻かほく新聞です。

 湊二小で校歌を語る会が開かれました。

 

 津波の1年半前の事でした。 

 まさか数年後に廃校になろうとは誰もが思いもしなかったのです。

 

 湊二小の設立は昭和29年(1954年)4月で、湊小に廃校統合が決定したのが2014年ですので、約半世紀以上は続いた事になります。

  湊二小の校歌は作曲が古関裕而 さん(1909~89)福島市出身、作詞は石巻市湊地区出身の草川俊さん(「大陸放浪記」65年出版)。

 廃校にあたり、県内の小中学校で唯一であった古関祐而さんの作った校歌が消えてしまいました。

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  湊第2小学校も、校歌によせるそんな思いがあったのですね。

 私たちも高学年の時に校歌ができ、そのお披露目をした時の晴れがましい光景が思い出されます。

 まさかその校歌が消える日があろうとは夢にも思わず張り切って歌ったものです。

 石巻には、この他にも閉校になった学校がいくつもあります。それらの校歌もまた聞くことができるように、どこかに(祈念館)などに残してもらえたら、当時の様子を思い起こせるのではないでしょうか?そんな企画があったら「嬉しいな!」と思います。

 


「いづおんつぁんの謎 -その①」 ひまわりさんからのお便り

2020年02月29日 | お便り

          

               ひまわりさんの庭のカエルさん

 

 久しぶりにひまわりさんからお便りが届いていました。

 先月忙しくてupできなかったのですが、そこから現在までの間に世の中は随分かわりました。

 新型コロナウィルス感染症が広がりはじめ、あれよあれよという間に各地に感染者が出てこれからもさらに増える気配です。学校も休校する事態となり、この感染症の影響はまだ計り知れません。

 昔、高校で世界史の初めての授業で担当のJ先生が、「これから歴史を勉強していくときに『歴史は繰り返すか?』ということを考えていってください。」と言われたことを、この頃時々思い出します。

 当時は、「違う人間が生きているのだから同じになるわけはないではないか。」と思ったものでしたが、歳を重ねてくるとなんだか繰り返すことがあるのかもしれないと思うようになってきました。

 戦争もその一つですが、いわゆる疫病?もその一つのようです。世界の人口が増えてくると、戦争や疫病(伝染病?)などによって人口が激減するということでした。

 結局、いずれ治療薬が開発され収まるのだと思いますが、その日が1日も早く来てほしいと祈らずにはいられない状態になってきています。

 

 さて、ひまわりさんからのお便りは、新型コロナウィルス感染症が話題になる前に送られてきたものです。今ほどは戦々恐々とした世相ではない時のことです。

 読むと、ほっとします。

 

 前置きが長くなってしまいましたが、以下に紹介いたします。 

 さて今回は、どんなお便りなのでしょうか?

 

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 こんにちは、私は石巻生まれで現在は関東在住です。

 

 昨日TVで天皇家の食卓についての番組を見ていて、とてもガテンした思いがひとつありました。

 

 室町時代の末期、後醍醐天皇はカエルを焼いて食べるのが大好物だったというお話でした。当時は牛や馬が農家の働き手だった為にとても食べる事ができない。カエルを焼くと焼き鳥の味に似ていてとても美味なんだとか。

 

 以前私が四十才代の頃に台湾旅行中にカエルの喉ボトケのスープを食べた事がありますが、カエル焼きの味を私は知りません。カエルを見て、美味しそうと思った事がありません。

とてもお粗末な物が天皇の大好物だと聞いて天皇を可哀相だとも思いました。

    あの後醍醐天皇がカエルを食べるんですよ。そう思ったとたんにハタとガテンする物がありました。

 石巻で育った子供の頃、湊の大門崎に一皇子宮(いちおうじみや)という小さな神社があり四月下旬に行われる年に一度のお祭りが楽しみでした。「いづおんつぁんのおまづり」と呼んでいました。あの頃の屋台にあったハッカ飴や飴細工を最近見ることが出来ませんね。        

 小さな鳥居の側に小さな舞台が造られて奉納演芸も有りました。その中に男舞いの上手な中年女性がいて、私は子どもながらにその人のファンでした。石巻の人は芸達者な方々が多かった。舞台上の顔が忘れられない。

 

 今でもお祭りは続いていて、同級生が中心になっていると聞いています。

 

 小学生の頃に、このお宮のこの場所に昔々、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の一王子の護良親王(もりながしんのう)が住んでいたんだよと教えられました。へぇ、こんなところに何故?と思いながら長い年月が過ぎ去りました。 

 境内の石碑には歴史的な経緯が刻まれており、この宮の存在理由が伝えられていますが残念ながら教科書で習った史実とは反しているようです。どちらが本当なのかは定かではありませんが、鎌倉には明治天皇が護良親王を祭ったとされる鎌倉宮があります。

 

 でも、私はガテンしました。妙にガテンしてしまいました。 

 

      もしも護良親王が本当に石巻に来てあの大門崎という土地を選びそこに住み着いていたんだとしたら、その理由は、食べ物が美味しかったからだと!

 

 鎌倉の地で死んだはずの護良親王が数人の家来達と命逃れて大門崎で暮らした晩年は、美味しい食事に包まれてなんという幸せに恵まれた事 でしょうか!海の幸、山の幸、川の幸を豊富に食していたのではないでしょうか!         

 こう思うと何故か変な確信が有りました。初めて私は護良親王に親しみを感じて安堵しました。一人勝手に納得して想像しました。いづおんつぁんは食に恵まれて幸せになれる運の良い神様かも知れません。

関東では戦後の食糧難の時に食用カエルを食べたかたが沢山おられたと聞きます。石巻ではあり得ませんね。

 

 同級生のジュンちゃん、(男性)いづおんつぁんのおまづり頑張ってね。機会があったらおじゃまいたします。

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 ひまわりさん、ありがとうございます。

 また、このような夢のあるお話にゆっくり浸れるような日々が早く戻ってきてほしいです。

 


かきあめ

2019年03月26日 | お便り

 

 

どんぐりさんからお便りが届きました。

何か美味しそうな予感がします。それではどうぞ!

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寒暖の差が激しい気候が続いていますが、ようやく東京は桜の開花が告げられました。

忙しくてうつうつと家にこもってばかりいたので、きょうは気持ちを切り替えようと、池袋に行ってきました。

宮城県のアンテナショップが池袋にあります。

石巻の笹かまと、仙台の萩の月が食べたいなあ、あるといいなあと願いながら立ち寄りました。

石巻の白謙のかまぼこはいつもあるのですが、萩の月はいつもではありません。

運がいいことに、きょうはありました。冷凍しておこうとたくさん買いました。

今日は名取市フェアで笹かまとかお菓子とかいろいろ売っていましたが、大きな声で名取のお菓子どうぞとか叫んでいたお兄さんが、「名取市役所ですよ」と間違って叫んでしまい、みんな大笑いしていました。「いつも言っているのでうっかり出たね」。なるほど、市役所から派遣されて地元の名産品売っていたみたいですね。市役所職員の出張販売とは珍しいこと。

レジに並んでいてひょっと近くの棚を見たら、懐かしい「かきあめ」があったのです。少ししか入ってなくて120円だったかな。 

震災後ずっと気になっていた飴だったので、すぐ購入しました。

私が石巻にいたころは門脇小学校前のバス通りに面してお店がありましたよね。正確な位置覚えていないけど、その時お店は新しかったと思いましたが。

店主は福田さんと言いました。私が小学生のころ、20代だった娘さんがローマオリンピックの陸上に出られて、小学校で、壮行会かなにかをして、その方がご挨拶されたのを覚えていますよ。まつぼっくりさん覚えていませんか。

すごく身近なところの方がオリンピックにというので、鮮明に記憶に残っています。

で、今回買ったあめには説明書が入っていて、途絶えていた飴を珈琲工房いしかわが復活させたとのこと。

飴の形が牡蠣の殻でなく丸いボタンのような形になっていましたが、味はあの味でした。味。懐かしくて、懐かしくて……。これぐらいの大きさでこれぐらいの数だと、石巻を知ってもらう名刺代わりに配れるかなと思いました。                     

