こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

聖女マリー・ルイスの肖像-【39】-

2017年12月01日 | 聖女マリー・ルイスの肖像
【開かれた聖書の静物画】フィンセント・ファン・ゴッホ


 ええと、今回もここの前文に特にそんなに書くことないかなっていう気がするので、↓の中に出てくる聖書のお話についてでもって思います(^^;)


 >>私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。
 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについては、それぞれが注意しなければなりません。
 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
 もし、誰かがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。
 もし誰かの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
 もし誰かの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は火の中をくぐるようにして助かります。
 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
 もし、誰かが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。

(コリント人への手紙第一、第3章10~17節)

 これは、↓の本文のほうに出てくるサミー・ライアス牧師のお説教の聖書箇所なのですが、実をいうとこの部分の意味についてはマリーがあとで説明しているとおり……簡単にいえば、「金・銀・宝石」は、神にとって価値ある働きであり、「木・草・わら」というのは、神さまの目から見た場合、あまり価値がないというか、あるにはあっても前者が「永遠に残る」かわり、「木・草・わら」というのは火の中で燃え尽きてしまう働き、ということだと思うんですよね。

 なんというか、人間的な目で見た場合には、この「木・草・わら」の働きが立派に見えるっていうのはよくあることなんですよ(^^;)

 イエスさまのことを信じて救われたクリスチャンの方っていうのは、大体このことで「選択」を迫られることが多いといっていいような気がします。なんというか、これはあんまりいいたとえ話でない気がするんですけど、たとえばわたしに将来何かなりたい夢があったとしますよね。

 まあ、実際には100%無理でも、歌手とか……でも、そうでなく、神さまから「牧師になりなさい」と語られて、夢のために上京するか、それとも神学校へ入るかとか……こうした場合、神さまに祈って決めることになるわけですが、大抵はやっぱり、牧師になることが神さまの御心である場合が多いと思います。でもこういう場合、ものすごく葛藤しますよね

 でも、一体どちらが神さまの望まれる永遠に価値ある働きに繋がっているかといえば、「金・銀・宝石」として残るのはやはり牧師としての働きでしょうし、歌手っていうのはかなり歌がうまかったとしてもやっぱり、成功するっていうのはなかなか難しいですよね

 でも、よく聞くパターンとして多いのは、やっぱり神さまが選んでくださった道ではなく、自分の道というか、自分で決めてこちらへ進みたいと思った道に人は進みたいものであり、そのあと、もしそれで失敗したら、もう一度「再選択の時」みたいのがあって、その時に再び牧師になる道を選ぶとか、あるいはまた少し別の道が開かれたりとか……たとえば、歌手になろうと思って上京したものの、なかなかうまくいかず、どうしたらいいのか迷っていた時に教会でゴスペルを歌うことが導かれ、そちらの道へ進むと同時に神学校へも通うことになったとか。。。

 そしてこの場合大切なのは、最初にすぐ神さまに聞き従えなかったものの、結局のところ最後には最初の神さまのみこころがちゃんと成就してるっていうことかもしれません(^^;)

 また、聖書に>>神を愛する人々、すなわち、神の計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています(ローマ人の手紙、第8章28節)。とあるとおり、歌手になろうと思ってがんばった経験や積んだトレーニングも、神さまに仕えるための経験として生かされており、これがまた信仰体験になってると思うんですよね。

 わたしもそうでしたが、なかなかすぐに神さまの語りかけって聞き従うことが出来ない場合が多いんですよね。やっぱり歌手になりたいとか、他にも女優になりたいとかアイドルになりたいとか、そうした夢があったとしたら――「この神さまの語りかけは自分の聞き違いかも(>_<)」と思いたいあまり……自分の好んだ道のほうを選択してしまう可能性のほうがどうしても高くなってしまうというか。

 でも、マリーの場合は……育った環境が特殊だったせいもあるのでしょうけれども、常にマリーは「神さまはこうおっしゃっておられるのではないだろうか」ということを祈りの中で確かめつつ、その道へ一筋に進むことが出来た、というのは本当にすごいことだと思います。

 もちろん、これはただの小説ですから、なかなか現実はこうはいかない――とわたし自身も思うわけですけれども、実はマリーのモデルというか、彼女に似たタイプの修道女にリジューのテレサという方がいまして、彼女がマリーの修道女としてのモデルになってるといっていいと思います(^^;)

 では、次回はこのリジューのテレサについて、何か書けたら書いてみようかなって思っていたりします♪

 それではまた~!!



