(※竹宮惠子先生の漫画『イズァローン伝説』のネタばれ☆がありますので、念のため御注意くださいませm(_ _)m)
あの~、そのう……わたしもうあんまり竹宮先生の作品を批判したりしたくないっていうのがありまして……でも、やっぱり『イズァローン伝説』の最後のほうの展開っていうのは「そっか。他のレビュアーの方が批判してたのはこのことか」という、そうした展開によって終わっていたと思います
わたし自身はあくまで、萩尾先生のことに関連して竹宮先生の作品も読んでいる……といった感じなので、他の方がブログで批判しているような深い愛情がそもそもないんですよね(^^;)
ゆえに、他のレビュアーの方が激しく批判してるのは、物語に対して共感し、登場人物たちにも心を寄せていればこその愛ある怒りといっていいと思います
う゛~ん。どこから何を書けばいいやら……物語のどこからだったかは忘れましたが、わたしもかなり最後の巻に近いあたりで、「ああ、これはたぶん駄目な展開になるな」とは、予想してました。何故かというと、主人公であるティオキアに取り憑いている『魔』なるものが、力としてあまりに強大すぎて、これはどういう展開に引っ張っていこうとも、よほどうまい秘策が作者さんにない限り、物語をまとめることは絶対的に難しいと思ったからです。
一応前回【1】のところでは、イズァローン王国の前王の遺言あたりのことまで書いた気がするので、一応そこから以後のことを、割とテキトーに飛ばす感じで書いてみますか(^^;)
まず、『イズァローン伝説』の中で、わたし自身が一読者として一番高く評価するのが、ルキシュが王として徹底して孤独だ……という、その点かもしれません。あと、彼が妃として娶ったフレイアと結婚したにも関わらず、なかなか結ばれない点(笑)。
普通、~~国の王、ということになったら、王さまとしてなんでもやりたい放題……みたいにも出来る気がしますが(愚王誕生☆)、まだ若いせいもあってルキシュは純粋で、理想に燃えているところもありますし、「いい王さまになろう」、「善政を施こう」みたいに思ってるにも関わらず、ちょっと失敗すれば大臣方がうるさかったり、女官たちがヒソヒソ噂するのが耳に入ってきたり――ルキシュは「気にしぃ」というほど繊細でもなく、王として豪胆な部分も持ち合わせてると思いますが、周囲に「絶対的に信頼できる」人間が誰もいないわけです。
そんな中、政略結婚するわけですが、その相手がもともと好意を覚えたことのあるフレイアだったことから、喜ぶのも束の間……彼女は公の場に出ている時は王妃らしく振舞いつつも、他では決してルキシュに心を開こうとしません。それもそのはずで、フレイアは出身の金の谷のほうで愛しあっている恋人がいたにも関わらず、彼と無理やり引き離されてのイズァローン王との婚姻だったからなのでした
その後、だんだんに距離も縮まるふたりではありましたが、前王の遺書には、ティオキアが男になれば王、女になった場合も王妃に……とあり、そのことでもルキシュは傷つきます。お話の展開としては、そんな孤独な王も、いずれフレイアと心から愛しあうようになるだろう――といった雰囲気だったにも関わらず、今度はフレイアの元恋人のアスナベル・レムという男が登場。
しかも、ルキシュのほうでは彼がフレイアの元恋人とも知らず、剣にも弓にも知識にも、その他人間的にも周囲から慕われる性格の彼を、七王騎士のリーダーとして取り立てます。ルキシュもまたアスナベルのことを心から信頼し、王と臣下という立場でありつつ、友人のようにつきあうようになるわけですが……言うまでもなく、その後フレイアとアスナベルの関係にルキシュは気づき、猜疑心と嫉妬心に苦しむようになっていくという。。。
このあたりのルキシュの徹底した孤独っぷりは、「竹宮先生もサドだなあ」というくらい、とにかく見事です。また、読者のほうでもルキシュに強く共感しているはずなので、おそらく主人公のティオキアよりも「わたしはルキシュのほうが好きっ!」という方はたくさんいるに違いない、なんて思います(何より美形・笑)。
物語はこちらのルキシュ・フレイアメインの、イズァローン王宮のお話と、諸国さすらい中のティオキアサイドのお話とが交互に進んでいくような形で、最終的にこのふたつの物語がひとつになって終わる……が、そのあたりが途中からうまくいってない……かな……悪く書きたいわけじゃないけど、どう考えてもやっぱり、うまく弁解することは出来ない……みたいな感じで終わります
ええと、今度は主人公ティオキアサイドの旅の模様ですが、彼はイシュカの庭にある古代の地下神殿にて、魔のものに取り憑かれてしまうんですよね。その後、気弱で優しかった彼にはもうひとつの人格が誕生し、そちらのもうひとりのティオキアは決断が早くて残酷だったりします。ティオキアはこのふたつの自分の人格を統合することにも成功したと思うのですが、それ以上に彼を支配する『魔』のものの力が強大すぎ……そちらの魔の力を抑えきることが出来ず、苦悩し続けるわけです。
もしティオキアが主人公であるにも関わらず、人気が今ひとつだったとすれば、読者が読んでいて時々イライラさえするうじうじ感が彼にはつき纏っているせいかもしれません(この点を指摘する方はたぶん多いはず^^;)。
ティオキアはこの魔王の力を封じ込めるべく、七つの護身具(剣や王冠や盾や錫その他)を集めますが、それらを身につけていてさえ、魔王の力を封じることは出来ないらしく(設定合ってますよね?笑)、彼の優しい人柄や温厚な性格を信じてずっとついてきた学士のカウス・レーゼン、下級騎士ユーディカ、その弟タズト、導師のルーン・ヒオドらも、その最強無敵としか思えない魔王の力に、次第に恐れを抱くようになっていきます。
で、ですね。この魔の力がどっからやって来たかっていうのが、自分的に結構微妙かな……と思ってましてwwう゛~ん。広い樹海には五百年くらい前に滅んだと言われる地下世界へと通じる神殿がいくつかありまして、ルーン・ヒオドはその時に魔を封じたという八人の導師の末裔ということなんですよね。それで、この地下世界では相当文明が発達していたらしいのですが、猫のような目をした表面は善人に見える宇宙人がやって来て交流した結果、彼らにくっついてやって来た『魔』に、地球人たちは次第にやられるようになっていき、戦いや争いが起きた結果、この『魔』の力を八人の導師たちは封じた――といったようなことらしく。。。
「え?急に一体何その設定……?」みたいに思われたのは、わたしだけではないと思います、たぶん(^^;)。ええと、だからそのですね……このあたりまで読んでくると大体、「『イズァローン伝説』は、こりゃもう駄目展開で終わりそうだ」と予感する読者の方というのは、結構多いのではないかと思うわけです
この時代の流行りかどうかはわからないのですが――というか、60~70年代のSFに、そうした設定のものは割とあるんじゃないかなと思ってて。つまり、雑誌の「M△U」ではありませんけども、シュメール文明とかインカ文明とかエジプト文明とか、ああした神殿といったものは宇宙人が指示して造られたものだとし、もう一度彼ら(宇宙人☆)がやって来る時地球は滅ぶだろう……にも関わらず、神殿の謎を解こうとする考古学者なんかが封印っぽいもの解いちゃって、こうして地球最後の戦いがはじまる――的な、「そもそもそっとしとけ、そんなもの☆」的なヤツを、馬鹿なアホがうっかり解いたりしてしまうという……いえ、そのヴァカがティオキアだったとは思いませんし、人間として善であろうとする彼が魔の力と戦い、魔王の力に支配されまいとする姿は、健気ですらあると思います
とはいえ、ティオキアが自分の肉体を滅ぼし、魔王を封じるべく火刑に処される姿というのは痛々しくて見ていられませんし、結局のところラストのほうでティオキアは魔王の力を封じたまま自分のまわりを結界しているところで終わるわけです。
その~、物語としての整合性その他、「えーと、どうしてそうなるの?」的な感じで解決されない疑問も残り、読者は最後のほうかなりのとこ置いてけぼりにされ、「ポッカーン☆」として終わるという、『イズァローン伝説』は大体のところ、そうした作品でないかと思うんですよね(^^;)
自分的に思うに、唯一ある救いはルキシュとフレイアがアスナベルとの間にある誤解も越え、愛しあう恋人同士として結ばれる……そして、こちらの世界はティオキアの犠牲的行為によって救われたがゆえにこれからも続いてゆく――という、そうしたところでしょうか。。。
いえ、わたしがもし『イズァローン伝説』という物語に対し、1巻を読んだ時からかなりのところ共感し、面白いと思いながら読んでいたとしたら……最終巻の第8巻を壁に放り投げていた可能性もあります。でも、わたしの読み方はとにかく「萩尾先生ありき☆」ですので、特になんとも思わないと言いますか、なんというか(^^;)
まあ、この終わり方だと感想としてあまりにまとまり悪い気がするので(汗)、次の【3】あたりで書き残したことを軽くまとめて終わりにしたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!