snclimbエス・クライムのブログはじめました!

初めまして、趣味の登山と釣りと囲碁と映画鑑賞と図書館巡りをアップしていきます。
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8.愛の作家 レイモン・ペイネ   2013.07.11  [74]

2025-02-04 14:51:10 | 文学

 

8.愛の作家 レイモン・ペイネ   2013.07.11 

代表作「ペイネの恋人たち・シリーズ」で世界的に名の知られるフランス人男性画家。

メルヘン調の愛らしいイラストで、一貫して愛とユーモアを描き続けたイラストレーターである。

ラブラブな画はもちろん、社会的な鋭い風刺とさりげないお色気とを作品に取り込むのが特徴。

本国フランスでは「挿絵画家」としても広く認知されている。

1974年にはアニメーション映画「ペイネ 愛の世界旅行」(伊)も製作された。

1986年には長野県北佐久郡軽井沢町にペイネ美術館が開館している。


【フランス語】愛の讃歌 (Hymne à l'amour) (日本語字幕)

     

岡山県美作市にあるバレンタインパーク作東(さくとう)は、愛をテーマにした多目的パークです。

美作市に合併される前、1988年4月6日に旧作東町がフランスのセント・バレンタイン市と姉妹都市になった際に、

その象徴となる建物として整備されました。

 

 

 

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文学索引 2011 №1

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7.青春の詩 ベルネーゼ 2012.11.16 「1」

2025-02-04 14:49:29 | 文学

7.青春の詩  ベルネーゼ   2012.11.16 

Youth is not a time of life-it is a state of mind; 

青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相をいうのだ。

it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions,

優れた創造力、逞(たくま)しき意志、炎ゆる情熱、

a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.

怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、

こういう様相を青春と言うのだ。

絶えず志に花を持つべきだ。

青春の詩

 

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6.白洲正子  白州次郎のお話

2025-02-04 14:47:02 | 文学

6.白洲正子  白州次郎のお話

青山に「韋駄天お正」と命名されるほどの行動派で、自分の眼で見、足を運んで執筆する姿勢は、終生変わらなかった。

次郎と同様、葬式はせず、戒名はない。

白洲 正子(しらす まさこ、1910年(明治43年)1月7日 - 1998年(平成10年)12月26日)は随筆家。

姉に近藤泰子、夫は白洲次郎。長男は白洲春正、次男は白洲兼正、長女は牧山桂子。

多くの関連著作を出している白洲信哉(プロデューサーほか)は孫の一人で、兼正と小林秀雄の娘明子の子である。

しばしば白州正子と略し表記もされる(洲と州が異なる)。


樺山伯爵家の次女として、東京に生まれる。父方の祖父・樺山資紀は薩摩出身の軍人・政治家。

正子も、自分に薩摩人の血が流れているのを強く感じていたという。幼時より能に親しみ、14歳で女性として初めて能の舞台に立つ。

その後、アメリカのハートリッジ・スクールに留学。帰国後まもなく次郎と結婚する。互いに「一目惚れ」だった。

 戦後は早くより小林秀雄、青山二郎と親交を結び、文学、骨董の世界に踏み込む。

二人の友情に割り込むために、飲めない酒を覚えるが、そのため三度も胃潰瘍になるなど、付き合い方は壮絶。

加えて銀座に染色工芸の店「こうげい」を営み、往復4時間の道を毎日通っていた。

この店からは田島隆夫、古澤万千子ら多くの作家が育つ。

 

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5.種田山頭火 円通寺  2013.08.08 「80」

2025-02-04 14:43:31 | 文学

5.種田山頭火 円通寺  2013.08.08

大正・昭和の俳人。季語や五・七・五という俳句の約束事を無視し、自身のリズム感を重んじる「自由律俳句」を詠んだ。本名は正一。山口県防府の大地主の家に生まれる。

父は村の助役を務めたが、妾を持ち芸者遊びに夢中になり、これに苦しんだ母は山頭火が10歳の時に、自宅の井戸に身を投げた。

井戸に集まった人々は「猫が落ちた、子供らはあっちへ行け」と山頭火を追い払ったが、彼は大人たちの足の間から母の遺体を目撃し、心に深い傷を残す。

現・防府高校を首席で卒業した後、早稲田に入学。しかし22歳で神経症の為に中退して帰郷する。

この頃、生家は相場取り引きに失敗して没落しており、立て直しの為に先祖代々の家屋敷を売り、彼は父と酒造業を開始する(24歳)。27歳で結婚、子を持つ。

10代中頃から俳句に親しんでいた山頭火は、28歳から“山頭火”を名乗って、翻訳、評論など文芸活動を開始。31歳、俳句を本格的に学び始め、俳句誌に掲載されるようになる。

