こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

ぼくの大好きなソフィおばさん。-【21】-

2017年08月08日 | ぼくの大好きなソフィおばさん。
【春】フランツ・フォン・シュトゥック


 あ~、ごめんなさい

 前回の前文で、次回はソフィvsステラって書いたんですけど……それはさらにまた次回でしたm(_ _)m

 ええとですね、かなりどーでもいいことなんですけど、ユリアちゃんの源氏名(?)のステラ・マクファーソンっていう名前にはわたし、ちょっと思い入れがありまして……というのもこの「ぼくの大好きなソフィおばさん」のお話には前身(?)があるんですよね。

 そっちの話の時代背景は、大体18~19世紀くらいで、主人公の女の人(カミーユ)は貴族なんですけど、幼馴染みの同級生とどうしても結婚したかったものの、身分に差がありすぎることで両親から猛反対されるという(ありがち、ありがち☆笑)

 で、この幼馴染みの同級生は牧師としてインドとかそうした場所に宣教師として行ってしまうんですよね(彼がそう決断したのはカミーユを忘れるためでもあったというか)。

 ところがこの時――彼がインドへ赴任する前に急いでカミーユの親友と結婚してしまったことで、カミーユはものっそ傷つくという。。。

 何分、相手の赴任地がインドということで、その後の消息を知ることも容易ではなく(何分時代設定が18~19世紀なので^^;)

 カミーユはその後、両親がどんなにいい縁談を持ってきても断り続け、自分の初恋が破れたことを「何故!?」と思いながら哀しく暮らしていたところ……その約十年後、インドでかつての恋人と親友とが病いに倒れて死んだということを聞きます。

 そして、彼らのひとり息子フランシス(笑)が孤児として残されたと聞き、彼のことを引き取ることにするんですよね。

 まあ、このフランシスくんがアンドリュー(アンディ)の前身で、カミーユがまあソフィの前身ってことになるかと思います(笑)

 ただ、カミーユとソフィでは生い立ちや性格が180度違いますし、それはフランシスとアンディも一緒で、カミーユはフランシス君があんまりやんちゃなので、物凄く手を焼いて子育てすることになるという。。。

 けれど、彼女はこの過程ですっかり笑顔を取り戻します。また、かつての恋人と親友が残した手紙や日記などを読み、彼らがどのくらいこのことで苦しんだかなど、そうしたことをカミーユは知るということになるのでした

 カミーユの親友もまたずっと彼女の恋人のことが好きだったこと、カミーユの両親が娘と別れてくれと頼んだことなどなど……また、彼らふたりがそれぞれ自分のことを心底愛してくれていたこともわかり、カミーユはその頃にはただ、ふたりが建てた孤児院の業績のことを褒め称え、そこに自分の財を尽くすことに心を決めるのでした。。。

 んで、少年時代はやんちゃすぎてどうにも手のつけられなかったフランシス君ですが、その後寄宿学校へ入り、カミーユおばさんとは離ればなれに……で、この離れてる間にフランシス君はカミーユおばさんのことを一人の女性として見るようになっていくんですけど、ここはお話の設定一緒ですね(笑)

 そんで、フランシスくんはアンディと同じく9歳くらいで引き取られてるんですけど、その後、彼が寄宿学校に入る間にもカミーユおばさんは美人なので、何人か男の人が言い寄ってくるたびに、デートの邪魔をしたり色々裏工作をして徹底的に邪魔しているという(おばさんに寄ってくる虫は僕が排除しなきゃ!の精神・笑)

 そして、フランシスくんの通ってる寄宿学校では、週末など、ちょっと寮を抜けだしてこっそり街に繰り出すなんていうことがあったりして、フランシスくんもまたそうした悪友たちと一緒にそんなことをしてるうちに……ある時酔っ払って、ある女性と関係を持ってしまうという。。。

 で、その相手の女性の名前がステラ・マクファーソンなんです(^^;)

 いや、「だからそれがどーしたの?」って話ではあるんですけど、フランシスくんは何分酔ってたもので、相手とのことをよく覚えてなく……でも、ステラのほうではもちろん、前からフランシスくんのことが好きだったので、自分からそういう関係に持っていったというか。

 なので、「ごめん。僕、他に好きな人が……」とか言われても、「知ってるわ。あなた、カミーユっていう歳の離れた自分のおばさんのことが好きなんでしょ?」なんていう話をし――で、フランシスくんもこの時、カミーユおばさんが自分のことを小さい頃から知ってる「子供」としてしか認識してないっていうことで、アンディ同様悩んでいたんですよね。

 んで、ここでステラが一計を案じるというか。「自分のことを恋人として紹介すれば、そのおばさんもきっと、嫉妬ややきもちやそうしたものを焼いて、何か感情に変化が現れるに違いないわ」ってアドヴァイスするというか。

 まあ、こっからは↓のお話の続きにも関わることなので詳しく書けないんですけど、とにかくわたし、この子の名前はステラ・マクファーソンじゃなくちゃいけない……とこの頃から思ってたので、設定とか色々変えたこのお話の中でも似た役割を持つ彼女の名前はやっぱりステラ・マクファーソンということにしたわけです(^^;)

 もちろん、こっちのお話では源氏名なので、もっといかにも娼婦らしい名前とか、「わたしの名前はコーラルよ」とか、名字なしの名前だけでも全然いいとは思いつつ、まあそんな事情でこうなったわけです(・ω・) 。

 何やら、どーでもいい話が長くなりましたが、このお話のほうもだんだん佳境に差し掛かってきました。なので、あと数回……たぶん【30】前後で終わるんじゃないかな~と思ったりしていますm(_ _)m

 それではまた~!!



     ぼくの大好きなソフィおばさん。-【21】-

 アンディはヴァ二フェル町でこれまで過ごしたきたのとは別の、ソフィおばさん抜きの夏を楽しく過ごすと、フェザーライル校の五学年に進級した。

 四学年時は、アンソニーと同室だったせいもあり、アンディはあえて勉強に身を入れるでもなく、とにかく彼と心地好く過ごすことばかり優先してきたが、同室者が今度は典型的ガリ勉タイプのヘンリー・ワイルドになってみると、約二年後にあるユトレイシア大学受験ということが、流石にアンディの脳裏にちらつくようになってきた。

 アンディの壮大な人生計画にとって、ユトレイシア大に合格するということは、非常に大きな意味を持つことだった。何故といって、どの学部を希望するにせよ、そこに合格し優秀な成績で卒業出来さえすれば――国のエリート機関への就職の道が大きく開けるからである。

 アンディは何もこのことを、単に自分のためにのみ望んでいるのではなかった。将来的にソフィに何不自由ない暮らしをしてもらうためには、ユトレイシア大学を卒業したという肩書きを持っているということは、大きな武器になるだろうという、簡単にいえばそうしたことである。ソフィはアンディの父親と結婚したことで経済的には何不自由ない暮らしをしてきたし、セスという男も書いた小説が増刷され結構儲かっているようである。だがこの自分、アンドリュー・フィッシャーは今のところ何者でもなかった。

 父親から進学祝いにもらったブラックカードは、結局のところ親の金の所産であって、アンディ個人の資産ではない。それでももし、アンディと父親のバートランドが普通の親しい親子関係にあったとすれば、それを継承してもアンディにはなんのやましいところもないに違いなかった。けれど、父親の妻である義理の母親を略奪することを考えている身としては、彼が仮に全財産を息子に譲るなどと遺言状に書いたとしても、それを受け取るわけにはいかないような気がしていたのである。

 そこで、大富豪バートランド・フィッシャーの息子でなく、ただのアンドリュー・フィッシャー個人とアンディがなった場合、自分にはなんの資産もないということに彼は気づくわけだが、ただ自分という存在があるというだけでは、当然男としてソフィのことを幸せにしてやることは出来ない。少なくともユトランド共和国随一と言われる難関大学へ入学し、彼女がこれまでどおり何不自由なく余裕を持って好きなものを好きな時に買える環境を提供したかった。父親ほどの大富豪となることは無理でも、ハイクラスな階級の人々と社交上の集まりの場などで、ソフィが恋人を自慢に思えるくらいの社会的地位と名声くらいは最低でも必要だろうとアンディは考えていたのである。

 もっとも、実の父親が離婚したあとの妻とその息子が結ばれる――というのが、世間一般的にどのような形として受け容れられるものなのか、アンディはそのことについてはわからなかった。人から後ろ指を指され、蔑まれることなのか、それとも真実愛しあってさえいれば、許されうることなのか……いや、人の噂話など消し飛ばせるほどの何がしかの研究成果でも自分が出せれば良いのかもしれないとアンディは思いもする。

 といったようなわけで、アンディは五学年に進級して以降、ヘンリー・ワイルドのガリ勉振りに自分を合わせるように、再び勉学に身を捧げだした。アンソニーとはまた西階段の非常口横で打ち明け話をし、彼はとりあえず自分の頭脳でも楽に入れる三流校へ入り、そこでバンド活動に勤しむ予定だとのことだった(というのも、他の仲間たちも同じ大学を受験することになっていたからである)。

「おまえ、ステラのことはどーすんの?」

 もうすぐクリスマス休暇という十二月の薄ら寒い日のこと、制服の上に黒のコートを着込んだふたりは、並びあって話をした。夏場であれば、石造りの灰色の壁に背中をもたせかけられるが、冬場は冷気が壁から背に這ってくるため、アンディとアンソニーは蔓が一面にびっしりと伸びた壁の前で、時折足踏みをしながら煙草を吸っていた。

「どうって……僕はまだ年齢的には子供かもしれないけどさ、彼女との関係はなんていうか、いわゆる<大人の関係>っていうやつなんじゃないかな。ステラはプロの女性だし、そのあたりの線引きについてはわかってる気がする。第一彼女、僕が義理の母親のことを愛してるってこともよく知ってるよ」

「ふうん。なんか、娼婦クラブの女将から聞いた話じゃあ、彼女、おまえ以外の指名は受けないってことにしたんだってさ。俺が思うに向こうはアンディに本気なのさ。大体、おまえがあの継おっかさんと将来的にうまくいきそうな可能性は何パーセントくらいのもんだ?ステラのほうではさ、アンディがいつか胸破れた時におまえのことを自分が抱きしめられるかもって、そんなふうに思ってるかも知れないぜ」

「それは……」

 アンディは煙草を吸うのをやめ、しばし校舎の天辺にある尖塔やそこにぶら下がっている青銅の鐘に目を留めた。薄青い空にかかった雲を背景に、雁の群れがVの字に飛んでいくのをぼんやり眺めやる。

「でもアンソニー、なんでおまえはそう侮蔑的な厳しい言い方をするんだ?仮にもし僕がステラとつきあい続けたところで、何も問題はないだろう?第一、僕以外の指名は受けないっていうことが本当なら、実質的に彼女は娼婦ってわけじゃなくなるわけだし……」

「アンディ、おまえまさか『プリティ・ウーマン』みたいなことが本当にあると思ってるわけじゃないよな?俺が言いたいのはようするにこういうことだ。たとえば俺みたいのが娼婦の女性に惚れて電撃結婚しようが、そんなのは世間のほうでも納得するよ。あの父親にしてあのドラ息子ってな具合でな。けどおまえは違うだろ、アンディ?そりゃおまえの親父さんは女性関係にだらしない言うなれば成り上がり者かもしれない。十九世紀あたりで言えば、金で爵位を買ったみたいな感じのな。でもおまえは将来的に元娼婦の女性と結婚したりっていうようなタイプじゃないと思う。ようするに俺が言いたいのはさ、一時の情に流されて、ステラって子にあんまり入れ込むなよってこと。その代わりの金だのプレゼントだのはいくらでもやったらいいさ。けど、結婚とかなんとかってことはありえないってことを、それとなく匂わせておいたほうがいいぜ」

「……おまえ、なんか今日は随分シビアなことを言うな。いつもはちゃらんぽらんでおちゃらけてるくせに」

「ふん。俺は単にお人好しの親友のことを心配してるっていうそれだけだ。つーか、俺もおまえには期待してるんだぜ、アンディ。典型的サラブレッドのおまえが、将来的にどこまで上り詰めるのかとか、そんなことをさ」

「僕だっておまえには期待してるよ」と、アンディは笑いながら一服した。「King of the crowがいつか、全国ネットの音楽番組に出演する日のことをね」

 ――パブリックスクール時代、一番の親友であったこのアンソニー・ワイルと、アンディは卒業後、別々の道を辿ることになるわけだが、けれど彼らふたりの友情は<King of the crow>がメジャーになってヒット曲を飛ばすようになってからも、終生変わらず続くということになるのだった。

 アンディは学業に専念する傍ら、部活動のほうで息抜きをするということにし、水泳部の練習がひけてからも、暇さえあれば温水プールで泳ぎ、頭が真っ白にリセットされるまでとにかくひたすらに泳ぎ続けた。

 アンソニーという親友がおり、また他の学友たちとも関係がそれなりにうまくいっている反面、アンディは自分の人生を孤独だと感じていた。いくらプロの女性とはいえ、心の通いあえるものを持つ女性と体の関係を持てるくらいに性的にも成熟したといっていい。けれどアンディの心はやはり、ソフィとの関係が上手くいかなくなってからというもの、心に孤独という名のブラックホールが出来たままだった。

 アンディはこの孤独を束の間でも忘れるために、とにかく学業に専念し、何かに取り憑かれたようにひたすらプールで泳ぎ、また自習室で勉強しと、何かそんなことを繰り返してばかりいたかもしれない。

 そしてそんなある日のこと――アンディが透明な空が透けて見える温水プールで泳ぎ疲れ、あてどもない海原にぽっかりと遭難者が浮かんででもいるように呆けたままでいると、そこに制服姿のデイモン・アシュクロフトがなんの前触れもなく現れたのだった。

「やあ、フィッシャー。もしかして君、死んでるのかい?」

 誰もいない温水プールでは、人の話し声がよく響いた。アンディはまるで、陸地を見つけた遭難者の如き態で弱々しく泳いでアシュクロフトのほうへ向かった。彼が手を差し伸べてくれたのを、拒みはしなかった。

「まったく、君ときたらまるで、ギリシャ彫刻張りの美少年だね」

「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ、先輩」

 アンディは言葉に棘を含んだつもりはなかったが、デイモンのほうでは軽く首をひねり、彼の物言いをどうやら面白がっている様子だった。

「いや、実際そうじゃないか。筋骨逞しく水泳で鍛えられた肉体に、知性の詰まった優秀な頭脳……僕がゼウスなら、ヘルメスあたりにでも命じて君をオリンポスまでさらってもらうところだね。たとえば、ガニュメデスみたいにさ」

「それで、僕に用ってのはなんですか?」

 アシュクロフトと対面すると、以前はひどく緊張したものだったが、今はそんなこともないということに、アンディはほっとした。今ごろになって彼の中で自分に対する復讐の火種が燃え上がったようにも見えないし、もし仮にそうであったにせよ、デイモン・アシュクロフトはもう半年ほどもすれば卒業する身の上なのである。

「まあ、こんな場所じゃ出来ないような話さ。どこか、ふたりきりになれる場所にでも行くとしようじゃないか」

 屋内プールでは奇妙に音声がくぐもり、反響して聞こえたため、アンディは誰もいない水泳部の部室へとアシュクロフトのことを案内した。そこでアンディがシャワーを浴び、着替えを済ませる間、ロッカーの前のベンチで足を組み、デイモンは後輩との話を続ける。

「こんな昔のことを今さら話題にするのはどうかとは思うけどね、君、どうしてダークフェザーテンプルにやって来なくなったんだい?」

「そんなのは自明の理でしょう。あなたとの関係がまずくなったのに、のこのこ裏庭の洞窟に出かけていったんじゃ、僕は正真正銘のアホだからですよ」

「いいねえ、フィッシャー」

 アンディがシャワーを浴び、腰にバスタオルを巻いて出てくると、デイモンはあらためて惚れ惚れしたようにアンディの引き締まった体を眺めていた。その眼差しにさらされていると、彼が男も女もどちらもイケるというのは本当のことではあるまいかと、アンディは一瞬そのように思った。

「君の体が、じゃないよ。いや、体もだけどね、どうやら僕と君との間にはひどい誤解があったようだね。フィッシャー、僕は君のことが好きだ。今も昔もね。ある意味、君という存在に対して、尊敬の念すら持っている。ええと、あれはいつごろのことだったかな……確か君が四学年に上がった時のことだったと思うけど、その前と夏休みが終わったあととでね、君の顔つきが変わったなと感じた。そこで僕はこう考えたんだよ。これはもしや例の義理の母君と何かあったのかなって」

 アンディは制服に着替え終わり、ロッカーを閉めると、一度水飲み場で水を飲んでから、ようやく落ち着いた姿勢でデイモンの隣に腰掛けた。

「義母とは何もないですよ。あなたの期待してるようなことは何もね。むしろ、関係がまずくなって……というのも、彼女には父の他にも愛人がいるもんでね。まあ、うちの父親の素行の悪さのことを思えば、愛人がひとりいるくらいなんだって感じですがね、そのことが僕としては面白くない。それでワイルにプロの女性を紹介してもらって、童貞を落としたんですよ。単にそれだけの話です」

「ふうん。なかなか面白い話じゃないか」

 以前ならば十分に通じた、デイモン独自のある種の読心術のようなものが、今のアンディにはまるで通じなかった。そして彼は思う。まったくもってこれは良い傾向だと。

「それで、その娼婦の女性とやらを義理の母君の代わりにしたってことなのかい?」

「さあ……どうですかね。僕にとっては彼女の代わりになるような人は誰もいないから……そういう意味では違うにせよ、そういうところが多分にあるというのは事実です。ところで先輩は、こんなくだらない話をしに来たわけじゃないでしょう?」