  

 

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 どんぐりさんありがとうございます。

 久しぶりに聞く懐かしい名前です。子どものころは何気なく食べていた飴でしたが、確かにコクのあるしっかりした味わいのある飴でしたよね。

 あの牡蠣の殻の形が特徴でしたが、それは復活するにはとても大変な形だったのですね。型が流されてしまったのは残念でしたが味がまた復活したのは本当にうれしいことです。

 石巻のおみやげとしてちょっとしたものをと思っても、この頃はちょうど良いものが見つからずにいましたが..。「サンファンバウテスタ号」のクッキーはちょっとどこでも買えるというわけでもなく(実家の近くではないので)。保存にもちょっと気をつかうし...。昔「遠島(としま)饅頭」という美味しい饅頭があり、重宝していたのですが、もうしばらく前に製造が中止になって不便に思っていました。これからは、この「かきあめ」が気軽に使えそうな気がします。

 アピールポイントもたくさんありますね。

① 「忙しい現代人の疲労回復」

   牡蠣には、栄養ドリンクの主成分としても知られるタウリンが豊富に含まれている。タウリンは疲労回復とスタミナの増強に効果があるから忙しい現代人に嬉しい。

② 女性の貧血防止

   石巻の牡蠣には、山海の恵みに育まれ、鉄分、カルシウム、マグネシウムなどのミネラルがたくさん含まれている。女性、特に妊娠期に不足しがちなミネラルの供給源として優秀。

③ 風邪の予防と健康維持に

   免疫力の向上と代謝の活性化に有効な亜鉛。牡蠣は他のどんな食品よりたくさんの亜鉛を含んでいるとのこと。もし、亜鉛が不足すると味覚異常や低身長の原因になってしまう。

このようなことがパンフレットには書いてあります。

 

 製法についても書いてあります。

 石巻湾の中は、宮城の森から川によって運ばれた豊富なミネラルをたくさん含み旨味と滋養効果に優れていて、その牡蠣のエキスに加えて味を整えるための塩は石巻の海でとれた金華塩です。

 金華塩昔ながらの製法にこだわった、海水をじっくり時間をかけて平窯で煮詰め最後に天日に干してつくられる。ミネラルが豊富でほのかな甘みを感じさせる優しい味が特徴。

とのことです。

 ところで、元祖「かきあめ」は門脇小学校の近くの商店で作られていたのですね。

 福田さんが、ローマオリンピックの選手として参加するということが、朝会の時紹介されたことはよく覚えています。

壇の上に立って何かを話しましたよね。低学年か中学年の頃のことのように思いますが...。はるか遠くの世界の話のように感じてはいました。

 でも、その方と「かきあめ」との関わりは全く知りませんでした。

 7年9か月ぶりの「かきあめ」の復活!!

 ぜひ、早く味わいたいと思いました。

 

 

 

 


「野鳥の楽園物語」~~メロリンさんから~~

2019年01月12日 | お便り

         

     木のてっぺんに止まるモズ       分かるかな?ちょっと見えにくいですね。

 メロリンさんの野鳥の物語、昨年届いていたのですが、新年のアップになりました。そのことを念頭に読んでいただければと思います。

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 今年の春、3月18日にジョー子ちゃんの姿を最後に見ました。翌日は気配がありません。あぁ大陸へ行ったんだなぁ、元気で又、来いよとお空に向かって思いました。

 ジョー子ちゃんとはジョービタキのオスのジョー君の娘の事です。私が自分勝手にそう思っているだけの事なのですが。

 ジョービタキは冬の渡鳥。春には雀くらいの小さな体で日本海を渡って大陸へ行くそうです。

  今年の春は、ジョー子ちゃんがいなくなる一週間前からウグイスがホーホケキョと鳴き、ホトトギスもトッキョキョカキョクと鳴き、コジュケイもコッチャコイ、コッチャコイと鳴き始めました。明るく賑やかな春でした。