34歳、実力が認められて俳句誌の選者の一人になるが、翌月に「種田酒造場」が倒産(酒蔵の酒が腐敗するなど2年続きで酒造りに失敗した)。

父は家出し、兄弟は離散する。山頭火も夜逃げ同然で妻子を連れ九州に渡った。翌月、古書店(後に額縁店)を熊本市内に開業するがこれも失敗。

36歳、弟が借金に耐え切れずに自殺。37歳、行き詰った山頭火は職を求めて単身上京し、図書館で勤務するようになる。38歳、熊本にいる妻から離婚状が届き判を捺した。

40歳、神経症の為に図書館を退職。翌1923年に関東大震災で焼け出され、熊本の元妻のもとで居候となる。

42歳、熊本市内で泥酔した山頭火は市電の前に立ちはだかって急停車させる事件を起こす(生活苦による自殺未遂と言われている)。

市電の中で転倒した乗客たちは怒って彼を取り囲んだが、現場に居合わせた新聞記者が彼を救い禅寺(曹洞宗報恩寺)に放り込んだ。

翌年これが縁で山頭火は出家して耕畝(こうほ)と改名、郊外の味取(みとり)観音堂の堂守となった(43歳)。生きる為に托鉢(たくはつ)を続けて1年余が経った1926年(44歳)、4月に漂泊の俳人尾崎放哉が41歳の若さで死去。

山頭火は3歳年下の放哉の作品世界に共感し、句作への思いが高まり、法衣と笠をまとうと鉄鉢を持って熊本から西日本各地へと旅立った。

この行乞(ぎょうこつ、食べ物の施しを受ける行)の旅は7年間も続くことになり、その中で多くの歌が生まれていく。
最初に向かったのは宮崎、大分。九州山地を進む山頭火は旅始めの興奮をこう詠んだ--
「分け入っても分け入っても青い山」。

続いて中国地方を行乞し、46歳で四国八十八ヶ所を巡礼。小豆島では憧れの放哉の墓を訪れた。1930年(48歳)、思うところがあり過去の日記を全て燃やす--
「焼き捨てて日記の灰のこれだけか」「こころ疲れて山が海が美しすぎる」。

1932年、50歳を迎えた山頭火は、肉体的に行乞の旅が困難となり、句友の援助を受けて山口県小郡の小さな草庵に入り「其中庵(ごちゅうあん)」と命名する。

湯田温泉にも近く、ここに7年間落ち着くことになる。

深酒は相変わらずで、当初は近隣の人々から不審な旅僧と見られていたが、高名な俳人が山頭火を讃えたこと、其中庵での句会に多数の句友が集まったことから、次第に彼への接し方が温かくなっていった。
※山頭火の酒豪ぶりはハンパじゃなかった。本人曰く泥酔への過程は「まず、ほろほろ、それから、ふらふら、そして、ぐでぐで、ごろごろ、ぼろぼろ、どろどろ」であり、最初の「ほろほろ」の時点で既に3合だった。

酒と俳句については「肉体に酒、心に句、酒は肉体の句で、句は心の酒だ」と語っている。
そしてこの年、出家からこれまでの作品をまとめた第一句集『鉢の子』が刊行される。九州、四国、中国地方を歩き続けた日々、山頭火の魂の遍歴がここに刻まれた。

 

   
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3.おくのほそ道 序文(じょぶん)

2025-02-04 14:38:26 | 文学

3.おくのほそ道 序文(じょぶん)

月日(つきひ)は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行(ゆ)きかふ年もまた旅人(たびびと)なり。

舟の上に生涯(しょうがい)をうかべ、馬の口とらえて老(おい)をむかふるものは、

日々(ひび)旅(たび)にして旅(たび)を栖(すみか)とす。

古人(こじん)も多く旅(たび)に死(し)せるあり。

よもいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそはれて、

漂泊(ひょうはく)の思ひやまず、海浜(かいひん)にさすらへ、

去年(こぞ)の秋江上(こうしょう)の破屋(はおく)にくもの古巣(ふるす)をはらひて、

やや年も暮(くれ)、春立てる霞(かすみ)の空に白河(しらかわ)の関こえんと、

そぞろ神(がみ)の物につきて心をくるはせ、道祖神(どうそじん)のまねきにあひて、取(と)るもの手につかず。

ももひきの破(やぶ)れをつづり、笠(かさ)の緒(お)付(つ)けかえて、三里(さんり)に灸(きゅう)すゆるより、

松島の月まず心にかかりて、住(す)める方(かた)は人に譲(ゆず)り、杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移(うつ)るに、

