白浜海岸 朝散歩 2019.4.3
孝徳天皇の子でありながら政争に巻き込まれ、海南市の藤白坂で露と消えた悲運の皇子、有間皇子(ありまのみこ)。
大化の改新で父親が即位、皇位継承もありえた彼を陥れたのは、皮肉にも大化の改新の立役者、中臣鎌足と中大兄皇子でした。
父の死後、牟婁(むろ)の湯へ湯治に向かった有間皇子は湯のすばらしさと景勝を斉明天皇に伝えました。
これを聞いた斉明天皇は、中大兄皇子らを引き連れて牟婁の湯へ行幸します。
その隙を見て蘇我赤兄(そがのあかえ)は謀反をそそのかし、それに乗せられた有間皇子を中大兄皇子に密告。囚われの身となった有間皇子は裁きを受けるため、
斉明天皇が滞在する牟婁の湯に護送される途中、磐代(いわしろ・みなべ町)で歌を詠んでいます。
「磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む」。松の枝を引き結ぶのは、旅の安全を祈る古代人の風習。
有間皇子は再び都へ送還され、自ら結んだ松の枝は目にしたものの19歳で絞首となり命を散らしました。
風光明媚なみなべに詠んだ歌だからこそ美しく、悲しみ深いものになるのかもしれません。
Adele - Hello / Lacrimosa (Mozart) – The Piano Guys
有馬皇子の悲話
岩代の松(和歌山県南部町) |
「磐代の浜松が枝を引き結び 真幸(まさき)くあらばまた還り見む」
(磐代の松の枝を結んだ 幸いにも無事に帰ることができたらまたこれを見よう)
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