「降る雪や明治は遠くなりにけり」
中村草田男 なかむらくさたお
"Poverty" - Ennio Morricone
時代を見つめた人間味ある作風
「降る雪や明治は遠くなりにけり」
草田男の代名詞ともいえる「降る雪や~」の句は、子どもの頃に1年間だけ通った東京青山の小学校を東大生時代に訪ねた時、降り始めた雪の中で浮かんだという。
わずか1年の在学という事実が、外交官であった父に従って転校を繰り返した少年期を象徴する。そうした環境が感受性の強い性格を育んだのか、中学時代から神経衰弱に悩まされた。
若い才能がきらめいていた松山中学の回覧同人誌「楽天」のメンバーとなった草田男は、病気で休学中に「楽天」の先輩伊丹万作(池内義豊)と邂逅、魂の交流は彼の死まで続いた。
「絶対値だけを永久に友人の中に信じる」と断言する伊丹の存在が、草田男をどれほど支えたことか。
「草田男」という号は、父親の急逝後も神経衰弱で東大を休学する草田男に業を煮やした親戚が、「お前は腐った男」と面罵(めんば)したことに由来する。
無垢な魂がもたらす激しい精神的葛藤に苦しむ草田男が、そこから「逃避行」するために探り当てたのが俳句であり、昭和3年、27歳で本格的に句作を始め、虚子に師事した。
32歳で大学を卒業し教壇に立ったが、金銭問題で騙されるなど世事には疎かった。そうした夫を支えたのは、敬虔なクリスチャンでピアニストの妻直子である。
世俗を嫌う純粋なまなざしを社会や人間の内面に目を向ける作風で「難解派」「人間探求派」と呼ばれる一方、など、みずみずしい感性があふれる句を残した。