       聖女マリー・ルイスの肖像-【39】-

 体の関係を持つようになってから、イーサンはマリーにとっていい<夫>であるように自分なりに努めていたといっていい。たとえばゴミ捨てや風呂掃除を負担したり、あるいは彼女とミミを映画にやっておいて、夕食の仕度はすっかり自分がしておくということもあった。

 イーサンは母親があまり家庭的な人でなかったため、小さい頃から何か食べたければ自分で作るしかないという環境で育った。ゆえに、実は料理の腕前のほうはなかなかのものだったのである。この頃、自分でそれと望んで哲学の修士課程コースを取ったにも関わらず、その魅力が突然色褪せたようにすら感じたものだった。

 もちろん、イーサンにはイーサンにとっての、哲学を専攻した明確な理由が存在してはいた。あれはイーサンが十一歳の頃、母が癌で病院に入院していた時のことだ。イーサンの母ガブリエルは何を思ったのか、自分の息子に対して「あんたは本当は生まれる予定じゃなかったのよ」なんていうことを言った。「ケネス・マクフィールドになんて全然本気じゃなかったらね。避妊には気を使っていたの。でもたまたまコンドームが破けちゃって。それであんたが出来たってわけ」

 イーサンは当時からすでに大人びたところのある少年ではあったが、やがて死にゆく運命の母にそう言われた時、とてもショックを受けた。母のガブリエルは続けて言った。「イーサン、わたしがこんなこと言うからって、勘違いするんじゃないわよ。わたしはあんたを息子として愛してるし、今ではあの夜にコンドームが破れて良かったんだと思ってるってこと。だから、本当は生まれるはずじゃなかったのに生まれてきたあんたは、間違いなく強い星の元に生まれきたはずだってことを言いたかったの。言ってみればまあ、これも神さまの思し召しというか、宇宙の意志ってことね」

(コンドームの破れたことが宇宙の意志かよ!)という、イーサンの側にあるのはただそれだけの思いだったが、以降イーサンは自分が今生きてこの場に存在するという偶然の事象について、頭のどこかで考えずにはいられなかった。他に、彼の人生では常に二本の道が別々に伸びていることが多かった。母が亡くなったあと、もしビリオネアのケネス・マクフィールドが自分を認知してくれなかったとしたら、イーサンはあんなにも金のかかる私立校に奨学生としてでも入ることは難しかったに違いない。

 ランディがちょうど、私立校の寮へなどではなく、家から公立校に通いたいと最初は願っていたように――イーサンも当時、学校の成績としてはロイヤルウッド校を狙えながらも、ずっと自分が慣れ親しんだ場所から遠く離れ、そんなところへ行くのには抵抗を覚えたものだ。そこで、父親に反発する気持ちもあり、そのまま公立校へ進学していた場合、ユトランド共和国の最高学府であるユトレイシア大学へ合格していたとはイーサンも流石に思わない。

 ケネス・マクフィールドの認知と、指折りの有名私立校への入学……このふたつのことがなければ、イーサンの人生は今ごろ百八十度違っていたことだろう。イーサンは死んでからのちも随分長きに渡って、自分のDNA上の父に対して軽蔑の気持ちを持ち続けていたが、むしろ死んでからのほうが、この実父の存在はイーサンの上に重くのしかかっていたかもしれない。

 彼が世間から成り上がりとして軽蔑される理由のひとつに、まず四流大学へ通ってのらくらと毎日を過ごしていた頃、二十一歳の時に宝くじで七百万ドル当たったということがある。つまり、自分の額に汗し、労した金によってではなく、あぶく銭によって商売をはじめ、それを着実に成功へと導いた――『七百万ドルあれば、誰だってそのくらいのことは出来て当たり前だ』と世間の人々は思っていたし、実際息子のイーサンですらがずっとそう思ってきた。

 だが、イーサン自身が二十一歳となり、いざ父の財産を受け継いでみると……だんだんに父ケネス・マクフィールドの偉大さのようなものが彼にもわかってきた。まず、ケネスは宝くじを受けとったその日にストリッパーを雇って楽しんだわけだが、彼が散財するのは女性に纏わる娯楽に関することだけで、それ以外では驚くほど堅実に資産を増やしていった。

 まずは、着実に今ある財産を少しずつでも増やしていくにはどうすればいいかをその筋の人々に相談し、今の時代で失敗のリスクが比較的少ないのは飲食業だと聞き、のちにユトランド中に百店舗以上ものチェーン店となる第一店目のレストランをオープンする。リーズナブルな価格て多種類のメニューを提供するその店は奇抜な店の装飾も評判を呼び、何より安くて味がうまいということで大成功を収めた。その後、同種の日本食チェーン店を全国展開し、ケネス・マクフィールドは長者番付トップ百位の常連となっていくということになる。

 さて、そうして自分の父が多額の遺産を残していってくれたことで――イーサンは父のケネスが最初に宝くじで当てた七百万ドル以上もの金を引き継ぐことになった。正直、あのまま大学院へなど進まずとも、イーサンにはこのまま一生遊んで暮らせるほどの金がある。だが多少なりとも哲学や経済学を学んでいたことが、イーサンを放蕩の魔の手から守ったというところは多分にあったことだろう。

 何分、イーサンの受け継いだのがもし、四、五十万ドルくらいのものであったとしたら、(ユトレイシアの郊外にでも一軒家を建てて終わりだな)というくらいの感覚だったかもしれない。だが、一億ドルも金を残されてしまうと、逆にそれを使うことにイーサンは慎重になった。というより、彼にもし半分ながらも血の繋がった弟妹がいなかったとしたら、話はまた別だったのかもしれない。