「つまらない話なんかじゃないさ」

 そう言ってデイモンは、ベンチが縦に四つ、横に一つ並んだ空間で、後ろの背もたれによりかかり、隣の後輩のことをあらためてじっと見つめた。

「君が義理の母君と最終的にどうなるのか、僕としては個人的に非常に興味がある。下品な好奇心から言うのではなしにね。けどまあ、あんまりこんなところでぼんやりしてると、夕食を食いっぱぐれるからな、そろそろ本題に入ろう。僕はね、フィッシャー。例の闇の会の会長を君に引き受けてもらえないだろうかと思って、今日ここへやって来たんだよ」

「無理ですね」と、アンディは即答した。「僕はあなたやネイサン先輩のような超人じゃない。来年ユトレイシア大を受験するために今から猛勉強してるところですし、そんな余裕はとてもじゃないけどありませんよ」

「僕は超人なんかじゃないよ。もっとも、僕の場合はネイサン先輩と同じく推薦が決まってるから、他の生徒よりは少しか楽かもしれないがね。だから僕はね、フィッシャー。今さらだけど、君には何か借りがあるように感じているのさ。あの時もし君がアームストロング校長に洗いざらい本当のことを話していた場合……この推薦枠は決して僕に回って来なかったろう。君もさ、ちょっとくらいの故障はリハビリで克服して、あのままテニスを続けていたら良かったんだ。そうすれば推薦されるギリギリくらいの成績でも、テニスがものを言ってうまいこと事が運んでいたろうに。僕はまあ、アームストロング校長に気に入られてないけどね、校長が君みたいな生徒のことを心から好いているのはわかる。君のためにあの校長はたぶん、素晴らしい推薦文を書いてくれたろうにと思うと、なんだか残念だよ」

「一種の燃え尽きシンドロームって奴ですよ」

 アンディはそう言って自嘲気味に笑った。

「テニスをプレイするのはもちろん今も好きです。けど、なんかこう……なんのためにこんなことをしてるのかがよくわからなくなって。そういう時にたまたま試合で怪我をしたんです。自分でも子供じみてるとは思うんですが、僕はたぶんその時、無意識的に義母のことを困らせてやりたかったんだと思うんですよ。成績は落ちるし、テニスは怪我のために途中で挫折……さあ、どうだ、僕がこんなふうに落ち目になったことの遠因はおばさんにあるんだからなって、遠回しにそう言いたかったんだと思います」

「なるほど。だったらちょいと脅してやりゃいいんじゃないかね。愛人の男と僕、天秤にかけたとしたらどっちが重いんだって。大抵の母親ってものはそういう時、息子のことを選ぶんじゃないかね。君のところはうちと違ってこまやかな母と息子の情愛ってのがあるみたいだから、そのあたり血の繋がり云々ってのはあまり関係ない気がするが」

「無理ですよ、そんな……」

 アンディは両手を組み合わせると、開いた膝の間に落として言った。

「だって、おばさんはうちの親父じゃなくてその愛人の男のほうを心底好きなんですからね。第一、向こうを選ばれたとしたら僕も立ち直れないし、ユトレイシア大受験どころじゃなくなります。そう考えた場合、もう暫くはこの宙ぶらりんの関係を続けるしかないんです」

「正直、僕にとっては他人事だが、そんなのは苦しくないかね?」

「苦しいですよ」

 そう言ってアンディは、組み合わせた両手を額のあたりまで持っていき、祈るような姿勢のままで目を閉じる。

「でも、この苦しみは悪いことばかりでもないんです。この苦しみを忘れようと思えばこそ、僕は今勉強に集中できるし、あとは毎日泳いで泳いで泳いで忘れる努力をするんですよ。それでもまた夜眠る前には僕の寝床の枕元とか足元あたりにいるんですけどね、その苦しみの源のようなものが……でも、ユトレイシア大受験までは、このくらいストイックなほうがいいのかなと思ったりもして」

「ストイックか。それこそ確かに今の君にぴったりな言葉だろうな。何かこう、最近の君の存在感の前には、あのザカリアスも席を譲るしかないような、そんなところがあるものな。まあ、そんなのは僕だけじゃなく、他の周囲の生徒も感じてることなわけで、ダークフェザーテンプルのほぼ全員が君のことを次の会長として推したんだ。もちろんこんな役職をもらっても、内申書には書かれやしないんだから、あくまでも影の栄誉ってことにはなるがね。まあ、大体月に一回、満月の夜だけのことと思えば、むしろ息抜きになっていいかもしれないよ。少なくとも、僕はそうだった。こんな寄宿学校みたいなところにいると、時々「わーっ!」となって、なんか暴れたくなるからね。君はもしかしたら僕のことを恐ろしい奴だと思ったか知れないが、これでも僕は君のことを本当に好いてるんだぜ、フィッシャー。そのことは疑わないで欲しい」

 男同士ではあるのだが、それでもデイモン・アシュクロフトのような優秀なプリーフェクトにそう言われると、アンディは照れるものを感じた。思えば確かにその後、先輩たちから何か不穏な空気を感じるでもなく、アンディは元の学校生活へと戻っていったのだ。自分はもしかしたらそうしたアシュクロフトの<善意>を、もう少し素直に受け止めるべきだったのかもしれないと、この時アンディは初めて思ったのである。

「ダークフェザーテンプルの後任の会長、引き受けてくれるかい、フィッシャー?」

「ええ……本当に僕でいいんならって、今はそう思います」

 ここで、アシュクロフトは握手すべくアンディに左手を差し出した(彼は左利きなのである)。アンディのほうでも、先ほどプールでしたのと同じく、躊躇わずにデイモンの手を取った。

「ありがとう。君以外の他の奴ってことになると、どうにも役不足って気がしてね。もし断られたら誰を後任にしたらいいのか、相当迷うところだったよ」

 ――この日、アンディは夕食を取り自習室で勉強を済ませると、久しぶりに娯楽室でデイモン・アシュクロフトとチェスを差した。すると、昔と同じように人だかりが出来、まるで三年ほど前に時計の針が戻ったかのような錯覚をアンディは覚えた。それはきっとデイモンのほうでもそうだったろう。最終的に勝ったのは、後攻として黒のチェスを取ったアシュクロフトのほうだったが、アンディは負けても満足だった。