  そして猛暑の夏がやって来て、私はその暑さをイヤというほど利用して梅干づくりを楽しみました。暑さの庭にプンプンと甘酸っぱい匂い。でき具合が楽しみで楽しみで。

  猛暑の夏が楽しかったのには理由がもう1つありまして、実は一羽のホトトギスから元気をもらっていたからなのです。

  今年の暑さは半端じゃなかった。あの暑さの中でホトトギスのホット君がたった一羽で、360度の大空を占有していたのです。

というのは、ホット君は  飛ぶとその姿は十字架形になり、カラスより小さく雀より大きく体は中くらい。大きな声でトッキョキョカ

キョクと鳴きながら東西南北を我が物顔で縦断していたのです。しかもその声は物凄い大音量。やゃっ、元気だなぁと驚くばか

り。東から西へ、そして暫くして西から北へ。そして又北から南へと、うるさいほど鳴り響く声量。あの暑さの中をですよ。おぉ

ホット君よ、有り難う。君の元気が伝わって来るよ。

 

  おかげで見ているだけで、声を聞いているだけで、暑さを乗り越えられるよ。 

  昼頃少し一休みして静かになり、夕方また始まります。トッキョキョカキョク…。 

  おぉご苦労さんだね、今日も1日有り難う。 

 こんな調子で毎日を過ごしホット君のおかげで自分の元気を感じたものでした。 

 いつの間にかホット君が居なくなり、10月になるとギジギジとアカモズの声がする。

 双眼鏡を覗くと百舌鳥のメス。全身が茶色い。尻尾の動く角度が面白い。アカモズの鳴き真似が得意な百舌鳥のメス、モズ子ちゃ

んがやって来た。 

 単独行動する鳥には名前を付ける事ができる。モズ子ちゃんの声は特徴があり分かりやすい。

  そして電線にいるのはシジュウカラのカララちゃん。シジュウカラは群れているときは名まえを付ける事が出来ません。どれが

どれだか分からないからです。でも、カララちゃんは特別なシジュウカラなのです。 

 ケーブル線を電柱に止めている角形鋼材を寝床にしていて、夕方4時半頃、眠る前の儀式のダンスをするのです。唄い踊り1日の感謝を天

に向って表してから眠るのです。リズミカルなダンスの儀式が終ると四角い直径5センチ程の穴から入って消えました。 

 目の当たりにした私は感動を覚えました。今のは何?! 

  一人で見るのは勿体ない。翌日、夫と共に同じ光景を同じ時間に観察できました。笑い、笑い、笑いました。イヤ、イヤ楽しい。 

 野鳥ガイドブックには、シジュウカラは西洋では軽薄な鳥とされていると書いてある。それは、この事か。

  (これがその写真のようなのですが、どれが鳥なのかよくわからないのが残念です..。)

 

 それから、ある日の夕方、集金人が来たときにもカララちゃんがこれをやっていました。三度見ました。今度見たらスマホに収録しよう

と構えているのですが、その後は見ていません。 

 歌って踊って調子よく楽しいカララちゃんは今どこにいるのでしょう。

 

 モズ子ちゃんが鳴いている。部屋の中からも外の様子が分かるようになって来ました。

 

 11月12日、庭にいる私の背中でヒヒヒと鳴いた、弱々しい声。オヤッと振り向くとジョー子ちゃんのお腹が見えた。あっ、ジョー

子ちゃんだ。ジョー子ちゃん、来たの?来たのね。

 

 背中の紋付を確認したい。ヒッヒッヒッと元気に鳴かないから、よく分からない。と思った瞬間にくるっと向きを変えて背中の紋付が見

えた。ジョー子ちゃんに間違いない。すると、エサを取りに向こうへ出かけて行った。その夜暗くなって寝床に入る前のジョー子ちゃんを

見た。到着1日目の夜、ジョー子ちゃんに感動して私も眠った。

 

 その後暫くはジョー子ちゃんの声は聞けなかった。10日後、東からヒッヒッヒッのジョー子ちゃんの声。今回初めて聞いた。渋柿

の木にいるジョー子ちゃんを見つけた。5分くらい行動を観察してジョー子ちゃんは寝床を東側道路向こうの藪の中へ変えた事が分

かった。それから日を変えてジョー子ちゃんは、鳴かずに数度姿を見せてくれた。

 