 イーサンはランディやロンやココやミミに範を示すためにも、だらしのない金の使い方は出来ないと思っていたし、株で儲けるにしてもイーサンは配当が少ない代わり、リスクの低い投資にしか手を出してはいない。そして、そのような形で弟たちや妹たちの財産も、彼らがその資産を受け継ぐ約十年後には、かなりのところ増えているはずなのである。

 また、他にイーサンは自分の父がここまでの資産を自分に残したのでなかったら……おそらく今ごろはドラフトの一巡目でクォーターバックとして指名されていたはずだった。そして、四人の弟妹全員を大学へ進学させるため、膝が駄目になるまでプロリーグで選手として所属し続けたことだろう。

 何より、父ケネス・マクフィードのことで一番大きいのが、イーサンにとってはマリーのことだった。父がもし彼女を残したのでなかったら、マクフィールドのこの屋敷は今ごろどうなっていたことだろう。マリーがいてもいなくても、おそらくマグダは年齢的なこともあり、いずれは家政婦をやめていただろうし、そのあとにマリーほどの女性がメリーポピンズよろしく我が家へやって来ていたとはイーサンも流石に思わない。

 ようするに、イーサンはこうしたすべてのことを考えあわせて、父に対する憎しみを捨てた。いや、マリーが子供たちの面倒をよく見てくれるのを見るにつけ、これまでも半分以上赦しているとは感じてきた。けれど、マリーと愛し合うようになり、イーサンは自分の中に誰かを妬む気持ちやひがみ、他人を中傷したいという歪みや……何かそうしたものが一掃されるのを感じた。

 少し大袈裟な言い方をするならば、マリーが持っているある種の神聖さ、清らかさのようなものが彼にも移ったのだ。マリーと寝る前、自分もそのような生き方を志向すれば彼女も振り返るのだろうか、とはイーサンも思ったことはあるが、それは実行に移そうとまではあまり具体的に思えないことだった。けれど今、イーサンは難なく恋人の隣で、ある種の<生まれ変わり>のような心の広さ、寛容さのようなものをまるで苦もなく身に着けたかのような境地に達していた。

(これは、他の女が相手では、絶対起きえなかったことだ)

 イーサンは隣で眠っている裸の恋人に対して、愛しい気持ちから何度も口接けた。今彼の内にあるのはただ、このまま永遠に彼女と結ばれていたいということだけだったが、まずは結婚式を挙げたあとはハネムーンに行こうと考えている。何故といって、イーサンは今このことで非常に不自由な思いを味わっているからだ。夜は子供たちが眠ってから、昼間は子供たちが家のどこにもいない時しか――いちゃつくようなことは一切することが出来ない。

(心おきなくマリーと抱き合ったり、恋人らしくするためには……それしかないよな。正直、俺もあいつらが邪魔ってわけではないんだが、とにかく今はマリーと出来るだけふたりきりになりたいんだ)

 この件に関して、実をいうとマリーが一番心配しているのがココのことであった。ランディとロンとミミはおそらく問題はない。けれど、ただひとりココだけは……最愛の兄を取られたように感じるかもしれないと言うのだ。

『いや、あいつだって話せばわかるさ。何より、相手がよく見知ってるマリーおねえさんだからな。むしろ、俺が他の女と突然結婚するだの言い出すよりは……』

『だって、ココちゃんは将来的にキャサリンさんみたいに「イケてる」感じの人になりたいんですもの。そうした自分が尊敬の対象にしている女の人とお兄さんが結婚するならともかく、むしろ逆に裏切られたように感じるんじゃないかって、そんな気がして……』

 このあと、イーサンは心配性の恋人の頭のてっぺんにキスして、自分の側に抱きよせた。

『大丈夫だって。それに、このことは俺の口からココに話すよ。だからおまえは何も心配なんかしなくていいんだ』

 とはいえ、不倫というわけでもないのだから、まるでやましいことなどないはずなのに――「子供たちに見つからないように隠れてこっそり」関係を持つというのは、奇妙なことにある種のスリルがあった。イーサンは毎回マリーと抱きあう部屋を三階や四階の色々な部屋に変更したし、そのたびに新しく寝室の装いも変えることにしていた。そして昼間はなるべく早く大学から帰ってこようとしたり、とにかく子供たちがどこかよその家へ行っていないシチュエーションを喜んだ。

 だが、そうした幸せな甘い新婚生活を半年も楽しんだ頃……イーサンはとうとう我慢しきれなくなって、約一週間ほどの間、マリーと一緒にどこかへ旅行へ行けないかと画策したのである。