 ただ、お互いにそう口に出して言ったわけではないにしても、ちょっとした行き違いで(それでも当時のアンディにとっては大きな行き違いだったが)、このような優秀な先輩と三年以上も口を聞いていなかったのかと思うと、アンディは何か勿体なかったように感じた。もっとも、ユトレイシア大学で一緒になれたとすれば、また親しくする機会はあるだろう。そしてアンディは実際、のちに政治家となったアシュクロフトの党に選挙の度に必ず投票した。それは時が良くても悪くても、政策に若干疑問のある時でさえそうだった。また彼が人生上に深刻な悩みのある時に相談に乗ったりもしたし、デイモン・アシュクロフトとアンディとは、<親友>というのとは少し違ったが、それでも妙に気の合うところがあり、これはアンディの与り知らぬことではあったが、デイモンにとってアンドリュー・フィッシャーという男は、一生の間に唯一本当の友と呼べるような人間だったのである。

     *   *   *   *   *

 こうしてアンディは、デイモン・アシュクロフトよりダークフェザーテンプルの会長の職を譲り受け、六学年に進級すると、校長の任命によりプリーフェクトにも選ばれた。

 他に監督生として選ばれたのは、ザカリアス・レッドメインとアレックス・キング、キャメロン・クリスタルなど、他の生徒の人望が厚く、誰もが「彼なら……」と一目置いている生徒ばかりだったといえる。

 アンディのフェザーライル校における最終学年は、そのようなわけで非常に忙しいものとなった。ただし、ユトランド共和国の大学は概ねどこもすべて、受験して合格する機会が年に六回あるため、アンディは腕ならしの意味もこめ、五学年の最後の月である二月に受験し、見事これを突破していた。もし駄目だったら次の試験のある四月に再度受験しようと思っていただけに……このことはアンディにとってとても喜ばしいことだった。

 蝶や蛾が蛹から羽化する前に力を蓄えるような、アンディはそうした精神的に苦しい一年を送っていただけに、その努力がまるで正当に報われた気がして、このことを本当に心から喜んだ。ソフィからはもちろんのこと、父親のバートランドからも学校に直接電話があったことにアンディは驚いたものである。

「よくやったな。おまえは最高の息子だ」……そう言われた時、アンディは何故か涙が出た。ソフィからのお祝いの言葉よりも、ずっと嫌ってきた父からの言葉のほうが嬉しいなど、どうしたことかと自分で思いもした。何より、彼は自分の息子がかのユトレイシア大に通っていると、単に周囲に自慢したいだけ――などというひねくれた思いはすでに消え去っていた。ソフィが例の愛人の男と会うようになって以来、この親子の間には奇妙な繋がりあいが生まれており、歳のせいもあるのかどうか、今ではふたりで食事をしていてもバートが皮肉を言うようなことはあまりなく、むしろアンディの意見を真面目に取り入れるようにさえなっていたのである。

 そのようなわけで、アンディはつらい受験地獄のプレッシャーからは早く解放されることが出来たため、あとは他の試験を通過していない生徒たちを励ましたりといった精神的に余裕のある役割に回ることが出来たといえる。ザックとアンディとは同じ試験会場にいたのだが、猿も木から落ちるというべきか、この時彼は残念ながら一発合格とはいかず、三度目、六月に挑戦してユトレイシア大の医学部に入学が許されるということになっていた。

 学校祭、音楽祭、スピーチ大会、スポーツ大会などなど、一年の行事が次々と足早に過ぎていったが、すべての行事の頭に<これが最後の>とつくことを思うと、アンディはどのイベントも感慨深い感じがした。話の時期は前後するが、アンディは夏休みを少し早めに切り上げると、いつだったか、ネイサン・ハートフォードが自分に対しそうしてくれたように、フェザーライルの制服姿で新一年生をリース駅まで迎えにいったことがある。

 荷物を抱え、どこか心細そうにしている少年の姿を見かけるたびに、(たぶんあれがそうだ)と、アンディはすぐにピンと来た。時々三人くらいの子が同じ列車に乗ってくるということもあったが、アンディはそういう時には三人まとめて車に乗せ、フェザーライルの寮まで送るということにしていた。

 そして話すことはといえば、大体のところネイサン・ハートフォードがアンディにしたのと同じようなことだった。リース湖の近くまで来れば、例のマラソンの話をし、「もしその年に一回行われるリース湖マラソンで優勝すれば英雄になれるよ」、また坂道を上がっていくところでは「君たち、スポーツはやるのかい?」と聞き、ひとりが「テニスが得意です」と言うと「僕もだよ」と答えたりした。

「けど、どこの運動部でもそうなんだけどさ、基礎体力訓練てのがあるだろ?で、ずっと向こうの坂の上にあるフェザーライルの校庭を出て、ここまで来てまた上っていく時の苦しさといったら……最初のうちは心臓が破れるんじゃないかってくらいつらい。でもこれを繰り返してると、不思議と他校との試合で勝てるようになっていくんだ。だから君たちも慣れるまではつらいかもしれないが、頑張りたまえ」

「はい!!」などと、緊張気味に新一年生が答えるのを聞くたび、アンディはおかしくて堪らなくなった。自分もかつて五年前はこんな感じだったのだろうと思うと、それは尚更だった。

「あの、このブルーのカマロはフィッシャー先輩のものなんですか?」

 三人乗せた生徒のうち、一番背の低いピーター・フェラーズという生徒がそう聞いた。赤毛でくりくりした目の、少し落ち着きのない感じのする少年である。

「いや、違うよ。こんなダサい車、僕のものなわけがないじゃないか」

 そう答えつつ、アンディはやはりおかしくて堪らなくなった。アンディは何も英文学のリード先生の乗るブルーのカマロをダサいとまでは思っていない。だがやはり、ついその言葉が口を突いて出てしまったのである。