 12月になるとオスのジョービタキが庭に現れた。ヒッヒッヒッとよく鳴く。これはジョー君の息子なのか?つまり、ジョー子ちゃんの兄

弟か?私はジョー太郎と名付けた。もしかしたらジョー子ちゃんの息子かも知れない。だからジョー子ちゃんは疲れているのかも

知れない。ジョー子ちゃんとジョー太郎の縄張りは隣同志で仲が良いのだ。

 

 私は今日、ジョー太郎の声に誘われて庭へ出た。 

 後でキリリコロロとカワラヒワの声がした。電線に数羽止まっていた。冬本番。

  ヒヨドリは大群で日本海を渡って来て、一度下北半島で羽を休めてから其々の小さな群れが思い思いの 場所に散らばって行くそ

うです。 

 うちの庭には毎年うるさくヒヨドリの群れがやって来ます。 

 小さなヒガラ達もやって来ます。セキレイ、雀、カラス…。 

 今年の冬も野鳥達と一緒に心暖かな日々を過ごしましょうと思います。

 

 皆さまよいお年をお迎えください。 

 

 

  野鳥に誘われて野をうろつく老女より

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  最後の挨拶は昨年の記事なのであしからず。

 メロリンさんの周りは相変わらず自然の四季の移り変わりが鮮やかですね。読んでいる私も少し鳥の種類について思い出してくるようです。

 では、ホット君、ジョー子ちゃん!ジョー太郎くん!モズ子ちゃん!カララちゃん!お元気で!!

 

 

 

 


大曲 花火大会 その夜

2018年08月27日 | お便り

         

  果たして花火大会当日夜はどうだったのでしょうか?

  ひまわりさんが、知らせてくれました。

 上の写真は、ひまわりさんが撮影した写真!あんまりきれいなので(わたしが花火を撮るとどうもうまくとれないので。)UPさせていただきました。

 プロの写真のようにはいかなくても、豪華で賑やかな花火の美しさが十分に伝わってきます。

  以下、少しばかりですが、お便りを紹介します。

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 昨日秋田大曲花火大会は予定通りに盛大に実施されました。毎年約80万人の集客だそうです。

 

 祈りが通じて、お天気に恵まれTVのBSで生放送されたはずです。

 

 特に今年の感動は、金足農業高校野球部の活躍に“感動を有り難う花火”が盛り込まれたことです。

 

 いつもはテレビで見ていたのですが、今年は現地に来る機会に恵まれました。やはり、この迫力は一生に1度は必見かもしれません。石巻の川開きでは物足りないという知り合いがいたものですから…。

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 どんぐりさんはそのBSTBの生放送をみたのですね。

 私は、今年の花火に金足農業高校野球部の健闘をたたえる紫色の花火があげられますというニュースは聞いていたのですが、そのがあがったのですね。

 今年の夏一番の爽やかな話題でしたよね。タイムリーな今年の大会でしたね。㎜㎜......。

 

 一生に一度の必見!?......。まあ、長生きをすればまだまだチャンスはあるということで焦るのはやめよう。

  

     (?)最後の季節感あふれるお便りありがとう!!   

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               下の写真は大曲花火大会を目当てに日本各地から集まったキャンパー達。

                  

 

 


今 元気です! 大曲から~

2018年08月25日 | お便り

 

 ひまわりさんからお便りです。

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          ~~「今、元気です!」~~

 

 草原に涼風吹き、時折暗い雲間からたった1つの星が見え隠れしている。

 夏とは思えぬ涼しさ。蚊もいない。秋虫の声がきこえる。

 

 ここは秋田大曲花火大会の前日8/24のキャンプ可能駐車場。

  雄物川を遠望する河川敷を利用して小粒の砂利石を敷いて整備された所。雑草が生えて緑の草原に見えている。

 