「マリー、どっか行きたいところなんてないか?」

「えっと、本当にどこでもいいんですか?」

 そうだ、というようにイーサンが頷くと、マリーは言った。

「その、ロンシュタットのほうへ一度行っておきたかったんですけど……イーサンは嫌ですか?」

「嫌ということはないがな。初めてふたりっきりで旅行に行くんだ。アメリカでもヨーロッパでも、どこでも行けるのに、なんでここから車で三時間くらいのショボい場所へ行かなきゃならんのかというのはあるかもな。まあ、べつに俺はおまえとふたりきりにさえなれれば、場所なんかどこだっていいんだが」

「一応、一度ケネスさんのお墓にこのことの御報告をしたいと思ってたんです。そしたら、そのあと子供たちに話したらいいかなと思ってて……」

(まったく、マリーらしい意見だな)

 そう思い、イーサンは優しく笑った。実際、彼にしても弟妹たちに話さないのはそろそろ限界と思ってはいた。いくら子供たちが寝静まってからと言っても、そろそろ例のスリルというのにもすっかり慣れてしまい、イーサンはついうっかりマリーとキスしているところを見られても、そのことをきっかけに結婚のことを切り出せばいいかとしか今では思っていないところがある。

「そうだな。一応紙切れ上のことだけとはいえ、法的には結婚してた相手だもんな。挨拶くらいしてからその息子とは結婚したほうがいいか」

 もうっ、というように、イーサンは途端に肩を叩かれる。こういうマリーの反応というのは、以前はなかったものだ。だがいまやマリーとイーサンの関係というのはかなりのところ対等に近いものになりつつあるとイーサンは感じていた。一応、以前と同じようにイーサンは上の立場からS的物言いをすることにはするのだが、一方、M的立場のマリーは彼に支配されているようで、実は彼女のほうが彼を支配しているというわけだった。

「ロンとミミちゃんはともかく……ココちゃんはなんとなく気づいてる気がするんです。それだったら、もうこれ以上は隠しておけない気がして……」

 ――実際、マリーのこの意見は正しいものだった。ココはこのことを敏感に察知していた。一見、朝はマリーとイーサンがいつも通り振る舞っているように見えても、その交わしあう眼差しにはやはり以前以上の恋人同士の絆があり、ココはそこから自分が弾きだされているように感じた。といっても、具体的にふたりが体の関係を隠れてこっそり持っているとまでは想像しなかった。ただ、イーサンが以前は決して言わなかったこと……「もっとマリーおねえさんを手伝えよ」とか「玄関の掃き掃除をしろ」だのいうことを命じたり、ココが一生懸命おしゃべりしても、心ここにあらずという感じでまるで聞いていなかったりと、ココはそのことをとても腹立たしく感じていたのだった。

 まだ十歳とはいえ、ココは勘の鋭い子供だった。だから、彼女はこう考えた……イーサンはおそらく、キャサリン・クルーガーのようなイケてる美人と結婚するよりも、ちょっとダサくはあるが、手近で便利な女で妥協することにしようと思ったのだと。だが、ココにとってそれは腑に落ちないことだった。彼女は兄が必ずモデルのような美人と結婚すると信じて疑ってもみなかったため、マリーおねえさんのことは大好きだが、彼女と結婚したのでは、せっかくの完璧な兄の価値が落ちると思っていたのである。

(ほんと、マリーおねえさんにもイーサンにもがっかりよ)

 そうココは思っていたし、何よりこのことで困るのが、こうした自分の気持ちを誰にも話せないことだった。以前までは学校で何かあった時には、それがどんな小さなことでもマリーおねえさんかイーサンにココは相談してきた。ところが――不思議なことだったが、このふたりが結ばれるということは、ココにとって何故かそうしたふたりとの関係を同時に失うということを意味している気がしたのである。

 ゆえに、こうしたことから、最近のココのマリーに対する態度は非常に反抗的だった。そしてそんな妹のことを見咎めてイーサンが叱ったりすると、彼女は怒りを爆発させるという、何かそうした悪循環がマクフィールド家には生まれつつあった。

 だから、イーサンが四月の中ごろに「一週間くらいマリーおねえさんと留守にする」と言った時、ココはそのことにも反対した。

「なんでよ!?ロンシュタットにおじいちゃんのお墓参りに行くっていうんなら、わたしも行くし、ロンだって行くでしょ!?」

「あ~、いや、ぼくはべつにって感じ。っていうか、もうセブンゲート・クリスチャン・スクールの試験までに二か月くらいだからね。今は何より勉強しないと……」

 ロンは結局、兄のイーサン言うところのブタ公……いや、ランディが毎週色艶のいい顔色をして戻ってくるのを見、自分もランディと同じ学校へ行きたいと思うようになっていたのである。今のロンの成績なら、なんとかセント・オーディアを狙えるのではないかと先生には言われたが、そんな遠い場所で寮生活を送るよりも、実家から近い私立校に通えるほうがいいと思うようになっていた。

 幸い、このことには兄のイーサンも賛成してくれており、今ロンは自分が心から入りたいと思っている私学校へ入るため、猛勉強しているところだった。何分、セブンゲートには兄のランディだけでなくネイサンもいるし、それにケイレブ・スミスもセブンゲート・クリスチャン・スクールを受験するのだ。