「これはね、英文学のリード先生のものさ。新入生を迎えに行きたいと言ったら快く貸してくれたんだよ」

 フェザーライル校へ辿り着くと、アンディはかつてネイサンがそうしたように、ピーター・フェラーズ、カール・クロフォード、フェリックス・ゴドウィンといった子たちを寮のそれぞれの部屋へ案内し、消灯時間や点呼のこと、また食事の時間のことなど、必要なことを大体大まかに説明した。そしてかつてアンディがそうだったように、食堂へ来てもどうしていいかわからずうろうろしている一年生にどうすればいいかを説明したり、自分の近くの席に座らせ、適当に話を聞いたりした。

 すると、フェリックス・ゴドウィンが突然、「あの、どうすればフィッシャー先輩みたいになれますかっ」と頬を紅潮させながら聞いたため、アンディはここでもおかしくて堪らなくなった。何故ならば自分もネイサン・ハートフォード先輩に対し――(どうすれば彼のようになれるのだろう)という憧れを持ったことを覚えていたからである。

「このフェザーライルってとこに五年もいればね」と、アンディは笑って答えた。「黙って放っておいても、最低でも僕程度にはなれるよ。だから心配することなんて何もありはしないんだ」

(いや、それは絶対無理だろう)といったように、三人は顔を見合わせていたが、アンディはなんだか自分がここへ来たばかりの頃がとても懐かしくなった。過ぎ去ってみると、あれから五年も過ぎたというのがなんだか嘘のようだった。自分はもしや来年もここにいて、新一年生に同じことを話しているのではあるまいかという気さえするが、それはやはり流石に感傷的すぎるというものである。

 アンディにとって、フェザーライル校最後の一年は、とても穏やかに、そして楽しく過ぎていった。見慣れた校舎や校庭やグラウンド場や講堂など、季節によっては同じ景色がまた見られないかもしれないと思い、アンディは秋の紅葉や冬景色、春の桜、夏の若葉などなど、そのひとつひとつをなるべく心に長く留めおくようにと心掛けたものである。

 そうして六月――目も眩むような花盛りの校庭の花々に見送られるようにして、アンディはフェザーライル校の卒業式を迎えた。例のダークフェザーテンプルの後任は、一学年下の模範生、エドワード・ベイカーにアンディは譲り渡すことにしていたし、卒業式前に行われる大篝り火の会、実際はこちらのほうがより実質的な<卒業式>と言えたかもしれなかった。

 ここで篝り火に最初に火を点ずるのは、実はダークフェザーテンプルの会長なのである。つまり、生徒間でそのような噂はあっても、実際は誰がメンバーなのかといったことは憶測の域を出ないことである。そこで最後の大篝り火の会で誰が火を点ずるかで、一般の生徒にもその正体がわかるという図式となっていた。

 この篝り火を囲い、生徒たちは語り笑い、歌を歌い……母校や学友たちとの最後の別れの時間を過ごすのである。先生方や校長のする話が感動したり、泣けるものが多いため、大抵の生徒が最後には涙を流すということになった。そのせいかどうか、アンディは大篝り火の会の時は隣にいた友たち全員と泣きはしたが、実際の<卒業式>の時には涙は出なかった。

 このアンディがフェザーライル校を卒業するという日、父兄席のほうには珍しくも義母であるソフィの姿だけでなく、父親であるバートランドの姿もあった。アンディは角帽に法衣という格好で講壇に上がり、卒業証書を受けとったのだが、胸の中は自分のことを誇りに思いたい気持ちでいっぱいだった。

 無論、ユトレイシア大受験の時に、自分の過去の成績表を向こうへ送らねばならないため、「この時もっと頑張っていたら」との後悔がその時にはあった。テニスもやめないでいたらとも思ったし、ソフィに意地の悪い口を叩いたりなどせず、もっと彼女に優しくすれば良かったと考えたり……だが、なんといってもその当時は「そうとしか出来なかった」ことでもあった。

 なんにしてもアンディは講壇の上から自分の父と義母の姿とを眺め、この時はふたりに対して心から感謝した。父はこの学校に馬鹿高い授業料を六年間も払い続けたのだし、また義母のソフィの愛の支えなくしては、自分は今ここに立ってはいないということも、アンディはよくわかっていたからである。

 この卒業式の日、アンディとソフィ、それにバートランドとは、黒塗りのストレッチ型リムジンの同じ後部席にいた。このまま車でノースルイスの別邸ではなく、首府ユトレイシアの本邸へと向かう予定だったのである。

「おまえは本当に、良くやったよ、アンディ。立派な奴だ」

 そう言いながらブランデーをグラスに注ぎ、「どうだ?」というようにバートはアンディに勧める。だがアンディは「僕はいいよ」と言って断っていた。この時、小さい頃にも同じようなことがあったと、アンディは思いだす。バートランドは息子の存在など目にも入っていない様子で酒を飲み、何か愛人と下品な話を携帯でしていたが、その当時からアンディは父に対し(この人はそういう人なんだ)と諦めていたものであった。

「本当よ、アンディ。お父さん、ユトレイシア大合格のお祝いに、なんでも買ってくださるって。何がいいか、決めておいた?」

 ここでアンディは思わず失笑しそうになる。『じゃあ、ソフィおばさんを僕にくれないかな』というのが彼の本音ではあるが、何分ここは親子水入らずの席である。アンディはこの場の空気にあった模範的な息子を演じねばならない。

「じゃあ、車がいいかな。ユトレイシア大まで通うのに、ちょうどいいようなのがいいな。フェラーリとかポルシェとか、そんな目立つようなのじゃなくて全然いいからさ」

「いや、フェラーリでもポルシェでもなんでも買ってやろうじゃないか。ただ、あんまり派手に乗り回して、事故ったりするんじゃないぞ。おまえはこれからわしの事業を継ぐ片腕にならねばならんのだからな」