 キャンパーたちが次々にやって来て割り当てられた区画地に思い思いにテントを張る。

  それぞれの家族の声が小さく聞こえてくる。

  テレビもラジオも使わない世界。ペット犬が吠えるのと、小さい子が駄々をこねる声は仕方がない。日常茶飯事。環境のせいかそれも長くは続かない。

 

 穏やかな空気。 

 

 このころ、台風20号が日本列島を通過。自宅はどうなっていることやら。誰もいない。兼ねてから予定していた秋田県大仙市のこの駐車場に予定通りに来てしまった。今日は曇りの天気予報が日中は雨だった。

 夜になって雨はあがったが、明日の夜こそ花火大会の本番である。

 しかも、明日の天気予報は曇り。

 

 さあ、寝よう。

 

 草原で品行方正なキャンパー達に囲まれて、車中泊。

 夜8時~9時、若い家族連れの雑音が聞こえてくるけれど、数台の照明ライトが広いキャンプ場をやさしく囲んでいる静かな夜です。

 

 日常を離れた静かな貴重な夜です。

 

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 猛暑や台風の話題などで何かと騒がしいこの頃、そういう夜を過ごしているとは羨ましいですね。

 そして今日は、果たして素晴らしい花火の数々が全部はっきり見ることができるのでしょうか?明日の感想を聞きたくなります。

 雄物川の河川敷は、素晴らしい夜を提供しようとしているのですね。

 石巻の川開きの花火も河川敷の大勢の人が一緒に集い、一つひとつの花火に歓声をあげながら見知らぬ隣人と笑顔を交わし合ったものです。

 先日隅田川での花火のニュースが報道されていましたが、やはり大勢の人々を楽しませたようでした。

 日本は海に囲まれた山や川の多い国です。

 台風により様々な被害を受けたばかりでもあります。そして、地震が起こるたびに津波はこないかと神経をとがらせます。

 でも、 ひまわりさんたちのように、川がもたらした河川敷で多くの喜びを享受できることもあります。

 宮城県の大河原も(なるほど、大きい河原だからこのような名前がついたのだろうと今、気が付きました。)毎年桜の季節にそれはたくさんの人に喜びをもたらします。

 

 自然の恵みを享受するとともに、その自然に対する警戒も怠らないことが人間にとっては大事なことなのでしょうね。

 石巻の雄勝では、今「トランジット リボンアート」というイベントが9月はじめまで行われているようです。

 シンボルの白い鹿のオブジェは健在です。

 来年はまた、「リボン アート」のイベントが開かれることになっており、今年はその前夜という感じで、「トランジット」という言葉がついているのだそうです。

 

雄大な自然の場を借りて様々なお祭り(フェスティバル?)が行われるのは、心も豊かに広がるようで嬉しくなります。

 ひまわりさん、今夜はしっかり晴れるよう祈りたいと思います。

 

 


東京でほや!?

2018年05月22日 | お便り

 

  どんぐりさんからお便りが届きました。上の写真は「ほや」です

 「ほや」の季節がきてるんですね。

 以下 紹介します!

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  4月の中旬、いつも行くスーパーの魚売り場に、なんと宮城の「むきほや」が置いてあった。石巻市魚町の加工店だった。税抜きで298円。小さいむきほやが2個入って、袋の中で浮遊している。昔のホヤのイメージとうんと違って、薄っぺらだ。隣に並んでいる殻付きホタテが北海道産なのが残念で、これも宮城産だったらもっとうれしかったが、日本各地からの特産品を集めた特集だったようなので仕方がない。 

  しかしこのスーパーでほやを見たのは初めてだったので、即座に買おうと決めた。石巻で育った子供の時は、あまり好きではなかったが、支援のために買おうと思った。売れ残っているのを見たくなかった。だけど、その何日か後に行ったとき、この日のものじゃなかったけど売れ残って値が下がっているのを見つけたので、また3袋買った。2週間ぐらいに何日か出て、あとは売り場に出ていない。 

 東京に来てから、昔、大きなスーパーで買ったことはあったが、殻に入ったままというのが多かったように思う。そのほうが新鮮だとも思ったし、珍しかったから。1個100円くらいだったと思う。

