第1回goodシネマ・・・
東京物語 2011.09.24
誰しも、映画をみて、感動し、心が詰まり泣いた覚えがあると思います。
笑ったり、泣いたり、怒ったり、その映画の主人公になりきって、映画は人生を見つめ直す力を持っています。
もう一度、名映画を鑑賞しなながら何を思うか?
例えばサウド・オブ・ミュージック 10代で感動した映画を60・70代で鑑賞すると何を思うか?
名映画をみんなで摘むぎなおすと、また新しい発見があるとおもいます。
小津安二郎監督がよく語った言葉に 『変わらないものこそ美しい』
変わらないもの,母の子供への愛情、父の子供への愛情、子供の父、母の思慕 家族愛、恋愛など、
普遍的なものおも、否定されかねない時代になってます。
名映画を摘むぎ直したら、何かが見えてくるかと思います。
みんなで摘むぎ直しましょう。 ともか
東京物語の出会いは2003.12小津安二郎(1903~1963)生誕100年祭でNHK衛星で放映されてからです。
戦前トウキーの作品から1962年まで作品を約2ヶ月間放映されました。
もともと映像なるものは、フランスのリュミエール1895年[工場の出口]活動写真を発表してからです。
映画の人生は小津そのものなのです。戦前、小津は学生時代授業そちのけで、ハリウドの映画をみて過ごしてます。
そのせいで、彼は大学受験に失敗彼は代用教員をしたのち、映画のことが忘れられなくて、親戚の紹介で蒲田撮影所に就職しました。
彼の作品は戦前はハリウッドの模倣した時代でした。
その後、戦争を経験した後に、独特の名アングル、小津アングルを編み出し、
名優 笠智衆、原節子をえて名映画 1949晩春. 1951麦秋. 1953東京物語と全盛期の映画を撮り続けました。
そこには小津の美意識、死生観がよくそこに現れてます。
私は皆さんに小津映画を紹介したいからGoodシネマを立ち上げたと言っても過言ではありません。
今、小津を研究するクラブが各地にできています。
東京物語
次のページ 第2回goodシネマ「ライフ・イズ・ビューティフル」
2015年前期ブログの人気記事 わたしのお気に入りプログ 2 銀幕の女神 原 節子 永遠に
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます