こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

海のアリア。-【2】-

2021年10月14日 | 日記

(※萩尾望都先生の漫画『海のアリア』のネタばれ☆がありますので、念のため御注意くださいませm(_ _)m)

 

 モーツァルトの曲を聴いていて――こんなに聖潔で美しいのに、同時に悲しくて切ない……そんな感情をいっぺんに経験される方はきっと多いのではないでしょうか。

 

 

 >>「ベリンモンはプレーヤーにとっては、奇跡の楽器だ。自分の情操を最大限に引き出す、最高の演奏ができる――それは時空をこえた体感だ。説明できない……聞かないとわからない。このピアノも美しい楽器だが、ベリンモンにふれて生じる音楽とは……次元が、感応度が、まったくちがう」

 

 

 そう、アリアドは語っています。

 

 つまり、地球的な言い方(?)をするとしたら、モーツァルトやベートーヴェンやブラームスやワーグナーやバッハや……そのすべてを合わせた以上の、そんなコンサートを宇宙で開けるということなのでしょう

 

 ですから、自分と共鳴したその<楽器>を落雷によって消失してしまった……そのことがわかった時のアリアドのショックは、並のものでなかったと思うんですよね

 

 それはたとえていうなら、プロのヴァイオリニストの方がストラディヴァリウスをなんらかの事故で失ってしまうような悲劇であり……永遠の自分の伴侶と信じた友人と恋人を、ふたりいっぺんに失ってしまうかのような喪失体験だったのではないでしょうか。

 

 その一度は失われたと思ったベリンモンが、音羽アベルという人間に入り込んだことによって<再生>した――そのことがわかった時、アリアドは魂が震えるほど嬉しく、きっと「ただひとり生きていた肉親が実は生きていた」時のように涙を流したのではないかと想像されます。

 

 実は『海のアリア』の第2巻のエッセイは清水玲子先生()が執筆されており、>>『海のアリア』ではまんがからは決して出ることのない音楽を絵で表現している(なんてチャレンジャーなんだ、萩尾先生)。とあります。

 

 これはあくまでわたしの想像ですが、プレーヤーと楽器ベリンモンの共鳴による演奏というのは――たとえばわたしがあるオペラのアリアを聴いていて、全身の毛穴がすべて開いたかというくらい、ゾクゾクするような感覚をも超えた……自分的にあまり、ここにセックスとかいう言葉を使いたくないものの、肉体的なセックスをも超えた、魂の共鳴作用……ソウル・セックスとか書くのもなんかアレ(ドレ☆)なのですけど、ようするにそうしたものの最上級の天上の音楽とも言うべき何かなのでしょう。

 

 さて、ここからは例によってわたし個人の妄想です(^^;)

 

『メッシュ』の第1巻の解説に、大体のところ要約すると、『メッシュ』という過渡期を経て、その約十年後、『海のアリア』の高みに結びつく……といったように書いてあったので、『メッシュ』を高く評価しているわたしとしては、非常に期待しつつ『海のアリア』を読みはじめたのですが――わたしの中では、この時期の萩尾先生の「高み」と感じる作品はなんといっても『マージナル』なのです。

 

『海のアリア』が低い作品とはまったく思いませんが、清水玲子先生が第2巻の解説に>>「ところでこの作品『海のアリア』は、萩尾作品の中ではどちらかというと軽いノリの(SFというよりはスペースオペラ風)作品である。この作品の前に本格SF『マージナル』があって……」とあるように、わたしも、『マージナル』が本格SFであったとすれば(いえ、事実間違いなく本格SFです・笑)、『海のアリア』は割と軽めのSFと思うんですよね(^^;)。

 

 そして、自分的に思うに――作品全体を通して「軽めのSFを萩尾先生が楽しみつつ描いている」という中、わたし自身は例のダリダンを食い尽くし、アリアドのことも半分食べたジョングと呼ばれる赤いヒトデのような気味の悪い生物が出てくるところだけ……妙にリアルだと思って読んでいました。

 

 もちろん、記憶喪失になる前まで「優等生のいい子」だったアベルが、完璧を息子に期待する父親に反抗する場面なども非常にリアルであると同時に痛快だったりするわけですけど……そろそろ物語がクライマックスを迎え、終わりへ進まなければならないという中、このくらい強いインパクトと悲劇性のある<事件>というのは確かに間違いなく必要ではあります。

 

 たぶん、わたしが『海のアリア』の中で自分的に好きだったり気になったり記憶に残った順位を上げたとすれば……1.音羽アベル、2.アリアド・ディデキャンド、3.ジョング、4.花敷日奈、5.リリド……といったところかもしれません(作品のヒロインのようなふたりよりも、上にくるジョング・笑)。

 

 確かに、ナイト・メアは原始惑星ですから、このくらい得体の知れない生物がいたり、危険な場所であることは間違いないとはいえ、物凄い美貌の持ち主で、誰からも好かれる性格だったというダリダンの肉も骨も食い尽くしたというこのジョングのエピソードは、萩尾先生にしては珍しく「うまくいかなかったエピソード」だったのではないかと、そんなふうに感じるんですよね(^^;)

 

 この二年くらい前に『マージナル』という素晴らしい作品があって、その中で主人公のキラは超能力を全解放し、地球とひとつになって世界を救うわけですが……ナイト・メアという原始惑星の生贄となったダリダンは、一体この星にとってどのような意味を持っていたのか。自分的にはそのあたりがよくわかりませんでしたし、そんなに美形でみんなからも好かれていたのにそんなひどい形で死んじゃって可哀想☆という、ただそれだけだったようにしか思えなかったのです。。。

 

 ところで、『海のアリア』が連載されていたのはASUKAで、この頃たぶん竹宮先生もASUKAで『スパニッシュ・ハーレム』を連載されてたんじゃないかな……なんて思うんですよね。

 

 まあもう、例の大泉問題から、十数年もの時が経ち、萩尾先生も雑誌などで竹宮先生のお名前を見たりしても、大丈夫みたいになっておられたかもしれません(相変わらず、雑誌が送られてきても竹宮先生のところだけ読まなかったとしても^^;)。

 

 それで――これは『きみは美しい瞳』に続く、ただのわたしの妄想なのですが、アリアドの封印したかった記憶=萩尾先生にとっての竹宮先生や増山法恵さんとの問題……みたいにも、読めないことはないのかなと思ったり。。。

 

 あ、わたし『海のアリア』に関しても、「そういう読み方をしなきゃいけないほどかねえ(^^;)」とは思っていて、もし仮に無意識のどこかにそうしたことがあったにせよ、心の傷としては相当癒されている……といった印象でもあるわけです。どうでしょうね。こうした言い方はおそらく間違っているのでしょうが、「竹宮惠子?もうわたしの敵ではないし、脅威でもなんでもないわ」というくらい、傷が癒されている――という感じだったらいいな、なんて思ったりするわけです。

 

 ええと、悲劇的な死に方をする割に、ダリダンって萩尾先生の描く人物としては、肉付けが珍しく相当薄いです。物凄い美形で、誰からも愛されるような人物だった……でも、自分的には読んでいて「え?たったそんだけ?」と思ったと言いますか。

 

 しかも、ジョングなんていう相当気味の悪い生物に、肉も骨も食い尽くされて死ぬ――萩尾先生の過去の傷に照らしていえば、このダリダン=竹宮先生だとすれば、「相当陰湿に恨んでいたのだろうね」ということになるのかもしれませんが、わたし的には全然そういう読みではなくて。。。

 

 萩尾先生は竹宮先生にも増山さんに対しても、恨みのようなものはほとんどないか、極めて薄いものです。これはどうも、作品的な精神分析的なものからいっても、本当にそうだと思う(by『十年目の鞠絵』)。ただ、「どうしてあのままの三人でいられなかったのか」という、答えのでない問いに苦しめられた、悩まれた……ということであって、恨みとか、そういうことでは全然ない――というのが、個人的にわたしが勝手にそう読み取っていることです。

 

「でもあんた今、ダリダン=竹宮先生で、それをジョングなんていう気味の悪い生物に食わせたって言ったじゃん!」となると思うのですが、あれはあくまでアリアドの精神世界で起きてることなんですよね。確かに、そんなひどい形でダリダンが死んだのは事実でも――おそらくもう、竹宮先生は記憶の残骸というくらい、実体が薄れてきていて、そうした自分にとって「あっても苦しみを感じるだけの記憶」をジョングが群がってすべて食べた……さらにはそれは、アベルの歌うレクイエムによって浄化され、癒された……これは心の癒しの過程、そういうことなのではないかと、自分的には思ったというか。

 

 あるいは、竹宮先生云々ということでなくても、長く生きていれば誰にしても「ジョングにでも食い尽くされてしまえ!」というくらい憎しみを抱いた人間がひとりかふたりはいるものと思いますし、ジョングに食い尽くして欲しいような記憶など、おそらくたくさんあるのではないでしょうか。

 

 また、人にはダリダンの死のように、「何故そうなったか、そんなひどいことが起きたのか」まったく理解できないことが起きるというのも世の常というものと思うんですよね。

 

 そして、最終的なまとめとしては――ベリンモンが落雷によって破壊され、中身が漂いでて音羽アベルを容れ物とすることになったことが、<運命>だったとは思いませんが(これでいくと、ダリダンが悲惨な死に方をしたことも<運命>になってしまう)、結果としてそうなったことにより……アリアドにとって一番良い結果が生まれたのではないか、と思ったりもします。

 

 友達のいない暗い奴と思われていたアリアドですが、ベリンモンがもし落雷に遭っていなかったとすれば、彼は己の記憶の封印ゆえにベリンモンと共鳴することが出来ないことで悩んだでしょうし、ベリンモンがアベルという人型の楽器になったからこそ、思い出したくなかった記憶を解放し、アベルゆえに癒されることが出来たのだと思うので……そして、アベルがただの楽器でなく、人型であるゆえに、彼は最高のパートナーにして相談相手、友人でもあり続けてくれるのではないでしょうか

 

 とりとめもなく色々書いてきましたが、次回の感想はたぶん『ゴールデン・ライラック』です♪

 

 それではまた~!!

 

 

 

 

 


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