「うん……」

 アンディはとりあえず経済学部を選んでいたのだが、本当は彼が進みたかったのは文学部のほうである。だが、父親から受験する学部を聞かれた時、思わず彼の期待に応えるため、<経済学部>と答えてしまっていた。倍率的なことを考えると、アンディはこれで良かったと思いもしたが、と同時に、珍しくこうして親子三人が揃ってみると、父親の歳をとって皺の増えた顔を見るにつけ、(自分はこの人を本当に裏切れるのだろうか)と不安になってくる。

 実の父を裏切る――それも、ギリシャ神話のオイディプスのように「それと知らずに」ではなく、アンディは実の父親の後妻と大学へ進学する前に寝る計画を立てていた。無論、オイディプスとは違い、ソフィとアンディの間に血の繋がりはないにしても、もし成功したとすれば、それはどのような罰を神から受けるべき種類のものなのだろうと、アンディは案じていたのである。

 ユトレイシアの本邸まで五時間ほどで辿り着くと、アンディもソフィも疲れ、夕食後はすぐに寝室へ向かった。バートランドはといえば、リムジンの後部席で五時間ばかり過ごす間も仕事をし、株の投資のことなどあちこちへ指示を飛ばしていた。一度、部下らしき男を手ひどく罵倒していたこともあったが、愛人のひとりらしき女性から電話が来た時には、彼はすぐ電話を切り、どこか決まり悪そうな顔をしていたものである。 

 その横顔を見ていて(この人も変わったな)と、アンディはそう感じた。以前ならばおそらく、妻や息子の前でさえも愛人と電話で話すことにためらいなどまるで感じない人だったはずなのに、これもやはり歳がなせる業なのだろうかなどと、アンディは漠然と思ったものである。

 夜――美しい月夜の輝く、静かな晩のことだった。アンディは夜半に目覚め、広い屋敷の廊下をそぞろ歩き、まるで魔法にかかったように綺麗な庭の花に目をやった。紫陽花にくちなし、クレマチスにタチアオイ、薔薇に芍薬、マーガレットに百合などなど、よく手入れされた庭は花盛りだった。しかもそこに月光が魔法をかけ、どこか神秘的な様子をかもしだしており、アンディは束の間夢想家としてそのような光景をただ大理石の柱に寄りかかって眺めていた。

 そうなのだ。アンディにとって大学の文学科を選ぶということは、夢想家としての道をそのまま歩むということを意味していた。だが実際には現実的な選択としてアンディは経済学部を選んだのである。ゆくゆくは父親の事業を継ぐからということではなく、ソフィのことを強奪することにもし成功したとしたら、それがもっとも確実な妻を養っていく方法だという気がしたからだった。

 今年の短い春休み、アンディはノースルイスへは帰らず、ユトレイシアでステラ・マクファーソンと会っていた。そして彼はとうとうソフィおばさんのことを奪う段階まで来たと、彼女に告白していたのである。

「まあ、それは一体いつ?」

 ステラは内心の胸の傷つきを悟られまいとして、妙に明るい声で聞いた。

「とりあえず、学校を卒業した夏休みにって思うんだ。おばさんからは大学の合格祝いに何が欲しいかって聞かれたから、ヴァ二フェル町で一緒に過ごしたいって伝えておいた。そこで……自分の本当の気持ちを伝えようと思う」

 場所は、三階建てのワイル家の豪邸でのことだった。その三階のゲストルームとなっている一室でふたりは抱きあい、ステラは久しぶりの逢瀬に十分満足したあとだっただけに……ショックを隠すのが大変だった。

「でも待って、アンディ」天蓋付きベッドの天井を眺めながら、ステラは甘えたような声で言った。「わたし、思うんだけど……あなた、その前にそのおばさんのことを嫉妬で焚きつけほうがいいんじゃなくて?」

 ステラはソフィのことが話に出ると、必ず彼女のことを故意に<おばさん>と呼んだ。けれど、鈍いアンディはそのことをさして不思議とも感じていないのだった。

「嫉妬って……一体どうやって?」

(そんなことは無理だよ)と、言外に眼差しで語りつつ、アンディは胸元に抱いたステラの長い髪を指で梳かした。

「あら、そんなの簡単よ。あなたの言うおばさんの手強そうな例の愛人ね、それと同じことをあなたもすればいいの。わたしをその別荘へ連れていって――で、おばさんの前であなたとさり気なくいちゃいちゃするのよ。もしかしたら恋愛感情とは少し違うかもしれないけど、ソフィおばさんは気分を害すること請け合いよ。でもあなたとわたしのいる手前、どうにか苦笑いしながらでもやり過ごさなきゃならないわ。だって、その人、愛人を使ってあなたにも同じ気持ちを味わわせたのでしょ?だったらアンディ、あなたも同じことを彼女にしてやって当然だわ」

「それはどうかな」アンディは気が進まなそうに溜息を着いた。「そのヴァ二フェル町ってとこにある海辺の別荘はね、僕とおばさんとの秘密の隠れ家みたいなもので……暗黙の了解のうちにも、僕たちふたりだけで過ごす特別な場所ってことになってるんだ。あのセスって男が押しかけてきたのは、何もおばさんが故意に呼んだからってわけじゃない。そう考えた場合、僕がそこにステラのことを連れていくのはルール違反っていうことになる」

「もちろんわたし、長くはそこにいないことよ」と、ステラは早口に言った。ユトレイシア大に受かった有望株だから、というのではなしに、アンディが仮に文無しの無職であったにしても、ステラは彼を愛していたに違いなかった。「ただ、あなたはわたしを嘘の恋人として紹介しさえすればいいの。それで二日か三日、親密なところをおばさんのところで見せつけて、彼女の反応を見るのよ。そしてあなたは本当は嘘だってことをあとで告白すればいいわ。ねえ、そうしたほうが良くはない?だって、九つの時から知ってる子供に愛を告白されても――きっとソフィさんは、若い子の一時の気の迷いみたいにしか思わないに違いないもの。でもその前に、もしそうしないなら、あなたが永遠に誰か別の女のものになるかもしれないってことを見せておくのよ。わたしはこっちのほうが、あなたの告白がうまくいく可能性が高くなる気がするけど」

「そうだね。まあ、考えておくよ」

 アンディはそう曖昧に言葉を濁しておいたが、実際にいざ<決行の時>が間近に迫ってみると、ステラの言うとおりだという気がしてならなかった。アンディにとってこれは、一生に一度だけの、最後のチャンスのようなものである。ここで振られれば、ソフィはアンディの父と離婚したのち、アンディとも疎遠になっていくだろう。彼の当初の計画としては、そろそろセスとソフィがうまくいかなくなって別れている頃合だというのに、なんということだろう、ふたりはいまだに会い続けている!