「まあ、留守の間はマグダが何かと面倒を見てくれるはずだから、心配するな。それと、ココはミミの面倒をよく見てやれよ。おまえのほうがお姉さんなんだから」

 ここでココはカチンとくるあまり、ダイニングから出ていった。兄のイーサンはもう、自分のことはそんなに大事じゃなくなったのだとそう思ったし、自分がいなくてもマリーおねえさんとミミがいれば……もし仮に自分がいなくなってもどうでもいいんじゃないかと思いさえした。

 実際、ココはベッドの中で泣きながら、家出の計画を立ててもみたが、それはやはり奥の手だった。とりあえず、暫くは引き続きダイエットをしていることにして、おねえさんのことを困らせてやろう。ミミは近ごろ、朝ごはんは一切食べずに学校へ行くことにしている。休み時間などに少しパンを齧ったりしているので何も問題ないのだが、マリーおねえさんは毎日飽きもせずに「パンひとつくらい食べないと……」と言ったり、小腹がすいた時用の何かを持たせてくれようとした。後者については受け取ることにしていたが、それは少しくらい食べてあとは友達か犬にでもやってココは帰ってくるのだった。

 ココのこうした態度を見るにつけ、マリーは心配して気を揉むのだが、イーサンに至っては「放っておけ」としか言わない。ココは自分が何をどうすれば、最愛の兄の関心が以前ように自分に戻ってくるのかがさっぱりわからなかったのである。

 恋は盲目とよく言うが、確かにイーサンの目には今、マリーのことしか映っていないところがあるのだろう。そしてミミは妹というよりも、自分とマリーとの間に出来た子供であるようにイーサンは可愛かったし、そういう意味ではランディとロンは弟であり、ココはやはりイーサンの中では妹という位置づけだった。もっとも、これは何もココよりもミミのほうがイーサンにとって可愛いということを意味してはいない。イーサンにとってランディよりもロンのほうが成績が良いからより可愛いとか、そうしたことがないように――ココのことはココのことでもちろん可愛いのだ。何より、四人弟妹の中で彼女が自分に一番よく似ており、性格的な傾向も似ていることから、イーサンにはココのことがよくわかる。

 けれど、自分と似ていて気持ちがわかるというのは、ある部分において自分と同化してしまいやすいのかもしれない。マリーはこのことで気を揉んでいたが、やはりロンシュタット行きを彼女も変えようとはしなかった。何故かといえば、イーサンが旅行のことを持ちだす前日、マリーは夢を見ていた。ケネス・マクフィールドがお葬式の時に棺に納められた時そのままの格好で、「イーサンと結婚する前に、ふたりで自分に会いに来なさい」と言ったのだ。ケネスは半身不随になってからは、ずっと車椅子で移動していたはずなのだが、夢の中では二本足で普通に歩いていた。

 目が覚めた時、マリーは(必ずロンシュタットへ行かなくちゃ……!!)とそう思っていた。夢の中に出てきたケネス・マクフィールドは生前の人物と同一人物というより、神聖な霊がその身内に宿っているといった印象で、何かある種天的な強い印象をマリーに与えていたからである。

 だが、このことをマリーは自分の心の内に秘めておいて、イーサンには何も言わなかった。また、もしそうしたことでもなかったとしたら、マリーは「一週間ほど旅行へ行きたい」というイーサンに、同意しなかったかもしれない。ランディはセブンゲート・クリスチャン・スクールでうまくやっているとわかっているため安心だったが、ロンは受験を控えているし、ココは反抗的であり、ミミのことも当然マリーは心配だったからである。

 けれど、夢のことが気にかかっていたため、マリーは「もし何かあったらすぐ戻ってきますからね」と言い残し、イーサンとふたり、彼の車の運転でロンシュタット湖水地方へと向かった。天候はとても良く、春のうららかな陽気の中を、ふたりは三時間ほどのドライブを楽しみつつ進んだ。土曜日の夕方、神秘的な青い湖を見渡せる、ロンシュタット湖水ホテルへ到着し、そこの最上階のスイートルームでふたりは過ごした。

 そして翌日は、ロンシュタットリハビリセンター内にある礼拝堂のほうで主日礼拝を守った。礼拝堂の中は施設内の入居者たちや職員で溢れており、かつての同僚たちにマリーは「ケネスさんのお墓参りに来たの」と話していたようである。また、彼女の隣にいるイーサンの態度がいかにも紳士的で優しげだったため、マリーはおそらく転がりこんだ先の金持ちの屋敷でうまくやっているのだろうと誰もが思ったかもしれない。

 というのも、大富豪の資産の一部を遺産として残してもらったというのは、ここの施設がはじまって以来マリーが初めてということもなく、中には自分が死ぬ直前に遺書を書き換え、よく面倒を見てくれた職員に全財産を残し――裁判沙汰になったことも過去にはあったからである。