  草の戸も 住替(すみかわる)る代(よ)ぞ ひなの家面八句(おもてはちく)を庵(いおり)の柱(はしら)にかけ置(お)く。


奥の細道 ~旅立ち 千住 室の八島~  

 「奥の細道」の画像検索結果

 

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 文学索引 2011 №1

松尾芭蕉 江戸のスーパー変革者「松尾芭蕉~17文字で日本を変えた男~」 

「おくのほそ道」全文  

 

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2.江戸のスーパー変革者「松尾芭蕉~17文字で日本を変えた男~」

2025-02-04 14:31:56 | 文学

 2.江戸のスーパー変革者「松尾芭蕉~17文字で日本を変えた男~」

「命二つの中に生きたる桜かな」       “お互いに今までよく生きてきたものだ。

※滋賀・水口の満開の桜の下で20年ぶりに同郷の旧友・服部土芳と再会した時の句。

江戸のスーパー変革者(1)「松尾芭蕉~17文字で日本を変えた男~」

もし松尾芭蕉がいなかったら日本語は違った発展を遂げていたかもしれない?

芭蕉の生きた江戸時代まで文学と言えば京都の王朝文化が一千年育んできた雅なもの。

多くのルールや、厳格な言葉遣いに縛られていた。ところが芭蕉はそれらを破壊。

「鶯や餅に糞する縁の先」と、「糞」までを詠み込んでみせる。

身近な風景や何気ない庶民の営みにも美が宿り、感動があることを表現したのだ。 

日本人の感性に影響を与えた芭蕉の改革に迫る。 芭蕉が生涯に詠んだ句は約900句。

紀行文はすべて死後に刊行された。

“侘び・さび・細み”の精神、“匂ひ・うつり・響き”といった嗅覚・視覚・聴覚を駆使した文章表現、 そして「不易流行」「軽み」。 

この芭蕉の感性は多くの俳人を虜にし、いつしか『俳聖』と呼ばれるようになった。

最期の句は死の4日前の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る」 

“旅先で死の床に伏しながら、私はなおも夢の中で見知らぬ枯野を駆け回っている”。

芭蕉が敬慕してやまない偉大な先人たち、西行、李白、杜甫らと同様に、彼も旅の途中で果てたのだった。

「命二つの中に生きたる桜かな」“お互いに今までよく生きてきたものだ。

2人の生命の証のように、満開の桜が咲き香っているよ”

※滋賀・水口の満開の桜の下で20年ぶりに同郷の旧友・服部土芳と再会した時の句。

  

Rudi Schuricke - Einmal wirst Du wieder bei mir sein

 

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1.ノルウェーの森 砥峰高原(とのみねこうげん)2011.10.13 「206」

2025-02-04 12:02:08 | 文学

1.ノルウェーの森 砥峰高原(とのみねこうげん)2011.10.13 

暗く重たい雨雲をくぐり抜け、飛行機がハンブルク空港に着陸すると、

天井のスピーカーから小さな音でビートルズの『ノルウェイの森』が流れ出した。

僕は一九六九年、もうすぐ二十歳になろうとする秋のできごとを思い出し、激しく混乱し、動揺していた。限りない ...

 村上春樹原作の映画「ノルウェイの森」。

そのメインロケ地となった兵庫県神河町の「峰山高原・砥峰高原」大河「軍師官兵衛」

◎オープニングに出てくる草原  兵庫県神崎郡神河町砥峰:砥峰高原

砥峰高原(とのみねこうげん)  

 

「ノルウェーの森 映画」の画像検索結果  

  

 

 

 

 

松尾芭蕉 江戸のスーパー変革者(1)「松尾芭蕉~17文字で日本を変えた男~」   

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索引 文学 2011 №1

2025-02-04 11:58:16 | 文学

       索引    文学 2011   №1     

1.ノルウェーの森 砥峰高原(とのみねこうげん)2011.10.13 「206」

 

2.松尾芭蕉 江戸のスーパー変革者(1)「松尾芭蕉~17文字で日本を変えた男~」   

3.おくのほそ道 序文(じょぶん)   芭蕉と対話 Beethoven - Für Elise

 4.吉野弘 Relaxation Music - 1 Hour Meditation Candle 

 

  5.種田山頭火 Peter, Paul and Mary 500 Miles 

 6.白洲正子 Buaiso 武相荘 白州次郎・正子邸

 

 7.青春の詩 ベートーヴェン/ピアノ三重奏曲第7番「大公」mov.1     

8.愛の作家 レイモン・ペイネ   2013.07.11  [74]

 

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