 アンディはこの時、セスに対する嫉妬の情が再び燃え上がり、ステラのことをヴァ二フェル町へ連れていく決心を突然した。そしてまるで、夜の白い蝶のように、ソフィが白い羽織り物一枚をパジャマの上に着、庭をそぞろ歩く姿を見かけ――彼女に声をかけたのだった。

「おばさん、眠れないの?」

「ええ。フェザーライルから帰ってきて、なんだかあんまり早く寝ちゃったでしょ。たぶんそのせいね」

 アンディは自然、ソフィのどこか官能的な感じのする口許や、白い喉、それにパジャマの上から見える胸の膨らみを意識した。いずれ必ず彼女のすべてを自分のものにすると、何度同じようにこれまで誓ったことだろう。

「僕も……なんだか突然目が冴えちゃってね。もう来年からはフェザーライルに通わなくていいんだと思うと、変な感じだよ。大学生活に対する不安があまりないのも、たぶんあの学校で色々鍛えられたせいだと思う。これからは規律に縛られず自由になるけど、その分その自由の重みを十分受け止めていかなくちゃいけないんだなっていう、何かそんな感じかな」

「坊やはほんとに……」

(真面目ないい子ね)と言いかけて、ソフィは口を噤んだ。近頃のアンディはこうした自分の物言いを嫌っていると、彼女は知っていたからである。

「いいよ、おばさん、べつに。今日のところはまだ<坊や>でもね。いずれそう言いたくても言えなくなるだろうから」

「そう?アンディはいつでも本当に優しくて、おばさん本当に助かるわ」

(そうでもないよ)と、アンディはソフィに見えないところで笑った。そして突然ここで、例の意地の悪い気持ちが浮かんできて、よく考える前に衝動的にステラのことを口に出してしまっていた。

「おばさん、僕、紹介したい人がいるんだ。つきあいはじめてもう、三年くらいになるのかな……その彼女がここユトレイシアにいてね。いい機会だから、彼女に一度ヴァ二フェル町へ来てもらいたいんだ」

(えっ!?)という顔の表情をソフィがするのを、アンディは当然見逃さなかった。確かにステラの言うとおりだと思った。まさかここまで効果があるとは、彼自身思ってもみなかったのである。

「そ、そうなの。アンディが言ってた今年の夏はヴァ二フェル町で過ごしたいっていうのは……そういうことだったのね。なんだったらおばさん、今年の夏は遠慮してもいいのよ。あんたとそのつきあってるっていう女性とふたりで海辺の別荘で過ごしたら?」

「そんなの駄目だよ」アンディはムッとして言った。「第一彼女も色々忙しくて、そんなに長くは滞在出来ないんだ。いてもほんの二、三日。そのあとはさ、僕とおばさんとでいつも通り過ごせばそれでいいだろう?」

「そうね。でもアンディ、そういうことならおばさん、一週間くらい遅れていくわ。若い人たちの時間をおばさんが邪魔しちゃなんだか悪いもの」

「気にすることないよ。っていうか、出来れば一緒にいて欲しいんだ。ステラのほうでもおばさんに会いたがってるし。なんでかっていうと、僕がしょっちゅうソフィおばさんソフィおばさんって言ってばかりいるそのせいでね」

「そう。でもアンディ、わたし……」

「わたし、何?」

(セスという男と、何か旅行の用事でもあるのだろうか)、そう思い、アンディはまたイライラしてきた。

「ううん、なんでもないわ。おばさんそろそろ寝るわね。それじゃ、おやすみなさい、アンディ」

「おやすみなさい」

 アンディは、魔法のかかったような庭にひとり取り残されると、大理石の噴水の縁に腰掛け、それから夏の夜空を見上げた。お互いの関係が悪くなってからというもの、ソフィのほうではアンディの顔色を窺い、気を遣うようになっている。そういう時、アンディのほうでは何かをもう少しどうにかしたら彼女が自分のものになりそうだと感じた。今も、ほんのちょっと手を伸ばして、強引に抱き寄せさえすれば――唇にキスするくらいのことであれば、許してくれたかもしれない。

 アンディは夜空を見上げたまま目を閉じ、宇宙の静寂を感じるのと同時に、ヴァ二フェル町の海辺の別荘にある、二階のソフィの寝室のことを隅から隅まで脳裏に思い描いた。小さい頃、ソフィが社交上の用事で短期間留守にすると、アンディは必ずそこで義理の母のことを思って眠った。思いだすのは、ドレッサーの上の綺麗な香水の瓶や、シャネルやディオールの口紅、色々な化粧道具が並んでいたこと……そしてアンディは、枕の上のソフィの髪の匂いを幾度もよく嗅いだ。そうしてそこでまどろみつつ眠ることは、幼いアンディにとってこの上もなく幸福なことだったのである。

 その幸福な記憶を本当に壊しても良いのか?また、ベッドの上に飾られた絵の中の天使たちは、このような邪な欲望を義理の母に対して抱いている自分のことを罰しはしないものだろうか?アンディはこのことを何度も繰り返し考えた。けれどもう、アンディにとって出口は他にどこにもなかった。もし仮に拒まれたとしても――あのセスという男が恋人としているから、アンディのことまでは受け容れられないと言われたとしても、アンディは彼女に本当の自分の気持ちをすべて告げるつもりでいたのである。

 そしてこの時アンディは、自分が目を閉じている間、流れ星がひとつ落ちていったということにまるで気づかぬまま、再び自分の寝室へ長い廊下を歩き、眠るために戻っていったのである。



 >>続く。





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