 イーサンはこの日、いつも惰性で礼拝を守っているようにではなく、珍しく威儀を正して牧師の説教を聞いていた。説教のお題は「いつまでも残るもの」というもので、読まれた聖書箇所はコリント人への手紙、第三章10~17節、

 >>私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。
 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについては、それぞれが注意しなければなりません。
 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
 もし、誰かがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。
 もし誰かの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
 もし誰かの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は火の中をくぐるようにして助かります。
 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
 もし、誰かが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。


 というところだった。正直なところを言って、イーサンは特にサミー・ライアス牧師の有り難いお話に感動するということはなかったものの……説教の要旨のほうをある程度まとめると、「金、銀、宝石、木、草、わら」のうち、「金、銀、宝石」というのは、神の御前に永遠に価値ある働きのことで、「木・草・わら」というのは神の御前に覚えられることなくやがては滅びる価値のない働きということだった。

 つまり、この場合の火とは、キリスト教徒を試みる、精錬のための火ということであり、火=試練を通して永遠に残るもののために各人は働くべきだとライアス牧師は語っていた。もちろん価値のないもの――「木や草やわら」のために無駄に労した信徒たちのためにも、神はその深い哀れみの気持ちから救ってはくださるだろう。だが、天の御国で真に栄誉を受けたいのであれば、「金や銀や宝石」などの、永遠に価値あるもののために各人は働くべきである……とライアス牧師は例え話とともに説いていた。

 実際のところ、これはイーサンにとって少し耳の痛い説教と言えないこともない。何分、大学院を卒業後、イーサンは暫くの間はマリーとの新婚生活を楽しむ予定でいる。だが、ある意味そうした個人の楽しみを優先するよりも、それほど資産があるのであれば、むしろ他者のためにこそ財を投げ打ち、全体の公益のために尽くすべきだ……と、そう暗に語られている気がして、イーサンはうんざりしていたのである。

 もちろん、これはイーサンの勝手な説教の聞き手としての受け止めであって、マリーはまったく別の意味があるように受け取ったようではある。もっとも、そのことをイーサンがマリーから聞いたのは、ホテルの部屋のほうへ戻ってきてからのことだった。この時は礼拝のほうが奏楽とともに終わると、マリーはライアス牧師に挨拶しにいき、そのあとイーサンとふたり、ケネス・マクフィールドの墓のほうへと向かった。

「懐かしいな。おまえ、覚えてるか?俺はあの時、親父が死んだなんて聞いても、少しも悲しんでなんかいなかった。とっととこの面倒な葬式とやらを済ませて、ガキどもを連れて帰ろうとしか思ってなかったんだ。だけど、あの時マリー、あんたが……」

「もちろん、最初から快く受け容れてもらえるだなんて思ってませんでした。でも、あれからもう二年……今年の六月が巡ってきたら三年っていうことになるんですね」

 イーサンはなんだか不思議だった。初めて会った時には「うさんくさい」としか思わなかった女と、今はもうすっかり結ばれて自分は結婚までしようとしているのだから。

「ランディとロンの奴、親父の墓のそばでバッタなんか捕まえようとしてたっけな」

「そうそう。でもなかなか捕まえられなくて、そしたらイーサン、あなたが一匹だけ捕まえてくれたんですよね。でもそれがびょーんと跳んで、ブローチみたいにココちゃんの胸のあたりにとまって……」

 ふたりはここで、お互いに顔を見合わせてくすくす笑った。

「そのあと、俺はあのままとっとと帰りたかったってのに、ちょうど折よく馬の奴がやって来たもんだから、あの駄馬の引く馬車に乗らざるをえなかったんだよな。それから幸福の鐘の丘だかいうところへ行って、温泉街の土産物屋でガキどもがなんかくだらないものを買って……駅の中にあるレストランでメシ食って帰ってきたんだっけ」

「そうでしたね。わたし、正直いってあなただけじゃなく、子供たちがどういう反応をするかって、とても心配してたんですけど……」

「そうだなあ。だが、実際はあんたがうちに来ることを疑問に感じてたのは俺だけであって、子供たちはマリーがうちに来てもなんかフツーの反応だったよな。たぶんあれはさ、あいつらもどんな女の人が来てもああだったってことじゃなくて……おまえがさ、あんまり善良で優しそうな雰囲気だったから、それで無条件で受け容れたんじゃないかって、そんな気がするな」

「そうでしょうか……」

 マリーは照れたように赤くなると、墓前に白い百合の花を供え、イーサンは酒好きだった父のためにウィスキーのシングルモルトを置くことにしていた。

「まあ、そういうわけでな、親父よ」と、イーサンは二度と来ることもないだろうと思っていた父の墓前で、報告した。「あんたがマリーをうちに寄こしてくれたお陰で、うちはかなりのところうまくいってるんだ。そのことも感謝してるし、生前は恨んでたあんたのことを俺がいまやすっかり赦してるのも、言ってみればマリーのお陰だ。で、あんたがどの程度このことを予測してたかは知らないけど……俺はあんたの元妻と結婚することにした。だけど、べつにそのことをどうとも思わないだろ?マリーとあんたの間にはとどのつまるところ、何もなかったわけだし」