 今回は震災後で初めてだったので、支援のためだと、2袋とか3袋とか買った。この写真のときも、9袋あるということは、1袋しか売れてなかったのでないのか。それとも15袋あったのだろうか。20袋あったとは思えないし。 

  ところが、これがとてもおいしかった。生臭くなかったのだ。きゅうりと合わせた酢の物で、なんとも芸のないものしか作れないのだが、昔のイメージとずいぶんと違った。自己主張がなさすぎるといえばそうかもしれないが、ほや特有の海の味はなつかしかった。

 じつはその2、3週間前に、朝日新聞に載った「ホヤをメジャーに」という特集記事を読んだので、食べたかったのだ。それ以来ずっと、どこかで手に入れられないものかと思っていた。 

 その記事には、震災後、韓国が輸入禁止にしたので市場を失い、2016~17年には陸上処分されたことや国内に市場開拓するため試食会をした話が載っていた。ホヤのムース、ホヤと鶏のパイ包み焼き、などフランス料理に使うとか、カツレツや殻付きボイルホヤなんて作って実際にお店に出しているところもあるという。

 酢の物しか思いつかない私にとって、青天の霹靂! そんなかわった食べ方をしてみたいとは思わないが、発想が面白い! 

 仙台駅前には「ほや&純米酒場まぼ屋」があるそうで、ホヤ専門店だという。ちょっと行ってみたいものだ。ホヤの認知度を上げようとがんばっているのが「ほやほや学会」で、ほやの情報発信やイベントを行うという。

 宮城県農林水産部も「ホヤ祭り」などのPRイベントを県内外でやるという。 

 ほやの認知度を上げる試み!いいね、どんどん食べようよ。

 しかし、宮城出身でない人に、お土産よと配って、喜ばれるだろうか。調理できるだろうか。今回もそれが心配で、スーパーの「むきほや」を人にあげられなかったのだ。加工品でなく、この生のおいしさを他人に伝えるのって、やはり難しい。飲み会開いて人を招いてごちそうするより手はないのかな。料理作って配るとか。ちょっと大変だなあ。

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 どんぐりさん、記事ありがとうございます。

 東日本大震災以後、韓国からホヤの輸入が禁じられて行き場を失った多くの宮城県産(石巻産?)のほやが廃棄されているというニュースを耳にする度、やるせない気持ちになっていました。

 かと言って、自分がそんなにホヤを食べることはもちろんできず、なにしろホヤ料理というものも浮かばないのです。そして、前に聞いたホヤの美味しい食べ方の一つとして、海で取り立てのものの皮をその場でむいて生で食べると、本当に美味しく「海のパイナップル」と言われているということが頭に残っています。そうなると、ますます食べる機会が訪れそうにありません。

 海のそばで育った友人も、「美味しいホヤやウニを食べたければ、石巻か三陸等産地で」と言っているということでした。

 確かに、私も仙台に来てからは、たまにホヤを買って食べても「ちょっと、違う。自分の食べたい味じゃない。」と思ったりしたものでした。昔石巻にいた頃は、水揚げされたばかりの新鮮な魚介類が多く、ホヤを買う時は、天然と養殖ものがあり、天然ものが肉厚で美味しいと聞いていました。今はそういう区分け等はあるのかな?(ちなみに、最近近所のスーパーで購入した味付きのホヤは美味しかったです。)

 最近、イカやサンマ等が不漁で困っているとの話題も耳にします。ならば、余って廃棄されているホヤを代替え的に使えないでしょうか?

 「一体、酢のものにする以外にどんな食べ方があるのかな?」

と、思い調べてみました。

 韓国では、ビビンバにも使えるんですね。また、おさしみ等々、いろいろあるんですね。宮城県でも蒸してだしにする方法もあったとか...。

 南三陸には、美味しいホヤ料理のお店があるそうですが、仙台でも一件見つけました。そのうち、行ってみたいな。

 全国的にはちょっとマイナーな感のあるホヤですが、その美味しさ、栄養等に目を向けてちょっと、工夫してみようかな..。