 イーサンは本当に、いつかこんな穏やかな気持ちで自分の父に語りかけられる日がやって来るとは思っていなかった。そして隣にいるマリーの手を握って言った。

「マリーのことは、必ず幸せにする。だからあんたは天国でこれからもぐっすり眠っててくれ」

「ケネスさん、わたしにあの家を残してくださって、本当にありがとうございました。それに、家という入れ物だけじゃなく、家族のことも……わたしに家族がないと知った時、あなたが『じゃあ、俺のをやろう』と言った時には驚きましたけど、ランディは今クリスチャン校のとてもいい学校に在籍していますし、ロンもおそらくは今年無事合格して同じ学校に入れると思います。ココちゃんもミミちゃんも、毎日元気に小学校に通っていますし……これからも、わたしとイーサンで、あの温かい、優しい家庭を守っていきたいと思います。だから、どうか見守っていてくださいね」

 ――こうして、イーサンとマリーはふたりが結ばれる原因を作ったともいえるケネス・マクフィールドに感謝とともに報告を済ませ、手を繋ぎながら坂道を下りてゆき、そのあと馬車に乗って幸福の鐘の鳴る丘のほうへ向かった。実をいうと、マリーの希望でイーサンはここへやって来るまでも例の馬車に乗ってきていたのだ。

 ところが、ロンシュタット駅の出発場のほうまで行ってみると、例の年取った駄馬も、古ぼけたような幌馬車もなく、またあの田舎者の御者も存在していなかった。かわりに、マタドールのような格好をした洗練された雰囲気の御者と、シンデレラでも乗りそうな凝った装飾の馬車、それに若々しい青みがかった灰色の二頭の馬が、この馬車を引いていたのだった。

 ちなみに、利用料金のほうも若干ながら値上がりしており、かつては十ドルで乗れたのが、十五ドルになっていた(正確には、大人十五ドル、子供十ドルといったところである)。イーサンはこのかつてよりグレードアップした馬車を見ると、思わず口笛を吹いていたものである。そして、後ろの座席は結構な広さがあったにも関わらず、御者台の真後ろの席にマリーと座ると、二十代くらいに見える御者の青年に話しかけていた。

「前にここへ来た時、馬車はもっと田舎くさかったし、御者は訛りがひどかったし、馬はもう今にも死にそうな感じの老馬だったんだがな。なんで今こういうことになってるんだ?もしやあの御者のじいさんとあの馬が同時に死ぬかなんかしたのか?」

「さあ……ぼくも詳しいことは存知あげないのですが、なんでもロンシュタット観光局のほうに苦情の電話があったそうなんですよ。やっぱり、馬車のほうが古ぼけていて衛生的でないように見えるとか、御者が何を言ってるのかわからないとか、あんな老馬に仕事をさせるだなんて可哀想だとか、色々。そんなわけで、観光局でもロンシュタット湖水地方全体のイメージにも関わることだからということで、今のこのような形になったようですよ」

「へええ。なるほどな」

 イーサンはそう言いながら、少しばかり不謹慎にくっくと喉の奥で笑っていた。なんといったらいいのだろう、ロンシュタット観光局のいかにもなお役所仕事がなんとなくおかしかったのである。もちろん、イーサンにしてもあの御者の年寄りが、この馬車で稼ぐお金を生活の糧として当てにしていたとかいうことだったら、心から気の毒に感じる。だが、おそらくは老後の小遣い稼ぎといったところではなかったかという気がするので、それで遠慮なく笑っていた。

 そして、朝会った時と同じマタドールの青年に再び会うと、イーサンはなんとはなし、朝座ったのと同じ座席に座った。後ろの席のほうは約三分の一ほどが埋まっており、六人ほどの老若男女と子供がひとりいた。やがて、<幸福の鐘鳴る丘>という場所へ馬車が入っていくと、チェリーブロッサムの白い花が満開で、とても綺麗だった。

 他にいた七名ほどの乗客たちは真っ直ぐ幸福の鐘鳴る丘のほうへ向かっていったが、マリーは暫くその白い花の美しい景色に見入ってから、イーサンと一緒にそちらへ歩いていこうとした。

「あんた、こういうの好きだもんな」

「え、ええ……」

 実をいうとマクフィールド家の庭は、これから少しずつ五年くらいかけて整備するつもりでマリーはいた。おそらく、ランディに続いてロンもセブンゲート・クリスチャン・スクールに入ってしまった場合――今以上にマリーは手が空くということになるだろう。そうしたら庭のほうを五ヵ年計画で少しずつ変えていこうと考えていたのである。

「あ、あのう……」

<幸福の鐘鳴る丘>には行列が出来ており、イーサンが肩を竦め、「これ、並ぶか?」と半ば呆れた顔をしていた時のことだった。

 幸福の鐘のある斜め前のほうには白塗りのチャペルを思わせる建物があり、この建物内には湖を眺められるレストランや、ロンシュタット湖水地方の歴史について展示された部屋、他に結婚式を行う式場などがある。そこから、館内案内をしている案内人が出てくると、おそるおそるといった様子でマリーとイーサンに声をかけたのだった。

 館内の案内人であるケビン・クレイグは、執事のような格好をした六十台の紳士で、髪のほうはすっかり白くなっていたが、燕尾服姿で恭しく礼をしていた。

「おふたりは、恋人同士ですか?」

「ええ、まあ」と、入館料の2ドルをふたり合わせて4ドル支払うべく、イーサンは財布からお金を出しながら言った。「それが何か?」

「もし良かったらなんですがね、これからちょっとデモンストレーションとして、結婚式を挙げるカップルを捜しておったところなんですよ。『幸福の丘で幸福な結婚式を挙げようキャンペーン』というのを、ここでは観光シーズン中ずっとやっておりまして……このチャペルの入口のところから」

 そう言って館内案内人は、天辺のところに十字架の描かれた茶色いドアを指差した。

「花嫁、花婿にはあちらの幸福の丘に向かって歩いていってもらってですな、そこでリンゴーンと幸せそうに鐘を鳴らしていただきたいのですよ。その姿を見て、鐘を鳴らすべく行列を作っているカップルの中には、ここで結婚式を挙げたいと思う人が出てくるかもしれませんし、何より、みんながその様子を見て幸せになってくれることがこの場所のイメージアップに繋がるものですから……」

 イーサンはこの時、(どうする?)というようにマリーのほうを振り返っていた。

「あ、あの……もしわたしたちで本当によろしければ……」

 途端、館内案内人の顔はパッと輝いていた。実はマリーとイーサンに声をかける前に、二組ほどのカップルに断られていたのだ。「そんな恥かしいことしたくない」とか、「ようするにさらしものになれってこと?」などなど、断られる理由は様々だった。

「そうですか。ありがとうございます!そのかわり、このイベントが終わりましたら、レストランのほうでいくらでもお好きなものを召し上がってください。ではでは、早速こちらのほうへ……」

 このあと、イーサンとマリーはそれぞれ別室に通されて、イーサンはシルバーグレーの婚礼服を、マリーは長く裾を引く純白の花嫁衣裳を着て、礼拝堂のほうへ通された。礼拝堂と言っても、ここは通常、結婚式以外では使用されることのない場所ではあったのだが。

 まるでモデルのように髪型を整えられ、化粧もしたあとでイーサンとマリーは再びそこで出会い――イーサンは手に花束を持ったマリーがヴェールを上げると、思わず言葉を失った。プロのスタイリストがメイクを担当したせいもあってか、彼女はとても綺麗だった。マリーもまた、いつも以上にイーサンが立派に見えて、とてもドキドキした。

 どうやら、このイベントのほうは毎回手筈のほうが同一らしく、イーサンとマリーが館内案内人から軽くレクチャーを受け、チャペルから外へ出てみると、まずはブラスバンドの演奏がはじまった。また、館内の職員がほぼ総出で花びらをまく中をイーサンとマリーは幸福の鐘のほうへ向かい、そこに到着すると、ふたりで鐘を鳴り響かせるため、綱を大きく引っ張って鳴らした。

「実はわたし、ここへ来るの初めてなんです」

「そっか。俺も本来的にはこんな鐘ごときで幸せになるとは考えない質なんだがな。だけど、ふたりの門出の祝いとしては縁起がよくていいだろ」

(なんともマリーらしいな)と、イーサンはここでもそう思ったかもしれない。何故といって、ロンシュタットリハビリセンターからここまではそう遠くはない。だが、自分が幸せになったりすることよりも、他人の世話に明け暮れていて、わざわざ鐘を鳴らすために行列に並ぼうなどとは考えてみたこともなかったのだろう。

 なんにしても、イーサンとマリーは幸福の鐘を鳴らすために並んでいた人々から「おめでとう!」とか「お幸せに!」と声をかけてもらいつつ、再びチャペルの控え室のほうへ戻り――そこで衣装を脱いだあとは元着ていた服を着直し、レストランの個室で特別なサービスを受けながら美味しい食事の数々を堪能した。そしてデザートを終えてレストランを出たあとは、二階の展望室からロンシュタット湖の美しく澄んだ青い湖面を眺めてホテルのほうへ戻ってきたのだった。

 その翌日には、テニスをしたり乗馬をしたり、映画を見にいったりと、イーサンはそれまでマリーとなかなか出来なかったデートらしいことをし、もちろん夜には毎日愛しあった。こうして、ささやかばかりの小さな旅行を終えてふたりはユトレイシアの屋敷のほうへ戻ってきたのだったが……あとになってから、イーサンはこの一週間ばかりにあった出来事のすべてを、何度も何度も繰り返し思い返すということになる。



 >>続く。





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